前回の山田洋次監督の学校シリーズに続いて今回は民子三部作ですウインク

 

私が初めて山田監督の映画を見たのは中学生の時で、テレビで偶然「故郷1972年観ました

 

しかし、題名すら覚えておらず記憶もあいまいで、観終わった時の良かったという想いと砕石を運搬する小さな木造船に夫婦が小さな女の子を連れて乗り組んで働いていた事しか記憶に残っていませんでした(;^_^A

 

それでもよほど印象が良かったのか、いつかまた観てみたいという思いと、砕石を海に投棄する時の石船の傾く様子は頭の隅にずっと残ってたうーん

 

この石船、ドキュメンタリー番組で一度見ましたがクレーンと錘の石をチェーンで繋いでクレーンを操作すると船が真横に90度傾いて積み荷の砕石が海に落ちるという仕掛けになっており、瀬戸内海の埋め立てなどに浅瀬で活躍する海のダンプカーの役割を担っていたようです

 

音戸の瀬戸の近くの倉橋島に多くあったようです

 

十何年前に偶々テレビでこの映画を再び観たときに、これがあの時観た映画に違いないと懐かしさと驚きでいっぱいでした

 

石船の夫婦はなんと井川比佐志さんと倍賞千恵子さんびっくり

 

そうです、登場人物すら誰だかわからなかったのでした

 

まあ、中学生当時は男はつらいよも見た事が無かったので倍賞千恵子さんも知らなかったのかも知れません

 

この映画が撮られたのは昭和47年で小学生の時ですね

 

この年の夏に公開された「男はつらいよ」は第9作柴又慕情でマドンナは吉永小百合さん

 

テレビシリーズからおいちゃん役だった森川信さんが死去されたことで松村達雄さんが二代目のおいちゃん役に抜擢された回でした

 

この映画が「故郷」だったのか~びっくり

 

実は「故郷」とは高校生の時にテレビで観た「同胞(はらから)1975年公開が故郷という題名と思い込んでいました

 

この同胞は高校生の時に観たので内容もしっかりと覚えてましたが映画の中で劇団統一劇場が開催するミュージカルが「故郷」で、ふーるさと、ふるさと、ふるさと♬と何度も繰り返し歌うので、てっきり故郷という題名だといつのまにか思い込んだのでした

 

この映画も観終った後、元気が出るような良い映画でした

 

 

そして、1970年の大阪万博の年に公開された「家族

 

この映画はずっと後になって観ましたが、1972年の「故郷」と1980年公開の「遥かなる山の呼び声」と併せて民子三部作と呼ばれてます

 

「遥かなる山の呼び声」は「家族」での入植先の中標津が舞台となっていますね

 

1970年と言えば昭和45年、この年に男はつらいよは3作品も作られております

 

正月は男はつらいよ第3作フーテンの寅でマドンナは新玉美千代さん、2月には第4作新・男はつらいよで栗原小巻さん、8月は第5作望郷篇で長山藍子さん

 

この第5作は山田監督が第2作以来のメガホンをとった作品で、テレビ版のおばちゃん、さくら、ひろし役の杉山とく子さん、長山藍子さん、井川比佐志さんが登場している

 

 

さてさて

 

前置きが長くなりましたがアセアセ

 

映画家族はこの忙しい中で撮られました

 

長崎県の伊王島の炭鉱で働く一家が北海道の根釧原野に開拓農家として移住する為、一家5人が高度経済成長期の日本列島を縦断するロードムービです

 

画面の背景には1970年の日本が写り込んでおり、どの場面を観ても思わず涙が溢れそう照れ

 

予告篇より 列島縦断の軌跡
 
山田監督の映画は横長のシネマスコープなので九州から北海道までの日本列島がすっぽり収まる照れ
 
1970年4月6日~10日までの丸5日間の長崎県伊王島から北海道中標津までの列車を乗り継いでの日本列島北上3000kmの一家5人の遥かな旅路
 
撮影に1年を掛けて日本列島縦断ロケのロードムービー、ちょうど開催中の大阪万博の臨場感も伝わります
 
山田監督がおっしゃっていたのは、この映画を撮るに当たってカメラマンと打ち合わせしたのは、フレームを選ぶのではなくて、今この芝居をここでキャッチしなければいけないと言う状況でいつでもカメラを回せるようにしてしっかりと芝居を捉えれば、その背景に色々なことが自然と写り込むだろう
 
それが日本の現実と言う物なんだろう
 
その事によって1970年の日本がきっと画面に写り込むに違いないと信じてやろう
長崎本線、鹿児島本線、山陽本線、東海道新幹線、常磐線、東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭本線、再び函館本線、根室本線、釧網本線、標津線と乗り継ぎ、新幹線の他は急行列車を利用したものと思われる
 
鉄道ファンとしても知られる山田監督だけに細かく見ると随所に見所満載で、資料的価値も高いように思います
 
伊王島から長崎港へ定期船で向かいます
 
この字幕の向こうの列車はキハ82形の特急かもめ
 
4月6日、長崎駅から乗り込んだ列車はキハ55で長崎発小倉行の急行「いなさ
 
検札に来た車掌によると「14時26分小倉で乗換ですね」と言ってる
 
北九州工業地帯を抜け小倉へ
 
次に瀬戸内海を右手に山陽本線を走るのは急行「玄海」で475系だキラキラ
 
小倉からは名古屋-博多間を一日一往復していた急行「玄海」に乗換えたらしい
 
福山駅で降り、次男(前田吟)の自宅へ
 
福山駅と福山城
 
お二人ともお若いですね
 
次男の車で、建設中の工業地帯の中を抜けて自宅へ向かう
 
祖父の源蔵(笠智衆)を福山に住む次男夫婦の元へ送る予定でしたが、次男夫婦が必ずしも父親を歓迎していない事がわかり、民子の発案で父親も一緒に北海道の開拓村へ移住する事になります
 
翌朝、湘南色の急行「とも」165系で大阪駅へと向かう
 
この「とも」は鞆の浦のともから取っているそうです
 
次男と源蔵は結果的にこれが最後の別れになってします
 
後ろに停車しているのはEF58型電気機関車キラキラ
 
翌日は東京駅まで向かい、そこから上野発の寝台特急ゆうづるに乗り換える予定ですが、大阪駅までは165系の急行「とも」、新大阪駅からは新幹線で東京駅へ
梅田の阪神デパート
 
1970年小学生の私もこの阪神デパート前の歩道橋上で写真を撮ってもらいました
 
デパートの壁面を彩る万国旗が写ってて懐かしいですキラキラ
 
殺人的な人の多さの中、やっと食堂にたどり着き一息つきます
 
ここで、「新幹線まで3時間ある」との事で源蔵を残して4人で万博見物に向かう
 
万博会場の入口に着いた時には新幹線まで残り1時間半しか時間が残って無かった
 
会場内はもの凄い人出で、どのパビリオンも待ち時間が1時間半以上かかるとの事で入場は諦め入口から太陽の塔を眺める
 
ここで、万博見物に訪れた金貸しのチンケ(花沢徳衛)に偶然会う
亭主の北海道行の旅費の工面に金を貸したのに何故万博見物に一緒に来てるのかと詰られるが「ここは人類の進歩と調和の万博やね」とやり返す
 
万国博の為に作られた北大阪急行万国博中央口駅
 
開催終了後は撤去されて、駅跡は現在中国自動車道になっている
 
 
新大阪駅より東海道新幹線で東京駅へ
新大阪駅
 
新幹線ひかりの車内 太陽の塔のお土産を買ってますねニヤリ
 
 
陽も暮れかかる頃に東京駅に着く
 
東京駅から上野へ向かう途中で乳飲み子の長女早苗が長旅による体調不良に陥ります
 
民子の意見で、上野で寝台特急に乗り換える予定を取りやめて上野で宿をとり病院で診てもらう事に
 
しかし、非人情で慣れない東京で診察に手間取り、早苗は症状が悪化し手遅れとなり亡くなってしまいます
悲嘆に暮れる間もなく、翌日火葬を済ませる為にもう一泊して翌朝上野から列車で青森へ
 
岩沼から東北本線へ(冒頭の軌跡から上野から常磐線経由で東北本線に入ったのではないかと)
 
日もとっぷりと暮れて青森駅到着
 
青函連絡船内で早苗の死をめぐって夫婦で口論に
 
船内で夜が明け、4月10日長女の遺骨を抱いて函館上陸
 
函館桟橋に接岸する八甲田丸
 
まだ雪を冠っている函館山
 
青函連絡船は黄色い船体なので八甲田丸とおもわれます(予告篇では違う色でしたが・・・?)
 
函館駅裏のスーパーで精一(井川比佐志)が長靴と民子のセーターを買います
 
昔は野良犬も普通に歩いていたんですねぇ、今はもう、すぐに役所に電話されて共存出来ないな
 
長崎ではもう桜も満開の頃ですが、北海道はまだ雪が残ります
 
函館本線から室蘭本線へ
 
ここは何処だろう
 
岩見沢を過ぎて再び函館本線かな
 
滝川から根室本線で日高山脈(狩勝峠)を越えます
 
キハ56系 急行狩勝でしょうか
 
冒頭の軌跡によると釧路で乗換て釧網本線経由で標茶から標津線に乗り継ぎ中標津まで
ストーブのある木造客車、汽笛が聞こえるので蒸気機関車の牽引と思われます
 
中標津駅に着いて迎えが来るまでの間に駅の灯りが消灯されるので最終便で到着したと思われます
 
しっかりと注意深く見れば時刻表まで特定できるようにしっかりとした構成になっているのには驚かされます(松本清張さんみたいびっくり)
 
 
まだ雪深い夜の中、やっとの思いで中標津にたどり着いた頃には、一家は疲れ果てていた。次晩、地元の人々から歓待を受けた一家の父源蔵は上機嫌で炭坑節を歌い、一家はようやく落ち着くかのようにみえた。しかし、源蔵は歓迎会の晩に布団へ入ったまま息を引き取ってしまう。家族2人を失い後悔と悲嘆にくれる精一を、民子は「やがてここにも春が来て、一面の花が咲く」と慰め、励ます。中標津の大地には2つの十字架がたった。6月には中標津にも春が訪れ、一家にとって初めての牛が生まれた。そして民子の胎内にも、新しい命が宿っていた。

 

ひょっとして、北の国からの黒板五郎さんの乗ってたのと同じ車かな

 

 

6月 根釧原野

 

初めての持ち牛となる雌の子牛が生まれ、民子の胎内にも新しい命が宿っていた

 

今回は写真も多く、長くなってしまいましたが最後まで見て頂きありがとうございました

 

では、また

 

 

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