「ゴブリンスレイヤー」の人気と日本社会の成熟 | みかんともブログ

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4月11日のブログコロナウイルスとゴブリンスレイヤー

で取り上げた現役医師高須賀氏のブログですが、

なるほどとうなずくところが多かったです。

特に「ゴブリンスレイヤー」の人気と日本の社会の成熟を結び付けた氏の意見は洞察が深い、と。

少し長くなりますが、ブログから引用したいと思います。

 

このゴブリンスレイヤーの物語は福祉に携わる人のオマージュだと僕は理解している。
医療を含めて、福祉は正直なことをいってあまりカッコいい仕事ではない。

六本木ヒルズにある外資系企業で働くほうが社会的尊厳も圧倒的に高く、また給料もいい。

福祉は構造上、お金を稼げる仕事ではないから、一般的にはかなり低賃金労働だし、また社会的尊厳もそこまで高いとは言い難いものがある。

中略

そういう意味では、ゴブリンという評価されない対象に対して情熱を燃やして対処するゴブリンスレイヤーの物語が流行ったことには、僕は日本の社会のある種の成熟を感じる。

みんな本当は気がついているのである。

ハリボテで塗り固められたキラキラしたものの嘘くささに。

草の根で活動する人たちの尊さに。

 

「医者の僕でも、コロナウイルスをナメていたが、間違っていた。」

ブログティネクトより(https://blog.tinect.jp/?p=64213) 高須賀

 

僕も同意見でした。

「ゴブリンスレイヤー」はある意味、地味な物語です。

主人公は竜を倒すのでもなく、ただゴブリンを狩り続けるのです。

それは通常の異世界もの、例えば、「二度目の人生を異世界で」や「超人高校生たちは異世界でも余裕で生き抜くようです」は、竜を倒したり、魔人と戦闘をしたり、国を運営したり、派手で華やかなシーンがいっぱいです。

しかし、「ゴブリンスレイヤー」の作品で表現されるのは、ゴブリンという異世界では下位に位置する存在を人知れず取り除いていく、地味な行為です。

しかし、そんな主人公のひたむきな信念に出会う者たちはいつしか理解を示し、魅力的な異性は彼に心ひかれていくのです。

また、登場人物たちの固有名詞が一切出てきません。

主人公は「ゴブリンスレイヤー」と呼ばれ、ヒロインは女神官、彼を慕う幼馴染は「牛飼いの娘」、そんな類なのです。

そこには人知れず世のために活動する無名の人たちへのリスペクトが込められているのかもしれません。

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「ゴブリンスレイヤー外伝 イヤーワン」第2巻より引用

 

「ゴブリンスレイヤー」に日本のライトノベルやマンガの奥行きの深さとともに、

そんな作品が支持される土壌は、

高須賀氏の言葉を借りれば、「社会のある種の成熟」をも感じます。

そういうことをコロナウイルス危機に改めて気づかされたことでした。

 

なかなか難しいことですが、時にはゴブリンスレイヤーのように

人知れず小さい良きことを積み重ねていけることを目指していきたいものです。