前回負傷した右手も良くなり、前回の反省を胸に赴きました。
前回のような岩場には行きませんでした。また、ルアーではなく、餌を用意しました。
というのも、前回の釣果は0でしたが、釣れていた人たちは例外なく、餌釣りでした。そして、あの日帰る際に出会ったベテランの釣り師の人から次のようなアドバイスを受けました。
八瀬は放流魚だから餌がええ。イクラやブドウ虫。
ルアーは、天然魚なら食いつく。もっと上流の貴船や鞍馬行かんと難しい。
そこで今回はルアーはやめて、イクラとブドウ虫を用意して臨んだのでした。
結果は惨敗でした。
一度もあたりはなし。
魚影も見かけませんでした。解禁日の後、放流魚は大略釣られてしまったのかもしれません。
また、僕の不手際もありました。子供の頃できていた糸の結び方を失念したり、糸がこんがらがったりして、糸をほどいたり結んだりするのに、かなりの時間を取られました。家で練習できる時間があったはずです。
とはいえ、後半は散歩で声をかけてくれたベテラン釣り師の人から助言を受けて、渓流の浅瀬に入り、仕掛けを下流に流しながら、あたりを待ちました。実地のコーチングを受けられたのは幸運でした。次へ活きます(^_^)
同行するはずの人が体調を崩し来られなくなったこともあり、釣り糸を垂れている間、いろいろなことが頭をよぎりました。大局から些細ことまで、浮かんでは消えて行きました。
意気込んで、前回のリベンジにやってきましたが、果たせず、雨が降ってきたり、竿が木に引っかかったり、強い風で仕掛けをつかめなかったり。
4時間以上釣れる兆しもない中、思いました。
時に自然は思う通りにならないものだなぁ、と。
やはり、スマートフォンの釣りゲームとは違います。釣りゲームに限らず、バーチャルではうまくいっても、機械相手には成功しても、自然はやはり人の思惑におかまいなしなのでした。
また、時機というのもあるのかもしれません。いくらいい餌を使っても、魚がいなければ釣れないわけです。あるいは魚が食べたいと思わなければ、釣れないわけです。
これは対人関係にも重なります。
いくら善意で働きかけても相手にそれを受け入れる意思が無ければ、あるいはタイミングが合わなければ、不要だし、いらぬお節介なのでしょう。あなたにもそんな経験はないでしょうか?
もちろん、僕にも有ります。そういう時は不本意に思いますが、致し方ありません。気持ちを切り替えることが大切なのでしょう。八瀬の自然がこんな気持ちにさせてくれました。
心地よいせせらぎの音と春めいてきた緑に囲まれながら、思い通りにならないことを受け止める大切さを思ったことでした。(釣れなかったからこうでも考えたかったのですが)
発想を変えさせてくれる場所、やはり自然に関わる場に身を置くって、必要かもしれませんね。
機会を見て、また渓流釣りに挑戦です!
あなたが自然を身近に感じる場所があれば、ぜひ大切にしてみてくださいね(^_^)