総理官邸ドローン侵入事件と音楽活動 | みかんともブログ

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特にマンガ、アニメなどの二次元、音楽、ライトノベルが中心ですが、最近はポップカルチャーを詠む短歌についても触れています。
あなたも試しにご覧あれ(^-^)

最近20歳の青年との話していた時に
総理官邸ドローン(無人小型機)侵入事件の話題が出ました。
「犯人は孤独だったんでしょうね」
こう彼は言いました。
僕はその言葉に対して、
「そう思うよ、犯人は自分の存在を認めてほしくてしょうがなかったんだろう」
と付け加えました。

承認への欲望、現在ほどこの欲望が高まっているときはありません。
といっても、この欲望が昔はなかっというわけでもありません。
哲学者のヘーゲルが指摘しているように「人間的欲望は、他者を必要とし、承認することで、自分を『創造』しようとするものである」という言葉は本質をついていると思います。
人間以外の生物は自分の生存を第一義として生きていますが、人間は他者を意識し、名誉のために敢えて死を選ぶことさえあります。
承認への欲望は時代を問わない普遍性を有すると考えていいでしょう。

とはいえ、近現代とそれ以前では明らかに状況が異なります。
多くの論者が指摘するように、近代以前では共同体に共通した価値観が存在し、
人々はその価値観に合う行為をしていれば、他者からの承認や自分自身の役割についてさほど、
不安なく生きられたのです。つまり、それほど他者の承認を意識する必要はありませんでした。
また、自己のアイデンティティを積極的に見出す必要もありませんでした。共通の価値観が自他に納得のいく答えを与えていたからです。

しかし、近代以降、状況は一変します。
自由と平等の果実を得る一方、価値観の多様化・相対化が進み、社会に共通する価値観は弱まり、価値を測るものさしがバラバラとなりました。
そんな社会で安心して生きていくために、自己を測る価値基準として他者の承認が渇望されるようになっていきました。近代ではまだ道徳面では前近代の伝統的価値観が残存してはいましたが、時代を追うごとに価値観のいっそうの多様化が進み、その延長線上に現在の、承認欲求の増大があります。

自分の悪事をわざわざツイッターで発表して受けを狙ったり、
facebookのフォロワーをやみくもに増やして「イイネ」を獲得したがったり、
功名心だけによる犯罪、
これらは、承認への欲望の一つとも理解できます。
総理官邸へドローンを飛ばした容疑者が、
自分の計画や経緯を逐次facebookにアップしていたというのは、
自分の存在を知ってほしくてしょうがなかったのでしょう。

ただし、僕は彼を笑うことはできません。
こうブログを書いている自分もやはり誰かに見てもらいたいから書いているのです。
承認への欲望が自分自身にもやはりあるのだと自覚します。
そしてまた、他者の承認が強く必要な社会というのは実は
価値観が多様で自由な社会でもあるということも思い返したいと思います。
というのも、大きな共通の価値観に役割を与えられるのではなく、
自分自身で自分をそしてその役割を作っていける社会でもあるからです。

自己承認がいっそう必要とされる現在、
僕は音楽活動の中にその可能性を見出します。
努力を重ねて、
ライブに出演するとき、
曲を発表・配信するとき、
そこには自己と他者の承認が伴います。
不本意もありますがやはり楽しさも。

僕は音楽活動を勧めたい。
総理官邸にドローンを飛ばすよりも
聴いてくれる人に歌声とメロディーを飛ばすほうが
ずっと気持ちがよいですよ^_^