まとめきれないので、関連したところを挙げて置きます。

イエスに出会った話は、金百文のパクリであることが分かりました。

どうりで、時と場所が符合しないはずだ。

それに、日本留学についても???なところが解って来た。

とにかく嘘ばかりなので、辻褄が合わなくなるのです( ´艸`)

後ほど、整理しましょうか・・・いつになるかわかりません(笑)

京城商工実務学校時代の文教祖

文教祖的血統転換についての雑感(10)

コメントより

12. Re:こんがらがってます・笑
>ナツミカンさん

>文教祖は、日本に入国した日付ですが、39年説、41年説あるようです。
どちらが本当なのでしょう?

あせらず一つ一つ整理していきましょう(^^)
私などは、このテーマにもう5年もやってます。
その間、み言葉をふくめ資料が一つ一つみつかっています。

・小学校(国民学校)の卒業年度をいとこが16歳で卒業し、ソウルに上京したと証言。
・山口浩著では、ソウルの学校を1939年(昭和15年度)に卒業していることになっています。(証拠:卒業アルバム)

・文教祖はソウルの学校を卒業して、故郷(定州)の警察署長に日本へのビザ(渡航証)を出してほしいと頼んだが、なかなか出してもらえなかったとみ言葉で語っている。文教祖は卒業してすぐにでも日本に行きたかったが、ビザが出ないので、仕方なく日本に密航したのでは?と言う説もある。
密航ではないかと思われるのは、日本渡航に使った「昌慶丸」の出航時間が夜中2時40分になっているが、当時昌慶丸は夜中の便は存在しない。等々・・・

「釜山・下関間の連絡船の時刻表」
 1130釜山発 0715釜山着
 1145釜山発 0730下関着(1日2本のみ)
 (十五年十月十日改正版より)
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10783823713.html
当時、朝鮮人は渡航証さえあれば船に乗れた。料金は三等室で10銭だったらしいので、そんなに高くない。料金で夜中の船で密航する理由がない。

・山口浩氏は著書の中で「1939年から1941年の行動がなぞだ」と書いています。(ソウルの学校を卒業(1939年)して、東京の学校に入学(1941年)するまでの期間が空白期間だと)

・(新事実!)み言葉の中で、文教祖は16歳で親から「見合い」を勧められたといっている。
ソウルの学校を卒業したので、見合いを勧められたと思われる(文教祖の故郷(定州)は男が早婚)

これも記事でまとめないといけませんね。
ちゃぬ

 

 

真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(4)

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-a059.html

文鮮明 特高のスパイ疑惑 ③統一教会の資料から

文鮮明 特高のスパイ疑惑 ④なぜ「江本龍明」という名を隠そうとしたのか

 

文鮮明は日本留学時女と一緒だった?!

>1941年2月27日のイエス教会卒業時の集合写真

>1941年にイエス教会を卒業してから1ヵ月後、彼女と文鮮明は留学のために一緒に日本へ渡った。

文は日本滞在時、朝鮮の民族運動または他の何かで警察に逮捕されたことは一度もない

      ↑

特高に毎月捕された!って~話は、ハッタリかぁ~大嘘付き文鮮明!

 

猫頭山イエス様顕現記念日

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E9%AE%AE%E6%98%8E

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E7%B5%B1%E4%B8%80%E7%A5%9E%E9%9C%8A%E5%8D%94%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8

 

 

https://ucqa.jp/archives/832