神様の弱点ブログさまより


144●2015年9月11日8時58分コピペ
サム、朴の証し、

私は、億万長者で統一教会の創始者であり、人類のメシアであると宣言した文鮮明牧師の隠し子(または、最近の記事に叙述された”愛の子ども”)です。私の母は、スンWチョイで、とても有名な63階建ての金色の本部として知られている、今でも世界で一番大きな金で覆われた建物を持つ韓国で2番目に大きな保険会社、韓国生命保険の前所有者、権威ある百万長者の貴族、チョイ家の子孫です。

私は、巨万の富と狂信、偽善の世界に生まれてきました。私の人生は、あたかも、お金、セックス、権力、陰謀に満ち溢れた韓国ソープオペラのドラマのように解釈することができます。私は、権力がどのように腐敗し、絶対的な権力がどのように完全に崩れ破壊するかを直接目撃しました。私は人が、善なる意図を持って始めても、結果としてはその手段を常に正当化してしまうという狂信的な正義感でもってねじ曲げられ、地獄への道がどのようにして敷かれていくのかを見てきました。その結果、私を日陰で生きるという人生(私の人生の大半がそうでしたが)へと運命づけた、私の誕生を取り巻く環境による拒絶や秘密の心理状態が理解できるようになりました。

私は、ジョージワシントン大学で、歴史の学士を持ち、副専攻科目に哲学と心理学、そして、同大学の財政学の経営学修士を修めています。この10年間、私の父と統一教会運動との、1999年に交わされた守秘の約束に端を発している件で、あれこれの形で、法廷で争ってきています。

かって私は、私の母と同じように、私の父、文鮮明牧師は、人類のメシヤであると信じるように教えられていました。私の母は彼女の母(私の祖母)によって統一教会に導かれましたが、私は彼女とは異なって、そこに生まれてきたのです。ですから「改宗の経験」や家族との関係を絶つとか、それ以前の生活をあきらめるといったことを経験していません。教会が私の人生でしたが、自分について何かが違うと感じてはいました。そして、それは私が12才の時、自然に姿を現しました。それは、私の実の両親は、文鮮明牧師とサンWチョイだということです。私が私の両親や兄弟だと(ボーヒパクとその妻、キスクヨン、そしてその子供達)思っていた人々は、私の父に、私の誕生から私を育てること、そして私の本当の両親は誰かを秘密にしておくことを命令されていたのです。それは、強制的な詐欺でありましたし、父が母に約束しながら成されていない数多くの事があり、それが、統一教会運動に対して私たちが法廷で争っている核心なのです。

私の母の文牧師との関わり合いは、彼女が17才の時、父が強制的に母の処女を奪った1953年に始まりました。その時、父は、母が彼の永遠の花嫁、又は、統一教会用語で「真の母」になるよう運命付けられているので、大天使ルシファーが若いエバにしたことを元返しするために、母と性的関係を持たなくてはならないと説明しました。父は、聖書でのエバは、エバが17才の時に大天使ルシファーによって誘惑されて、それが聖書に記述されている人間の堕落の本当の原因だと教えたのです。

まず最初に、父の初期の霊的運動の発端から、私の母の家族(チョイ家)が担った中心的役割を理解せずして、私たちの、私の父と統一教会運動との関わりの内容を理解することはできません。教会員やそうでない人たちのどちらにとっても同様に、チョイ家族の「隠れた歴史」が意味するものは、説得力ある意義深いものです。

1953年に私の父が私の祖母に会った時、父は彼女の名前から、祖母が父にとってとても重要な人物になることを知っていました。祖母の名前はダクサムリーで、文字通り「3を達成する」と訳します、それは韓国の標準からいっても、かなり奇妙な名前でしたが、教会のメンバーにとっても意味の深い名前でした。なぜなら、原理の中心的教え(統一教会の信仰的体系)、創世紀1:28、生めよ、殖えよ、創造物を主管せよ、という3大祝福を表していたからです。

チョイ家の豊かな富の故に、私の祖母は50年代、60年代を通して何百万ドルを寄付することで、初期の統一教会の主要な財政後援者でした。実際、初期の頃の教会では、祖母によって助けてもらわなかった人はおそらく一人もいなかったことでしょう。祖母は統一教会で、とても愛すべき人物だったわけです。今日のドルに換算すれば、50年半ばの100万ドルは、おおよそ850万ドルに相当します。50年代初期に百万ドルする館を売ったのに付け加えて、教会に収入を寄付し、祖母は1973年に亡くなるまで何十年も膨大な金額を寄付し続けました。

私の祖父、スンモチョイは、その時代の相当の実力を持った実業家でした。祖父は26才までに自力で億万長者になり、(当時の百万ドルはたいした額でした。)そして、財産を作ったり失ったりを3度も繰り返したにもかかわらず、祖母が統一教会に入った1950年初期には、何十億ドル級の大企業に成長する可能性を秘め、それを成就していった、シン・ドン・ア グループ(チョイ家の所有する複合企業体)の基礎を固く築き上げました。祖父のビジネスが拡張するにつれて、彼の影響は、韓国、ソウルの権力への道へと繋がっていきました。当時の大統領パクチョンヒーの個人的な要請で、ワシントンDCにアメリカとの貿易交渉をリードする為に何回も遣わされました。祖父は、パクチョンヒー時代には、ブルーハウスの直接電話線を持ち、アメリカでの経済アドバイザーの評議会に似た組織の長を務め、経済政策について大統領に近しくアドバイスしていました。

私の祖父は、エリートビジネスグループを築き、祖父の個人的に近い友人であるサムソングループの創始者であるピョンチョルリーの次に、韓国で2番目(税金の支払額で判断すると)のお金持ちになりました。ところが、面白い事に、この韓国で最も裕福な二人が会って昼食をすると、たいてい最後にはビジネスではなく、家族とか子供のことについて話すことになってしまうのでした。これは、祖父がどのような人柄であったかを物語っています。彼が成し遂げた成功や権力にもかかわらず、祖父にとって何が最も大切かというと、子供達や従業員たちが幸福であることでした。祖父は、心底、謙遜で崇高な人物であり、彼の世代では最も道徳的な実業家であると思われており、それこそが私と母が最も尊敬する理由なのです。

この家族が保持していた地位を考えれば、私の父が何故チョイ家の支援を得るのに夢中になったかが容易に理解できます。私の祖父の支援で、権力への道(ブルーハウス、韓国大統領官邸)、そして財源への道が、父の初期の運動に大きく開かれたかもしれないからです。そのようなちゃんとした後ろ盾によって、父がどれほど高く昇れたか測り知れません。私の父にとって、チョイ家は、父のメシアとしての夢を成就する為の冠の宝石だったのです。統一教会員ではない人にとっては、次のことは馬鹿げたことに聞こえるかもしれませんが、まあ、聞いて下さい。私の父は繰り返し母に、神はチョイ家を通して人類歴史全てを”完了”しようとしていると言っていました。父は、私の祖父が歴史的大天使の立場に立っており、私の二人の叔父(私の母の弟達)は歴史的カインとアベルの立場にあり、そして私の姉と母は(二人とも、祖母が1953年に教会に入ったすぐ後に入りました)、歴史的なレアとラケルの立場に立っていると信じていました。



私の父は、聖書のヤコブの人生をモデルとして、血のつながった姉妹と結婚して、彼女達とそしてその侍女たちとの間に、12人の息子をもうけるべきだと信じていました。それで、ヤコブのように、父は最初、年上の姉(私の叔母)と1960年に結婚し、7年後に離婚して、その後もっと気に入っている妹、私の母と結婚することを計画していました。1960年が近ずくと、教会のほとんどのメンバーは、父の私の叔母と母の二人との結婚の計画を知っており、私の母が統一教会の本来の「真の母」であることを認めていました。父によると、もし父が父の使命を正しく遂行するとしたら、ヤコブが行ったことをモデルとして、チョイ家の家族の中でのこのような重大な関係をきちんと行う必要がありました。

しかし、不幸なことに、父の過剰な性衝動のせいで、何人かの他の女性との意図しない妊娠を引き起こすことになり、叔母の父への信仰は地に落ち、ついには、1959年末の公式な約婚のすぐ後に統一教会を去ってしまいました。私の叔母が婚約を破棄した後、父は急降下していきました。7年に及び育んできた父の使命の中心的な関係は、あっけなく蒸発してしまいました。それに対して自分自身の責任を認めるよりもむしろ、父は私の叔母と、チョイ家が父を失敗させたといって責めました、これは、自分以外の人全てを責めるという典型的な 文鮮明の責任転嫁のやり方です。しかしながら、父は、それによって、窮地に立たされました。「天のスケジュール」を守り、40才になる1960年の春には結婚しなくてはならなかったのです。教会員は、40という数字は、宇宙的に重要な意味を持っていると信じており、ほぼ4ヶ月という期間の間に、早急に花嫁を見つけなければならなかったのです。

これはまさに跳ね返りです。これが、基本的には、父が韓鶴子、現在の文夫人、を妻として選んだ背景に、何があったかということです。私の叔母達の“裏切り”を、父の権威と願いに対する個人的な反抗と信じた為に、チョイ家族から拒絶されたと感じることで、ハクジャハン、現在の文夫人を選ぶことになったのです。新しい花嫁を見つける唯一の規準は、彼女は、「無名[普通の人」であり、結婚するのに両親の許可が要らない娘であるということでした。10代の娘として、ハクジャハンは、賢くて働き者で可愛い娘でしたが、彼女にとって不幸なことは、無知で冷酷な母がいたことです。彼女の母親は、統一教会に入り、台所で奉仕する事になる前に、同姓セックスのカルトに参加しており、既婚の男性との間で起こった情事の結果ハクジャハンを生んだのでした。ですから、ハクジャハンは、彼女のシングルマザーとその男性との不法の情事の産物だったという状況下の犠牲者だったのです。彼女の実の父が自分の子として主張しなかったので、両親の許可については問題ありませんでした。

1964年に早送りすると、私の父にとって、世界を制覇するという壮大な計画はうまく進展していませんでした。1960年に成されたメシアと完全な花嫁、ハクジャハンとの聖なる結婚の4年後ですが、世界はほとんど気づくことはありませんでした。これを理解するためにはまず1960年のメンバーの一般的な信仰を理解しなくてはなりません。会員たちは、真実、私の父とハクジャハンが結婚するなり、奇跡的に天が開き、世界がかしづき、父をメシアとして、そしてその妻を全人類の真の母として認めると考えていましたが、これは、カルトにありがちな魔法をかけられたような考え方の兆候です。しかしながら、現実は大きな幻滅でした。誉進、彼らの長子、は最初の「天の王子」として宣言されるはずでしたが、結果として女の子でした。ハエジン、3番めの子は、産まれてすぐ亡くなりました。メンバーはなかなか増えず、経済的にも未だ困難でした。これは、この期間、富と影響力を広げ繁栄していった私の祖父との明白な相違でした。父はハクジャハンと結婚したことは間違っていたという結論に達し、道を修正して、チョイ家との本来の計画(チョイ家の摂理)に戻る必要がありました。

1964年の春に、私の母のジョージタウン大学で学士課程を修める為にアメリカへいくという決意は、即座に父をして彼の計画を実行に移させることになりました。母は、心の底からソウルの父から離れて、いくらかでも文夫人に息がつける余裕をあげたかったのです。1960年にハクジャハンが父と結婚してからというもの、彼女と母はとてもお互いに気まずい思いをしていたのでした。というのも殆んどの教会員がハクジャハンは、彼女には決して予定されていなかった立場を占領していたことを知っていたからです。これが、ハクジャハンのお母さんが、彼女に父との息子を出来るだけ多く産むように勧めた理由です。なぜなら、一人二人と息子が増えていく事によって、父に対してのコントロールを強めることができると知っていたからです。

それにもかかわらず、父は決意を固め、計画を確実にするために、そして母を失わない為に、1964年、韓国、ソウルのチョンパドン[当時の教会本部]の部屋で内密の統一教会公認の儀式をして、母と結婚しました。父にとって、これがどんなに重要な賭けであったか解るでしょう。もし母がアメリカに旅立てば、母を失い、また、それによって、チョイ家の富を利用する可能性を失うことを恐れたのです。そして又、私の祖父の報復から父と教会を守る唯一の道は、私の母の父と教会への忠誠心と献身だったので、母を失うという事は、現実的に父が大きな危機に直面することになるのです。それに、父にとって最も重要なことは、統一原理によれば、私の母と結婚し、母に子供を持たせることによって、父がヤコブの人生やその路程をモデルとして、天の指令を勝利的に成就することでした。

それで、母がアメリカに着くやいなや、父は、母を妊娠させるというたった一つの目的のために、”全てを危険にさらして” (これは私の父自身の言葉です)、1965年、すぐに母を追ってアメリカに行きました。父が母の側を離れたのは、母が妊娠したという確認をした後で、私は次の年の1966年1月に生まれました、その後のいきさつはご存知の通りです。その頃の事態の真相は、私が生まれる時までに、父が、チョイ家の摂理に戻るということを明確にさせたので、文夫人が私の母のために、父の妻や「真の母」としての彼女の立場を退く用意があると、私の祖母に伝えたことです。ところが、ハクジャハンを退けて統一教会でいう「真の母」としての正しい立場に私の母を立たせるという父の計画を全うするのを妨げたのは、母の思いやりだったのです。母は、ハクジャハンの可能性を信じたかったし、また、女性として、ハクジャハンや彼女の4人の子供達を退去させるような事は、とても出来なかったからです。後になって思えば、もし母が今知っていることをその時知っていたら、もっと大きく違ったアプローチをしていたことでしょう。私が生まれた後、父は母ともっと子供を持ちたがったのですが、母はそれを拒否しました。なぜなら、私の祖父や世界から秘密に隠されておく為に、その後生まれてくる子供達が母から取り上げられ、他の家族に育てられるだろうことに心を痛め、耐えられなかったからです。

私が今説明したことは、統一教会の真実の隠された歴史です。歴史的記録を正すためにこの壇上に立つのに、長くかかりましたが、ついにこの日がきて、この秘密からの重荷をおろすことができたことに、ほっとしています。統一教会や統一教会の「真の母」としての文夫人や、「真の子女」としての彼女の子供達、また、統一原理による合法的後継者を巻き添えにすることを思えば、なぜ統一教会運動がこの情報を覆って隠しておきたがったのか、又、秘密を維持しておこうとして、異常なまでに長い法的な時間を費やしたのか、容易に理解できます。母が統一教会の正しい「真の母」であることを証すのは、そんなに難しくありません。というのは文夫人は、1966/1967年の時間枠の中で、私の母に彼女の位置を譲る準備をしていた時、すでにそうしていたからです。しかし、莫大な富と特権や絶対的権力のへつらいの世界に覆われた時間の経過の中で、ハクジャハンがどのように若い頃の良心的な態度を失ってしまったか容易にわかります。それに加えて、彼女自身の母親によって育てられた悲しい現実、そして、今日、彼女を非難するほとんどの子供たちを、しっかりと育てる技を全く磨く事ができなかったのかが、簡単にみてとれます。統一教会運動に対しての正当な相続人であるという私の主張の真価は、私の誕生のタイミングと状況を見てもらえばとても簡単明瞭です。もし、ハクジャハンが統一教会運動の真の母として運命づけられていたなら、なぜ私の父が、「神性で聖なる」結婚から抜け出して、私を生ませたのでしょうか?そしてなぜ、その時、父は私の母に、そうすることは「全てを危険にさらす」と言ったのでしょうか? 私の見解を披瀝すれば、それは、統一教会の感覚でいうと、私はかなり重要な宇宙的な男ということになって、それが何人かの私の義理の兄弟たちが、私を嫌うか無関心を装う理由のひとつです。それは私としてはかまいません。何故なら彼らのそうした態度は、文家の親から子へと受け継がれている悪弊の濫用、自己陶酔型人格障害の傾向、そして勘違いの絶対的考え方(彼らは特別で、それ故にメンバーを虐待してもいい)などから来ているからです。そして、彼らのこのような考え方や態度というのは、私には同意できないものですから。



さてどうか考え違いをしないで下さい。私は、次のメシアやその類の何かになろうと運動をしているのではありません。それは、率直に言って、関心がないだけでなくて、他の人を犠牲にしておいて、人より優れているとか、特別だと感じなくてはならない必要性に苦しんでいるわけではないからです。私は痛ましいまでに、自分の限界を知っていますし、神に近づくために誰もが私を必要としていると考えることもなく、よくわきまえています。自分が「特別」だとか、神が何を望んでいるかを知る深い洞察力があるとか、信じたり主張することは、完全なエゴの確認に向かっての不安定であてにならない下り坂だからです。

私の母と私は、ほとんどの人にはとても理解することが難しい、ユニークな人生を送ってきました。私たちにとっては、私たちだけが知り得る唯一の人生ですので、他と比較することはできませんが、客観的に外から眺めて見ると、今はそのめずらしさをそれなりに評価できます。しかしながら、私たちの回復への道は、この部屋の多くの人と同じように、長くて辛い闘いでした。愛する人たちと、人智を超えた慈悲と愛の宇宙的存在の支援なしには、やってこれませんでした。私たちは普通の人のように見え、聞こえるかもしれませんが、心の中に永遠に刻み込まれた傷跡を抱えているのです。

私の好きな引用文は、カリル ギブランからのもので、彼はこう言っています:「哀しみがよりあなたの本質に深く刻み込まれる程に、喜びを満たすことができる。」

母は17才の年に、父からの性的搾取に耐え、この同じ人の為に権威者によって逮捕され、尋問され、この人を擁護した為に10億ドルの相続を見捨て、彼の為に秘密裏に息子を身ごもり、そしてその息子を差し出すように強いられ、そして今や他の多くの統一教会員の人生と同じように、父と統一教会運動のおかげで、私たちがこうむったものに対する支払いを実施してもらう為の5年にわたる、法廷での争いの結果、抵当流れと破産に瀕しています。私の場合は、自らの自己陶酔のために、私が情的に頼ることのできない人からの承認を、長い年月をかけて求めてきました。私自身の息子を持ってみて、息子を見捨てて、ましてや息子のいない人生を生きることなど、到底想像することができないので、どんなに父の人生の選択が、悲惨なものであったかが、今わかります。私の父は、本当に悲しく悲惨な人間です。父についての結論は、これです:彼は全人類の真の父としてのメシアであると主張することができない者であり、そして、自分の息子の父親でもない。それは、究極の偽善です。

既に述べたように、この5年以上にわたって、母と私は、父と統一教会運動におかげをこうむった法廷闘争に巻き込まれています。よく聞いてください。2千万ドル(私たちの法的請求の値)は誰にとっても大金ですが、日本で、霊的恐喝によって強制的に集められた資金をとり戻す、または再請求する為に訴訟した人たちと同じように、私たちは、原則として、1953年から始まって20年以上にもわたって、私の祖母とチョイ家が献金した額に関して、請求していると信じています。繰り返しますが、献金の額は、今日のドルにすると実際2千万ドルの価値に相当してあまりあるものなので、統一教会運動はかなりの割引をされているのです。結論はこうです:私の祖母や母は、統一教会運動がこのようになったことに調印契約をしませんでした。二人とも、個人崇拝や、特に日本での多くの者が貧窮にさせられた、メンバーに対する霊的、経済的奴隷制も、承認しませんでしたし、韓国人を中心とした特権支配層が作り上げた、文家が住んでいるへつらいで作られた覆いを維持し強化することにも、同意しませんでした。もし統一教会が少しでも実行可能で法的な組織になろうと望むのなら、その名前どうりに、”統一”に立ち戻る必要があります。メンバーの大多数が何も持っていない一方で、なぜ文一家が、何十億という莫大な海外の預金をもっているのかは、欲と腐敗以外のなにものでもありません。ことわざに、“慈善は家庭で始まる”とあるように、統一教会運動が一つの世界家族を作るという創立の要求に生きる時であり、ただの口先だけの信心になってはならないのです。私たちが、表に出てきたのは、偽りになってしまった統一教会運動に参加することを止めて、自分達の力を取り戻す勇気をもつよう激励したいと願ったからです。 終わり

最後に、私が、なぜもっと早く前面に出て、ナンスクホンを支援しなかったのかについて、もう一点あります。私はただナイーブだったと、今、気づいています。父との和解のためにエネルギーを集中していました。とにかく、彼は私の生理的な父親であるから、彼の息子としての私に、父が関心を持ってくれていると信じたかったのです。それを諦めることは、最も困難なことでした。訴訟の価値よりも、法的費用に多くを費やすという法廷闘争の現実をを経験すると、そういった人たちの性質がわかるというものです。このような血縁の扱い方や、特に、私の母の犠牲は、私を本当に大きく変化させました、しかし、いくらか後になるまでそれを実感しなかったので、遅くなりました。それが私の転換が起こった時で、私が今いる所に来るのに長くかかった理由です。しかし、少なくとも、今日ここに来れたということ、それが最も重大なことです。




145●2015年9月12日15時10分書き始め
昨日、公安の人間からUC本部職員が
「おたくは、オウム以下ですね」
と、言われたそうです。 どういう意味かは、ご想像にお任せします。



~~~~~~~~~~~~~転載終わり。


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