http://30932531.at.webry.info/201201/article_17.html
イエス・キリストは双子だったのか
http://plaza.rakuten.co.jp/gokutyou666/diary/200801270001/
http://ameblo.jp/mastergundam2012/entry-11538123457.html
『イエスキリストの双子説?』
http://ameblo.jp/karamatto777/entry-12182603568.html
死ぬ前に真実を語っていた文鮮明教祖(統一教会創始者)
コメントより
5. この教祖は、低すぎてイエスには会えません
ついでにコメントします。
マリアが何故臨月に故郷から離れた場所で、誰にも見つからない場所でイエスを産んだのか?双子だという事を隠すためです。
イエスに何故たくさん兄弟がいたのか?
沢山兄弟がいると、双子だとは誰もきがつかないからです。
イエスは、30歳までインドにいかれ、最新の医学とヨガを学んだ。
イエスは、医者だったので、色んな人の病気が治せたのです。
双子の弟イスキリが、30歳まで、貧しい大工の息子イエスを演じていたのです。
イエスという人物は、一人なのですが、それを双子の2人で演じていたのです。
もし、この教祖が本当にメシアで、イエスに出会っていたとするならば、イエスが双子だったとすぐ気がついたはずです。出会ってはいないのです。
メシア論も全くデタラメなのですよ。
おそらく、
高度なみ言葉を語ったのは、兄です。
二人で入れ替わりながら神の摂理を進めていった。
弟イスキリは、愛と信仰に溢れる人だった。
だから、十字架上で人々の罪を許してくれと
神に祈る事ができたのですね。
弟が十字架上で死んで行くのをマリアとイエスは見ていたのでしょう。
肉親に対する情よりも神を愛したのですね。
誰よりも神を愛せ!
これが、イエスとマリアに貫かれた信仰なのですね。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52214521.html
イエス・キリストは本当に十字架に釘づけにされたのか?真実を検証する
一部分のみ転載。
新約聖書の福音書には、イエスが釘打ちされたのか、縛りつけられたのかについてはふれられていないが、ヨハネによる福音書には、イエスの両手にできた傷についての記述がある。
おそらく、イエスの手足が十字架に縛りつけられたのではなく、釘打ちされたという伝説につながったのは、このくだりだろう。
1、2世紀ごろに描かれたとされる外典、ペトロによる福音書では、21節でイエスの死後、その手から釘が引き抜かれた様子が記されている。また、十字架そのものを生きたキャラクターとして表わしていることでも有名である。
41~42節では、十字架が神に向かって自らの声で答える。
そして、彼らは、"眠りに落ちた者に宣言したのか?"という天からの声を聞いていた。そして、十字架が"はい、しました"と答える服従の声が聞こえた
伝説は明らかに、この福音書の極めて重要な部分から引用れている。
イエスは釘で打ちつけられたのか、縄で縛られていたのか?
この数年、イエスの手足に打ちつけられた実際の釘を発見したと主張する人々が出てきた。だが毎回、聖書学者や考古学者がこうした主張の根拠が仮定にすぎないことや、誤解であることを指摘している。
おもしろいことに、福音書ではイエスが釘づけにされたという個所はないのだ。にもかかわらず、彼らはあくまでも釘を打たれたことに固執している。
現存する古代の証拠品
磔刑が屈辱的な死に方だとすれば、キリスト教徒たちが十字架にかけられたイエスのイメージを取り入れるようになるのにしばらく時間がかかったのはうなずける。驚くのは、磔刑の初期のイメージが示しているものだ。
イエスの死を称えた、おなじみの信心深い肖像というより、この2世紀初期のイメージはキリスト教徒を揶揄する落書きとして書かれている。アレクサメノスの掻き絵という初期の落書きには、十字架にかけられたロバの頭をもつ人物と共に、"アレクサメノス 彼の神を拝む"という言葉が書かれている。
ミヌキウス・フェリクス(オクタウィウス9章3節、28章7節)や、テルトゥリアヌス(弁明16章12節)のような古代の嘲笑と共通点がある。
この落書きがキリスト教徒によるものではないのは明らかなので、2世紀という早い時期に、非キリスト教徒がキリスト教徒の信仰のコアな要素をよく知っていたことを示している。
魔術のために使われる貴石にも、イエスの磔刑の初期のイメージが描かれているものがある。この2世紀か3世紀の碧玉には、魔術の呪文のような言葉に囲まれた、十字架にかけられた男が描かれている。
また、指輪に加工された別の紅玉髄にもやはり磔刑のイメージが彫られている。コンスタンザの貴石として知られるこの石は、紀元4世紀にさかのぼるものだと見られており、このイメージは、釘では落ちてしまうせいか、イエスの手首は釘ではなく、縄で縛られているように見える。
こうした古代の証拠品があっても、イエスが十字架に釘で打ちつけられたのか、縄で縛られていたのか、明確な答えは得られていない。伝説はこうした共通のイメージをなぞっている。
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十字架磔について・・・。
釘か縄かの判断は、重要なことでもあると思います。
十字架には釘で打ち付けられたということが、一般的に教えられていた内容です。
それに対して違和感があったことは、長く感じていたことでした。長らくカルト組織関連の内容を記事にしていたので、イエスに対しての真実に関しては、気を留めることは少なかったので少しばかり、調べて見ました。多くの方が記事にしているので、まとめて判断しやすく非常にありがたいです。
記事を見て、やっぱり・・・という感じを受け、ず~っと違和感があったものが抜けたようにも思います。
釘では体重支えられない!ということを、記事にしている方も随分いましたので真実はということは気になっていました。今回でハッキリと自分の中でも判断!
わざわざ、厄介な釘でなんて打ち付けないでしょう。
縄で縛られて槍で刺された・・・これが真実に近いところだと思います。
>処刑の方法としての磔に終止符を打ちます。結局のところ、芸術と伝承においてイエスの死をもっとも強く思い起こさせる、十字架の心に残るイメージ
であって、釘か縄かの問題ではありません。
そうですかねぇ~?
某カルトの妄想と同じになっちゃうでしょう。イメージで通用するなら・・・、キリスト教も、イメージの植え付けはあるってことですね。
調べて見れば、聖書は人間虐殺本だというのが見えて来るところでもあります。多くの人間に対してのイメージで作り上げられた内容でもあり、映像に出て来るイエスは白人という設定が多いのが現実でもあり、キリスト教を通しての侵略がなされていたことも知ることとなりました。
イエスからの召命は「自覚」だけだったというのが、某組織カルト教祖の真実なのです。イエスから直接啓示があったように伝える方が、イメージ付けにはもってこいです。
キリスト教もイエスを、釘で打ち付けたさまを想像する方が強烈なイメージ付けになります。
カルトでのイエス路程では、その状況を細かに修練会で語っていましたが、違和感が当時からあったなぁ~・・・。ウソが多かったということになります。
「十字架には釘ではなく縄で縛られていた」こちらが正解だと個人的には思います。
by.ナツミカン
http://ameblo.jp/mastergundam2012/entry-11538417730.html
『運命の分かれ道 レンズ豆』
いるイエスとは接霊できませんよ。
イエスは、仏教や神社神道などでも高い霊界の人には、現れた事がありますよ。
神社神道の霊能者に現れた事がありますね。
その時は、イエスは、双子だったという事、弟の方が十字架にかかったとおっしゃいました。
マルコによる福音書14章50~52まで読んでみて下さい。3弟子が逃げた後、もう一人若者が残っていて、服を脱ぎ捨てて逃げて行ってますね。
それがもう一人のイエスです。
もしつかまっていたらイエスが2人いたと解ってしまうので、歴史にキリスト教は存在しません。
兄の方は、生きていたので、十字架にかかった後、かなりの人が目撃し、イエスが蘇ったと思ったのですね。
双子だったという事を最後まで隠すこと、これが神命でしょう。
双子だったというのがトリックですね。