P. 279-282 Afterword – Pak Chong-hwa

あとがき

 私は一九八五年からこの原稿を書き始めた。

『野録・世界基督教統一神霊協会史』と表題も決めた。日本流に言えばさしづめ『ドキュメント・統一教会史』といったところである。

 目的は、文鮮明と十三年間にわたって行動をともにした記録を克明に書き遺し、その虚像を多くの人に知ってもらうためだった。再臨メシアを自称する文鮮明のおよそ宗教人にあるまじき行為を、統一教会創設の前後、私は最もよく知り得る立場にあった。

 

とりわけ、身辺に多くの女性を侍らせながら、復帰原理を名目に人妻であれ学生であれ、片っ端からセックスを行ない、妊娠させた娘を日本に密航させて出産させた事実など、人間として許せることではなかった。

 しかし当時の私は文鮮明の直弟子であり、結果的に彼女たちが幸福になってくれればと、原理の教えを信じて見守るよりなかった。

 文鮮明の悪行を知り過ぎた私は、一九六二年、彼の卑劣な裏切りで縁を切り脱会した。そしてほぼ二十年後、今や大幹部となった当時の同僚や部下に請われ、本部教会に足を運ぶことになった。

 

教会側の期待は、私を貴重な昔の

生き証人として利用すること。ただし一定の枠内のみについて信者の前で語らせることだった(獄中から南下するときの文鮮明の苦労話など)。私にも密かな目的があった。統一教会のその後と、苦楽をともにした大勢の信者たちの消息を知ることである。そして知り得だのが、文中で述べてきたとおりの悲劇ばかりだった。

 原理を信じ文鮮明に従えば幸福になるはずの女性食口たちは、明日の糧にも困るほど追いつめられ、生きた屍のような余生を送っている。文鮮明のために哀れな枯木となったのである。

 

 私が原稿に着手した動機はそこにあり、彼女たちもまた一日も早い出版を願ってくれた。私が知る若い頃の彼女たちは皆、豊かな財産家で輝いていた。だからこそ文鮮明につけこまれたのだが、貞操を奪われ、財産を失い、家族と離散し、子どもたちにも疎まれている現在の彼女たちには、独りで淋しい老後を送る以外に道はない。

 その原因と過程をよく知っている私は、事実を公表する義務と責任を痛感させられた。

 だが、一方で不安と懸念もあった。軍事政権という韓国の政情である。統一協会と裏で通じた陸軍の一部権力が、まともに出版を許すはずがあるまい。

 

 本書に「推薦の辞」をいただいた卓明煥さんが実例である。統一教会批判を続けてきた卓さんはある日、KCIAに拉致監禁され、生涯消えることのない大きな傷跡を背中に負わされた。卓さんはそれでも引かず頑張り続けてきたのだが、問題は私の場合である。もとより権力の弾圧や暴力は厭わないが、病み上がりで高齢(脳梗塞・現在八十一歳)の身、どこまで闘えるかだった。

遺書がわりに生命がけで書くのだから、今さら生命も惜しくはないが、出版を実現する前に殺されたのでは目的が果たせない。

 そんなわけで、ぼつぼつ原稿を書き足しながら、私は時期の到来を待ち望んでいた。

 

 時は流れ、真面目なクリスチャンの長老として人望ある、金泳三大統領が誕生した。金大統領の英断で今、韓国は目を見はるスピードで政界はもちろん、各界各層の浄化が進んでいる。 そんな折もおり、遠く仁川の拙宅を訪れてくれた恒友出版の斉藤繁人社長と出会い、心から信じて本書の出版を託すことになった。長い年月の念願が叶い、私はほんとうに喜んでいる。

 出版に当たっては、六千枚にのぼる韓国語原稿の整理分類・翻訳・執筆・編集と大変な作業が続いたが、予想より逼かに早く進行したことに驚き感謝している。

 

 紙上を借りて、改めてご協力を頂いた韓国と日本の同士たち、翻訳の金基銑さん、釜山から日本の大学へ留学している金芝英さん、恒友出版の木下さんほかのスタッフの皆さんに衷心よりお礼を申しあげたい。

 私は本書の印税を、文鮮明の犠牲となって老後を苦しむ人たちの救済にお役にたてばと、寄附するつもりである。

 最後に、本当の幸福をつかめないまま物故された、「文鮮明と統一協会の犠牲者」たちの霊に、深い祈りを捧げたい。

一九九三年十月吉日

朴 正華

 

 

 


http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12177258414.html

文鮮明と統一教会の犠牲者たち(1)<深く知りすぎると邪魔にされる

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12177448951.html

文鮮明と統一教会の犠牲者たち(2)<劉孝元兄さんは手術をしなければ、もっと長生きできた

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12177550147.html

文鮮明と統一教会の犠牲者たち(3)<統一教会教義初期は淫乱なセッ*ス教団

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12177596859.html

文鮮明と統一教会の犠牲者たち(4)<『野録・世界基督教統一神霊協会史』『ドキュメント・統一教会史

 

 

 

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-11543860205.html

六マリアの真実はどこに?それは絶対的な原理の元の行為だったのだろうか?

 

http://ameblo.jp/chanu1/entry-12125608955.html

<文教祖説教より>
『先生が青坡洞にいるとき水澤里の統一産業に一日三回行くことも多くありました。一日二回は普通でした。
今から30年前でしょう? 日本の捨てた旋盤、その時72ウォンでした。それをすべて持ってきて修理をして...。ここから世界一の工場が生まれるのです。潜水艦、戦艦、大砲、戦車が作られます。そう言っても完全に信じないでしょう。先生はそんな狂人のような言葉を話すので...。そのように生きて来ました。それで外国の旋盤のようなものも輸入しました。自主的に生産するためです。生産して、バルカン砲...! 1分に3千発が出る優れた機関銃をですね...。それは機関銃です。先生が作った旋盤で作りました。歴史があるでしょう?
バルカン砲のようなものを韓国軍では1981年に製造する計画でしたが、先生は1975年に2台作りました。そのときお金がなくて麦飯も食べられなかった統一教会の立場から3億から4億以上のお金を投入して作って、それを当時の朴大統領に試射して見せたのですが、(駐韓)米軍8軍もびっくりしたのです。 「これは、米国の精鋭武器と言えるが、韓国の統一産業は何も持たずに...。これは何でもないと思っていたが、その性能はアメリカ製よりも良い」と言って問題になったことがあります。その後、朴大統領が気分が良くて「うーん...!」と言ったのです。
(韓国の)軍事産業を先生が始めました。軍事産業を指導しました。戦車も試射砲を作ってポンと撃って...。そのようなすべてのものを作って指導してきました。ですから今は、国土防衛において強大な背後を...。米国の技術団も巻き込んで、学ぶだけの基礎まで磨きました。それで韓国の国防部では、レバレンド・ムーンを賞賛しています。 「文先生の功労! 新武器開発は文先生から!」と言いながら。』

(御言選集192巻「目標と前進」1989年7月4日 韓国・一和修練院(龍仁))


(統一重工業正門)


(統一重工業の武器製造を視察する文教祖)

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2002年5月3日朝日新聞阪神支局襲撃事件「警察庁指定116号事件」時効成立.

http://s-system4.seesaa.net/article/421120075.html

【前半】「朝日新聞」と「赤報隊事件」と「統一協会」そして安倍晋三「清和会」

 

http://ameblo.jp/chanu1/entry-11085948939.html

文教祖は啓示ではなく最初から米を買いに妻子を置いて北に行く予定だった