ちゃぬの裏韓国日記

統一教会と世界支配層との関係の検証・・・
(統一教会=世界平和統一家庭連合)


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■自称「平和を愛する世界人(文鮮明)」の武器製造の歴史

表では宣伝用に「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る時」といいながら、平和団体を偽装し、裏ではせっせと武器製造に勤しんでいた文教祖(統一教会)。
信者の献金(霊感商法、高額献金)のほとんどは宗教目的ではなく、武器製造、不動産購入、統一教会関連企業の維持費に使用されました。
統一重工業は売却されましたが、武器製造は四男(国進)「Khar銃器」や、三男(顕進)「WTA(ヘリ機工場)」、統一グループ「シンジョン開発(装甲車・特殊車両)」「TIC」等に受け継がれています。



以下、平和を偽装する宣伝・偽装用二枚舌の文教祖説教。

『世界が戦争という名のもとに費やしているお金がいくらでしょうか。人類は今、歴史と後代の前に、実に恐るべき罪を犯していることを自覚すべき時です。一つの例を挙げましょう。アメリカが過去三年の間、イラク戦争につぎ込んだ戦費がどのくらいになるか御存じですか。約二十兆円(二千億ドル)に迫っています。・・・なぜ私たちが、互いに殺し合う戦争に、このように途方もないお金をつぎ込む愚かな蛮行を続けなければならないのでしょうか。聖書のイザヤ書第二章四節の教えのように、今や、「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時です。人類はもうこれ以上、戦争のための戦争に子女たちの命を犠牲にし、天文学的なお金を費やす悪業を繰り返してはなりません。世界のすべての国家の力を総動員し、大宇宙の主人である神様が願われる平和理想世界王国創建に、総邁進すべき時が来たのです。』
(平和メッセージ1「天宙平和連合創設大会時のメッセージ」より 2005年9月12日 NYリンカーンセンター)

『皆さんは、共産世界を迎えて闘わなければなりません。父母の立場から先生が闘うことはできません。また銃や刀などの力をもって闘うことはできません。愛をもって闘わなければなりません。
(「真の御父母様の生涯路程6」より)

『私たちの手で、国連の上院議員をつくらなければならないというのです。誰がこの腐りかけた世界を支えるのでしょうか。銃や刀ではだめなのです。父母の心情…、愛だけが可能なのです。先生にこの仕事を成せる実力があると思いますか? ないと思いますか?(あります!)どうしてあるのでしょうか? 皆さんがしなければならないのです。』
(世界平和統一のための理想世界 1999年1月4日 ウルグアイ・プンタデルエステ)

『イエス様が天地を思いどおりにできたなら、天下の第一人者になったはずです。ところがそのようにするときは、暴君のように銃や刀で威嚇して強制的に屈服させてはいけません。それが何なのかも知らず、万民が屈服できる人格の圏をもって成されるのです。
(天国の拠点はどこか 1971年8月29日 韓国前本部教会)

敵を討つのに銃や刀で討つようになっていません。より大きな愛でなくては敵を討つ道がないと見るのです。だから、その怨讐を愛していってこそ、本来の創造理論に合格した神様の位置に登場することができるのです。なぜかと言うと、サタン、悪魔の天使長も本来、創造当時には神様の愛を受けるようになっていたからです。』
(必ず行かなければならない運命の道 1982年10月17日 韓国本部教会)

共産主義は私たちとは反対に強制的に絶対命令するのです。銃や刀を使ってです。私たちは武力ではありません。自ら進んで、銃や刀の威力より数十倍感謝する心で、絶対なる神様の愛主義の主権を、永遠に永遠に続けなければならないのが、今後の統一教会の伝統です。
(天宙解放宣布式 1999年5月14日 ブラジル・パンタナール)



<統一グループ「統一重工業」防衛産業製品(武器・銃部品ほか)カタログ(1996年)>
※統一重工業は2003年に赤字倒産したためS&Tグループに売却
http://oldcar-korea.tistory.com/392


▲▼カタログでは、K-55(M109)自走砲とKM-9戦闘装甲ドーサー車両、K-200装甲車に入る変速機などの動力伝達装置を紹介しており、他にも天馬対空ミサイルとK-9自走砲車両に搭載されると見られる変速機もあります。


▲左側上から地雷散布機、F-5戦闘機に搭載されている20mm機関砲、20mmバルカン砲、K-6 12.7mm機関銃、艦艇用に多く使われる40mm L70ボフォース砲、装甲車両に装着する煙幕弾発射機です。

▲すでに白紙化されたことですが、K100韓国中型航空機に入るいくつかの駆動装置を開発する予定だったようです。


<文教祖説教より>
『先生が青坡洞にいるとき水澤里の統一産業に一日三回行くことも多くありました。一日二回は普通でした。
今から30年前でしょう? 日本の捨てた旋盤、その時72ウォンでした。それをすべて持ってきて修理をして...。ここから世界一の工場が生まれるのです。潜水艦、戦艦、大砲、戦車が作られます。そう言っても完全に信じないでしょう。先生はそんな狂人のような言葉を話すので...。そのように生きて来ました。それで外国の旋盤のようなものも輸入しました。自主的に生産するためです。生産して、バルカン砲...! 1分に3千発が出る優れた機関銃をですね...。それは機関銃です。先生が作った旋盤で作りました。歴史があるでしょう?
バルカン砲のようなものを韓国軍では1981年に製造する計画でしたが、先生は1975年に2台作りました。そのときお金がなくて麦飯も食べられなかった統一教会の立場から3億から4億以上のお金を投入して作って、それを当時の朴大統領に試射して見せたのですが、(駐韓)米軍8軍もびっくりしたのです。 「これは、米国の精鋭武器と言えるが、韓国の統一産業は何も持たずに...。これは何でもないと思っていたが、その性能はアメリカ製よりも良い」と言って問題になったことがあります。その後、朴大統領が気分が良くて「うーん...!」と言ったのです。
(韓国の)軍事産業を先生が始めました。軍事産業を指導しました。戦車も試射砲を作ってポンと撃って...。そのようなすべてのものを作って指導してきました。ですから今は、国土防衛において強大な背後を...。米国の技術団も巻き込んで、学ぶだけの基礎まで磨きました。それで韓国の国防部では、レバレンド・ムーンを賞賛しています。 「文先生の功労! 新武器開発は文先生から!」と言いながら。』

(御言選集192巻「目標と前進」1989年7月4日 韓国・一和修練院(龍仁))


(統一重工業正門)


(統一重工業の武器製造を視察する文教祖)



以下、世界日報の記事なので「武器製造」を美化して書いていますが、統一教会の武器製造の歴史は大体わかると思います。


<「世界日報」2014年8月10日記事>(機械訳)
http://www.segye.com/content/html/2014/08/10/20140810001651.html

■中古旋盤機械1台で一軍防衛産業...自主国防基礎準備
[文鮮明総裁聖和(逝去)2周年特別企画 - 技術立国の基礎を築いた]

(上)統一重工業神話を作る

慶南昌原公団の統一重工業(以下、統一)は、業界の伝説に通じる。韓国屈指の防衛産業体の統一は1960~80年代の精密機械工業の先導者であり揺りかごとしてよく知られている。統一が胎動する頃、国内精密機械分野は、不毛地と変わりなかった。ここで訓練を受け、熟練された2万のエンジニアが、業界のあちこちに進出し、現在の韓国機械工業の基礎を築いてきた。

統一を設立したのは他でもない、文鮮明総裁だ。宗教指導者である文総裁がどのような理由で機械工業を起こしたのだろう。彼は「世界を動かす強い大韓民国」の土台を作るという信念を持って生きてきた。殺傷兵器を売って事業しようというのが文総裁の目的ではなかった。文総裁は、速やかに、世界平和を定着させなければならないという平和思想の伝達者であり、信念の指導者であった。

(統一産業昌原工場を訪問し、工作機械の生産ラインを視察している文総裁(1983年1月))

特に、当時、北朝鮮の南侵脅威が常に存在した。そんな韓国の実情で一日も早く防衛産業を育成して頑丈な国防を固めなければと文総裁は強調したりした。


◆自主国防の基礎を成す

統一重工業は「鋭和散弾空気銃製作所」が始まりだ。 1959年12月、政府の最初の認可を受けた。市場さえ形成されておらず、今後の事業の見通しが不透明だった時代だった。

貨幣改革前の1962年当時文総裁は日本人たちが使って捨てていった旋盤機械を72万ウォンで買った。続いて統一教会本部として使用中のソウル龍山区青坡洞の日本家屋の練炭倉庫に運び込んで「統一産業」という看板を初めて付けた。しがない旋盤機械一台がのちの統一の母体となった。

海外から来た技術者たちを中心に文総裁は、10年以上かかる開発期間を3年に短縮する成果を成し遂げた。工作機械の製作に成功した後に空気銃と旋盤、付属機械などを大量生産することができる能力を備えるようになった。 60年代半ばには、京畿九里市の一和製薬の場所に移した。続いて、あの有名なM1小銃と同じ型の空気銃を作って、当時、大統領府に納入し、1969年には堂々と納品契約をすることができた。

1973年慶南昌原市外洞に工場敷地を購入し、本格的な生産設備を備えながら防衛産業体として乗り出した。毎分3000発を発射することができる対空防衛用のバルカン砲を国内で初めて開発した。 125㎜重機関銃、航空用20㎜機関砲、30㎜対空砲、40㎜艦砲と軍装甲車および自走砲用変速機を相次いで開発し、軍に供給した。韓国は自主国防の基礎を準備することができた。


文総裁は、エンジニアの技術レベルを一段階アップグレードする必要性を痛感した。 1978年9月、世界の科学技術の最強国であるドイツのデュッセルドルフに「ヨーロッパ経済技術情報センター」を設立した。エンジニアを留学・派遣して教育した。 1981年から1986年までドイツ有数の工作機械と自動車部品メーカーなど4社も買収した。エンジニアの教育が主な目的であった。

1978年6月の統一は、工作機械の総合専門メーカーとして指定された。 1979年の機械精度1級メーカーとして指定され、1984年1月には工場横の東洋機械を買収して「(株)統一」に商号を変更しながら、本格的な超精密工作機械の量産体制に入った。

1982年には人がいない無人工場の稼動が可能な高性能産業用ロボットを国内で初めて開発し初公開した。当時、このロボットは、日本でも開発を放棄したものだったので、当時、国内外の業界の話題になった。

1991年(株)世一重工業に商号を変更したのに続き、1995年に中型航空機開発事業への参加とともに統一重工業(株)に再び商号を変更しながら、車両、精密工作機械全部門ISO9001の認証を受けた。

(昌原市外洞の統一産業昌原工場全景(1981年))


◆統一はエンジニア養成所

この頃、統一重工業のレベルが、完成車の生産技術を備えることになった。当時、政府が、完成車の生産許可を与えなかったため文総裁は、統一の技術者を1年に3分の1ずつ交換するように指示して、核心エンジニアが同種業界の全ての分野に進出した。これにより、「統一は人材養成所」という別名を聞くこともあった。業界の常識では理解できない文総裁唯一の経営方式であった。しかし、これは遠い未来の韓国機械工業の同伴発展を見据えた布石だった。

技術者が流出すると、親会社は滅びるという通例を破って、他の完成車業界に技術を移転する効果を生んだ。すなわち「私のところでだめなら他社でもできるようにするという技術分割運動」を全国で初めて開いた人物である。

統一重工業は1994年ごろ、中国の航空産業総括機関である「航空工業総公司」傘下の「南昌飛行製造公司」と「航空機生産及び運航に関する協力契約」を締結し、民間航空機製作事業に本格的に進出した。

当時、統一重工業の主な生産品目は、工作機械と無人自動車工場の柔軟な生産システム、トランスミッションなどの自動車変速機と車軸のほか武器用である軍需用防衛産業製品だった。特に統一が作るバスと貨物トラック用トランスミッション(変速機)は、わが国(韓国)の自動車メーカーも納品を受けなければ工場の稼動を停止しなければならないほど、関連業界の依存比重が高かった。

しかし、このような会社の成長は、強勢な労組が生まれて試練を経験する。

1984年に買収した東洋機械工業の労働組合員は、新たに発足した統一重工業を基盤に勢力を拡大する。これらは昌原地域労組連合を結成して、韓国の機械工業と防衛産業のメッカである馬山と昌原地域を労働運動の本拠地として活動するようになって工場の諸経営に打撃をもたらした。

1987年を前後して工場がある昌原大通りでは火炎瓶が乱舞する戦場を彷彿とさせる、暴力を伴う労働組合員の激しいデモが連日続いた。工場は稼動を中断しなければならず納品を受けられない自動車関連業界も操業に支障をきたすなど波紋は全国的に影響を及ぼし膨大な経済的損失をもたらした。

続いて、様々な核心部品が不足して連鎖被害を受けた機械と自動車関連業界は、自己救済策として部品の輸入と、独自の生産ラインの設置など会社の経営はさらに困難に苦しめられた。しかし、生産ラインは停止できなかった。赤字を甘受しながら操業を支えてきたが、結局1998年に襲ったIMF危機で再び直撃弾を受け、同年11月末に不渡りを出してしまった。

そんな中でも文総裁は、当時27%に過ぎない統一の株式持分にもかかわらず、不渡り直前まで500億ウォンを超える新規資金を投入し、かなりの量の統一が所有する不動産を残すなどの責任を果たした。

似たような状況で責任回避と資金隠匿、潜伏する他社の代表者と責任者たちの姿とは大きく対照的に見えた。したがって、統一はむしろ正道経営として調査すら受けない自由な立場にもなった。

統一重工業の不渡りをはじめとして、ほとんどの系列会社も倒産処理される痛みを経験している。統一重工業と主力系列会社である韓国チタニウムなどが他の企業に売却され、一和や一信石材、一成建設は、法定管理の末に回生された。

当時、統一は、核心企業を取り戻すために5000億ウォンもの莫大な資金を追加支出するなど、直接損失額だけでも1兆ウォンに達する相当な困難を耐えなければならなかった。

文総裁は不良会社売却と構造調整など回生努力として2005年に専門知識と企業経営実力を備えた直系(の息子(国進))に経営全般を譲った。続いて、グループの黒字転換と安定した運営体制を固めたというのが昌原公団業界の評価だ。

当時、統一重工業から1990年まで工作機械の電子制御装置の生産責任者として勤務しながら、会社転換期を見守らなければならないと言ったジュ・ジャンヨン(62・安養市WE ONE代表)氏の証言である。 「文総裁が統一産業を作ったのは、特別な理由がありました。これは、会社の利益のためだけではなく、韓国の機械技術の発展が全世界の技術グローバル化につながるよう『技術平準化』をなすのが彼の夢でした。」

彼はまた、「文総裁は(他界して)肉体は離れましたが、大韓民国の産業発展を通じて世界のすべての国が平和で幸せに暮らせる基盤を用意しようとした彼の意志を実現するために、後世の人たちも互いに小さな力でも補う努力が必要だ」と指摘した。

一方、統一重工業が、今では新しい主人を迎え、S&T重工業という名前で、自動車エンジン用部品を生産している。当時(1987年)の統一の主要協力業体として出発した鋭和工業(株)が、今ではTIC(株)(代表ジョン・ボンチェ)という名前で堂々と統一の技術命脈をつないでいる。
(昌原=アン・ウォンジュン記者am3303@segye.com)


「統一教会<武器製造の歴史>(2)」へ続く




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