P. 265-270 Eu Shin-hee

六マリアの一人だった

劉 信姫 ユ シンヒ

一九五四年から数年間、六マリアの一人。文鮮明の原理を信じて復帰を受け、五~六人の男性とも復帰を実践した。いま回顧して「ぽんとうに愚かだった」と後悔し、「文鮮明は死んで当然の男だ」と断言している。

 ――劉信姫さんは釜山の影島で、ご主人の辛聖黙さんや五人の子どもさんと平和に暮らしてい  た。それで文鮮明の布教集会に部屋を貸したんですね。

〔劉〕 そうです。一九五三年の十二月二十四日でした。最初は三日間だけという約束でしたが、結局二十日間にもなってしまいました。そのとき、いとこの劉孝元・孝永兄弟、いとこの劉孝敏さんたち、頭の良い人たちが入信したので私たち夫婦も入信しました。

 ――心の底から文鮮明の説教を信じたわけですか。

〔劉〕 再臨主の偉い人だと思っていましたし、詳しくは理解できませんでしたが、とにかく頭から全部信じてしまったのです。

 ――それでまもなく、夫婦でソウルへ行きましたね。子どもさんたちはどうしたのですか。

〔劉〕 主人が先に家を出て行ったので、私が家族会議のように、子どもを集めて話したのです。

 「お父さんもお母さんも、メシアのためにとても忙しくなった。それであんたたちの面倒を見ることができなくなった……」

  上の子は中学二年生で、一番下の娘はまだ六歳でしたが、五人の子どもたちは理解してくれ て、手をつないで孤児院の中へ入っていきました。

  ほんとうに可哀相なことをしました。それから

七年間、孤児院で暮らすことになったのです。

 ――もう四十年近く過ぎましたが、いま子どもさんたちは?

〔劉〕 皆クリスチャンとして、普通に真面目にやってくれています。でも末の娘とはよくもめるのです。

「お母さんのせいで教育もまともに受けられず、たいへんな貧乏生活を送らなければならなかった」

と、私を責めるのです。

 ――文鮮明と復帰のセックスをした女性で、こうやって顔を出してインタビューに応じてくれた人は、おそらく劉信姫さんが初めてだと思いますが、今の心境は?

〔劉〕 今まで外部の人に沈黙してきたのは、子どもたちに復帰の事実を知られるのが怖かったからです。私はもう年齢が年齢だから耐えられても、子どもや孫への悪影響を考えると……。

  本当はとても恥ずかしいことなのですけれど、

やっぱり死ぬ前に事実を明らかにすべきだと思っています。

 --文鮮明との復帰について詳しく話して下さい。

〔劉〕 女食口の一人に唆されて、夜遅く真暗な文鮮明の部屋へ行きました。そこで復帰を受け たのです。私の場合は、ほんの短い時間で、アッという間に終わりました。サタンの血を浄めるためには、あと二回復帰を受けなければなりませんでしたが、私は一回だけでやめました。

 ――それはなぜ?

〔劉〕 文鮮明はいろいろな女との関係が多くて、次はいつ私の番が回ってくるかわからなかったし、嫌な話を聞いたからです。

  それは私と同郷の女性に、かわいい娘がいまして、小さい頃から手をつないで山や川へ行ったり、教会へ祈りに行ったりしていたのですが、その娘が大学生になったところで、

文鮮明が 自分の部屋へ連れ込み、復帰という名目で、

処女だった娘の貞操を無理

やり奪った、

というのです。その娘は泣きながら私に話してくれました。

  いくら復帰という名目でも、やることはセックスの行為です。うら若い娘を傷ものにしたことに変わりはありません。それで私はあと二回の復帰を断念しました。

 ――文鮮明から復帰を受けたあと、劉さんは何人かの男性と復帰しましたね。

〔劉〕 その当時は、文鮮明から復帰を受けた女性は他の男性を復帰しなければいけない、と教えられ信じていたからです。だから五~六人の男性と復帰しました。

 ――ところで、劉さんは六マリアの一人だった、と朴正華さんが書いていますが。

〔劉〕 六マリアの話は聞いていましたが、誰がそうなのかは知りませんでした。だから私がどうなのか、自分ではよくわかりませんでした。

 私より立派な女の人がたくさんいましたし、文鮮明のまわりにはいつも、三人ぐらいがベッタリ付いており、私とは格が違う人たちだと思っていましたから。

 ――その三人とは誰ですか?

〔劉〕 辛貞順*、李順哲*、梁充信さんたちです。文鮮明がことのほかかわいがり、後に財産を 狙って財閥と結婚させた林英信*さんが入ってきたのは、そのあとからです。

 ――文鮮明は次々と新しい女性を身辺に弥らせていたそうですが、女性同士のゴタゴタはなかたですか。

〔劉〕 ありましたよ。女ですから嫉妬や独占欲は当然あります。それで女同士の激しい争いがあったときなど、文鮮明がそういう女性を殴ったこともありました。

  そして肉体も財産も奪って用済みになった女は、どんどん身辺から追い出してしまうのです。

 私も追い出された一人です。

 ――六マリアはその時どきの定員で適当に入れ替わって、結局は財産や新しい女が目あてだったのでしょうか。新旧交替は文鮮明の独断で行なわれていた?

〔劉〕 私たちには横のことがわからなかったのです。それであるとき、身辺から追い出された女ばかり五人ぐらいで話し合ったことがあります。その情報交換でわかったのが、実に大勢の女性に被害を与えていたことです。処女に妊娠させて子どもを産ませたり、人妻や母親と娘などの貞操を片っ端から奪っ

て、家族がバラバラになったり、裕福だった人が財産を奪われて裸然になったり。様々な悲劇が数えきれないほど続出していることがわかり、皆がほんとうに憤慨させられました。文鮮明は正真正銘の悪い男だと知りました。

 ――まともな神経ではありませんね。

〔劉〕 そうだと思います。人が集まったときなど、原理の説明は私のいとこの劉孝元が一所懸命に、汗を流してやっているのに、文鮮明は女性たちとイチャイチャしているのです。それで女の信者たちには、劉孝元の方が尊敬されており、人気がありました。その劉孝元兄さんは手術をしなければ、

もっと長生きできたと思います。医学部出身だけに病状をよく知っており、手術をすれば死ぬことを知っていました。だから嫌がったのです。

  ところが文鮮明は、「病気ぐらい本物のメシアなら治せるはずだ」と言われるのを恐れたのです。事実そんな声もありました。だから嫌がる孝元さんに、むりやり手術をさせて死なせてしまった

のです。それで、人気の高い孝元さんにトップの座を奪われることもなくなり、文鮮明はさぞかし安心したことでしょうね

 ――今、自分の過去を振り返ってどう思われますか。

〔劉〕 今思うことは「恨」の一字で、ほんとうに後悔しております。それに何と言っても子どもたちに申しわけがありません。

  私もほんとに愚か者でした。もっと賢ければ、そのときに善悪の区別がついたのに、愚かだったからこうなってしまった。今の私は夫とも離婚し、子どもとも離れて一人ひっそりと暮らしております。

 私ぽかりでなくあの頃、文鮮明の身辺で奉仕させられた女性で、幸福になった人は一人もおりません。みんな文鮮明の欺隔に編され、身も心も財産もボロボロになって、明日の生活にも困っている人ばかりです。

 そういう人たちと会って話すとき、私たちの願いはただ一つ。

「文鮮明は再臨メシアではない。死んで当たり前の男。一日も早く死んでほしい人間だ

 ということなのです。

(インタビュー・文責=編集部)

 


つづく

 

 

 

 


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