日本で内部被曝の研究がすすまなかった理由② | 食と健康を考える

食と健康を考える

食と健康に関わること、思いつくまま綴っています

引き続き、
2011年4月21日、
広島で開催された催しでの
肥田舜太郎医師の講演から
書き起こします。

    *

だから、ヒロシマ、ナガサキで被曝して
兄弟も親もみんな死んじゃった・・・
財産もなくなった・・・
行き場がない・・・

そこらへんに寝っころがって倒れていた
たくさんの被曝者が、

「私はヒロシマ、ナガサキで
原爆をあびてとても困っています。
助けてください。」っていうことが
言えなくなった。

これは、
アメリカが日本に原爆を投下したことも
たいへんな罪悪ですけれども、

それにもまして、戦争がおわって
自分のおとした爆弾で

医学で直しようもないという
大変な病気を負っている被曝者に
生きる道をとざすような
たいへん悪いことを繰り返しました。

それは、自分だけが持っている
新しい爆弾の秘密が
よその国にもれることを
非常におそれたからです。

みんなも知っているように
アメリカ軍は戦争が終わってから7年間、
アメリカの、鉄砲を持った兵隊で
実際に軍事占領しました。

私たちは戦争に負けた上、
食べ物もない
家も焼けて、ないという中から

日本の国を新しくつくるために
一生懸命はたらきました。

私は医者ですから
自然に、被曝者を
たくさん見ることになります。

(原爆投下の)あとから
町へ入った被曝者が、

かったるくて動くことができない。

ほかは、何ともないんだけれども、

元気で働いていたら

ある日突然、
たいへんなだるさがおこって、

会社へ行けなくなったと・・・

3日も4日もつづいて
やっと軽くなったから会社へ行ったら、

またその翌日、
同じことがおこって・・・

要するに
会社や工場で
働き続けることが出来ない

という患者がいっぱい出た・・・

ところが日本の医者は
大学の教授から町の先生から、

特にヒロシマ、ナガサキの医者は
みんなそうでしたが、

アメリカから・・・

被曝者を特に一生懸命診るような医者は、

何かアメリカに
含むところがあると考えると・・・

にらむお前たちは
そういう意味でアメリカから
目をつける

というふうに言われて

被曝者を親切に診るということも
困難になったと。

つまり他国の軍隊に占領されて

自分の国の政府も役人も
何の役にもたたなくなった。

そういう状態に
私たち日本人はいちど7年間、
苦しみを味わいました。

       (つづく)