母が体調を崩した のは

丁度、私が

マインドマップを学びに 

行ったり



未来手帳シェア会 や

ワークショップ を

楽しんだり



zoomでの

コーチング練習や

モニターコーチングを

連日のように

行っていた直後のことで



気温も

災害レベルに

暑い日が続いたこともあり



私自身も

かなり限界の

過ごし方を

していた頃で

あったこと



加えて

その頃には

未来手帳のシェア会も

主宰してみようかと

考えていた頃で



これ以上なく

忙しい日々でした。



それでも



今思えば



心地よい

楽しい疲れとともに

日々過ごしていたような

気がしています。



今回

母の体調不良は



幸い

自力でこなせなかった

排泄は

お薬の力も借りながら

なんとか

自分で出来るように

なってきているので



当初に比べて

随分とラクには

なっているはず、なのですが。。。



落ち着いた、と思ったら

別のところが

具合悪い



それも

突然に



ということが

続いて



私自身

どんどん

疲弊していきました。



このブログに

書いてもいいかどうかを

お聞きしておりませんので

詳しい記述は避けますが



その当時

まだまだ

介護生活が始まった

ばかりの頃は



今思えば

余裕で



何なら

この状態を

楽しんでやろう~



というぐらいに

思っておりまして



心配して

連絡を下さる方々にも



あーー、いやーー、

ダイジョーブですよーー



楽しんで

気楽にしてますから~



なんて

お返しする余裕も

あったのです。



が。



日が経つにつれ


心配して下さった方々や

介護の先輩方が

あらかじめ

予言してくださっていたとおり。




んモーーーーーッ(!!!)




と。




イライラ、MAX!(笑)




更には。



何があっても

ご自分のことを

責めないでくださいね。



という

メッセージを

下さっていた方が

いらっしゃいまして




そんなことあるかいな~と

中田カウス・ボタンさん並みに

(わかる?←雅代さん 風に聞いてみる)

思っておりましたが




まぁーーー責める責める(笑)




んモーーーーー(!)



と思うたび。



あーーーなんで~~~



こんなんじゃあ、アカン(!)



自分も責めるし

大好きな

母をも

責めてしまう。



それが

つらい。



仕事もフルタイムで

時間にも体力にも

余裕がなくなるにつれ



母が具合悪い状態のまま

出勤した日などは

自分の体調が

おかしくなりそうなぐらい

気になるし



身体も気持ちも

にっちもさっちも

どうにもならなく

なっていました。



なんでかな、と

よーーーく考えてみると



予定調和、とでもいいますか


まだ、母が

日常生活を

普通に送っている時には



生活が

通常運転していく、ということを

なんとなく、わかっているから



多少、その中で

予定をいれようが

イレギュラーが

発生しようが



生活基盤が

しっかりしている限りは



それは

想定内のこと、なのです。



が。




母が体調を

崩しはじめてからというもの。



予定調和や

生活基盤、

日常生活、というものは

あえなく

崩壊。



習慣とは?

なんでしたっけそれ?



という状況になり



毎日何かしら起こる

イレギュラー



そして



ウチの場合は



兄弟姉妹もいない

同居しているのは

私一人で



何もかも

しなきゃならん

(必ずしもそう思う必要もないけど)



という

なんともいえない窮屈な気持ち

束縛されるような思いが



ものすごくあったのです。




そんな時


ふと気になった

お一人の、MCC0期生の方



こちらも

ブログの記事に書くとは

了承を得ていませんので



ほんわりと

書かせて頂きますが



どうしていらっしゃるんだろうなぁ~と

気になったその時に

連絡をくださいました。



そして。



私の疲れきった現状を

お伝えしますと



そんな時こそ



まずは自分を

満たしてあげることを

忘れないこと



そして

一人で頑張らないこと

誰かを頼ること



そんな風に

メッセージを

下さっていました。




日常が

思いがけず

不安定な状態に

なるときには



そのバランスを

取るように



ほんの

ごくわずかな時間だけでも



自分を満たしてあげることが

何よりも最優先なのだなと




今回の経験を通じて

思っているのです。