3月11日私は、1人で自宅から20キロほど離れた横浜市のセンター南にいました。
あの地震が起きた時はいつもお世話になっているマッサージの先生ところにいました。
余震が続いたのでしばらくいさせていただきましたが、ずっとそちらにいるわけなには行かないので、少し落ち着いてからセンター南の駅に向かいました。
駅周辺は一部停電していて、電車も完全にストップ。
駅にいる人たちの話を聞いていると、公共の交通手段では帰る手立ては当面確保できないのがうかがえました。
ただ、もしかしたらまた大きな地震があるかもしれないので、人の多い駅で待機していました。
しかし、時間が経つにつれ駅に人が増え始め、
帰る手段やこれからどうなるのか?を不安そうに聞く人や、
全く先が見えないけど、必死に現状を繰り返し伝える駅員さんとのやり取りを見ていて、
自分のことは自分でと、歩いて田園都市線のあざみの駅に向かうことにしました。
途中、iphoneのAPPで電車の運行状況を調べ続けましたが、どの電車も完全にストップ。
そして246の大渋滞を見たときに、タクシーも期待できないなと思いました。
道路標識の『渋谷 18km』を見て、フルマラソンの半分以下、歩けない距離ではないなと思い、ひたすら歩いてみることに決めました。
携帯電話は地震直後から電波の制限をされていて、通話もメールもできませんでしたが、唯一インターネット回線は使えたので、
渋谷で働いていたダンナとはツイッターでやり取りをしました。
ダンナもt-boardのみんなも、yu-yuさんも無事の様子。
携帯の充電があともう少しでなくなりそうでしたが、ひとまず連絡が取れ、安心して歩を進めました。
歩きながら『また大きな地震があったら・・・』とも考えましたが、そうなったら何処にいても同じ。
ならば少しでも自宅の方へ向いたかったのです。
そして普段、昼にパートに出ている母が、帰宅難民になっていないかと心配がよぎっていましたが、公衆電話はどこも長蛇の列、連絡が取れたのは19時ころでした。
母はちょうどお休みの日で家にいたとのこと、安心しまた歩き続けました。
途中から足が棒になってきたので、少し休もうかな・・・と思ったのですが、なんだか休むと一気に疲れが襲ってきそうだったので、
溝の口まで!多摩川越えるまで!もしかしたら二子玉川でバスやタクシーに乗れるかも!と自分に言い聞かせながら歩き続けました。
ようやく都内に入ると、帰宅する会社勤めの人で歩道が混み始め、バス停には長蛇の列ができていました。
道路は相変わらず渋滞しているし、バスに乗るには相当な時間がかかりそう。
それに、乗れてもギュウギュウ詰めに・・・
結局4時間ほどかけて、自宅まで歩ききりました。
自分のことばかりになってしまいますが、
こんなときにもかかわらず、同じ方向に歩いている人に負けまいと、必死に歩いてしまうこのオカシナ自分の性格に感謝。
朝出かける時、3月にもかかわらず、見てくれよりもフード付きのダウンコートを着て、
ウォーキング用の一番歩きやすい靴を履いていった自分に感謝。
そして、何事もなく家に帰ることができたことに感謝しました。
これが、あの日のワタシのハナシです。