褒め言葉を受け取れないのはなぜか? | 三日月は瑠璃色

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芸術家です

しとしとと雨の降る夜です☔

今晩は、三日月です🌙


2月も今日でおわりですねぇニコニコ


さて、今日はいつもと趣向を変えて

「褒め言葉を受け取れないのはなぜか?」

ということを書いていきたいと思います。

長文です。


私は、子ども時代あまり

親から褒められたことがなく悲しい

自信のない子どもだったので

誰かに褒められた時に

「私、褒められてる!?滅相もないです❗」

と思っていて、

逆に褒めた相手を褒めちぎったりしていました泣き笑い


自己評価が低かったんですね、

自分はまだまだだとずっと思っていて

いつももっと頑張らなきゃ

と思っていたので、

「今の状態で褒められるわけがない」

と思っていたんです。


じゃあいつになったら

褒められる状態になれるの?

というと、

完璧に勉強も出来て

失敗もしない

非の打ち所のない人間になれたら

と思っていたのですが、

頑張っても頑張っても完璧なんてなれません悲しい

そのたびにまた、

「自分てなんてダメなんだろう…」

と思っていました。


しかし、

人が人を褒める時って

「この人のこんな所、良いなニコニコ

と思った時なので、

完璧だから称賛する、とかだけが

褒められることじゃないですよね。


人が自分のことを「良いね」と

言ってくれているのに、

褒め言葉を受け取れないというのは、

褒めた方は残念な気持ちになりますよね。


私も、褒められることに慣れませんでしたが

成長するにつれて、

褒められるとうれしく、

褒め言葉に対して

照れつつも「ありがとうニコニコ」と

言えるようになれました。


自分のこともいつも

まだまだなんだから頑張らなきゃ

と叱咤していましたが、


いつまで自分のこと叱り飛ばすの?

私は私なりに頑張ってるじゃないえーん

とだんだん思えて


もっと自分に優しくしても良いんじゃないか?

と思えるようになりました。


いまは、完璧じゃない自分でも良いじゃない?

と受け入れられるようになれたし、

以前より自分が好きになれたし、

「自分の味方は自分でいよう」

と思っています。

褒められたら、純粋にうれしいですほっこり


そう言えば、

褒め言葉を受け取れないなんて

こじらせる前は、

小学校上がる前の頃ですけど

虹🌈を見た時

「キレイ✴️おねがい」と思ったんですけど

「虹を見て、キレイと思える

私の心もキレイ✴️おねがい私、最高爆笑

と思っていました笑


今は、その頃の自分をちょっと

取り戻せている気がしますニコニコ


人って子どもの時は純粋だけれど

成長するに従って

こじらせたり

悲しみに打ちひしがれたり

色々なことがあって

純粋な自分が覆われて

しまうこともあるけれど

根っこのところでは

純粋な部分は変わらないのかな

と思います。


なので、褒め言葉を受け取れない人は

自分で自分に厳しくしてしまっているのかな…

と思います。

それか、「自分なんて…」と思っていて

自己評価が低いのかな…。

褒められるような良いところが

ある自分を自分で認められて

褒められることをうれしいと

思えるようになれたら良いな

と思いますにっこり


大丈夫です。

あなたは褒められるに値します。

褒められる自分の良いところを

自分でも認めてあげてねおねがい


長文になりましたが、

ここまで読んでくださり

ありがとうございます流れ星