前回は、境界線の働きと、
適切な境界線を育むために子ども時代に
必要なことについて触れた。

 

今回は、それが叶わなかった人たちが抱える

問題や、境界線を引けるようになるためには

どうしたらよいかをまとめてみたいと思う。

 

前編はこちら

 

 

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境界線に問題を抱える人たち

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適切な境界線を育むことができずに
成長した人を、本書では、

  • 迎合的な人
  • 回避的な人
  • 強引な支配者
  • 操作的な支配者

の4つに分類している。

 

それぞれの特徴は以下の通りだ。

 

 

迎合的な人は、悪いことに対して

「はい」と言ってしまう。

  • 「ノー」と言って自分を守ることが
    できない。
  • 過酷な良心の言いなりになり、
    罪悪感に屈してしまう。
  • 自分の選択ではなく恐れで動き、
    むやみに責任ばかりを負ってしまう。

 

それとは対照的に、回避的な人は、
良いことに対して「ノー」と言ってしまう。

  • 人に助けを求めることができない。
  • 差し伸べられた手を断ってしまう。
  • 自分の問題や当然の必要を、
    何か悪いもの、破壊的なもの、
    恥ずかしいものと感じる。

 

迎合と回避の両方を持つ場合もある。

 

その人は、「逆転した境界線」と
呼ばれる状態に陥っている。

 

必要な場所に境界線がなく、

あるべきではない場所に境界線を

持っている。

 

 

一方で、人の境界線を無視して踏み込み、

支配する人もいる。

 

強引な支配者は名前の通りでわかりやすい。

ズカズカと入り込んでくるパワハラ上司

のようなものだ。

  • 他者の「ノー」を受け入れない。
  • 他者を変えようとする。
  • 他者にも境界線があると気づいていない。

親から限度を教わらなかった人は
こうなる可能性があるという。

 

 

もう一方の操作的な支配者は、

強引な支配者ほど正直ではない。

  • 人を境界線の外に誘い出し、
    巧みに「はい」と言わせる。
  • 自分の思い通りに事を運ぶため、
    間接的に状況を操作する。
  • 罪悪感に訴えることもある。

 

私が興味深く感じたのは、

迎合または回避傾向のある人が、

操作的な支配者になることがある

ということだ。

 

よくよく考えてみれば、

嫌なことを拒否したり、

必要なものを求めることができないでいたら、

人を操作することで目的を果たそうと

するのは、自然なことのように感じる。

 

 

少し長いが、引用してみる。

 

迎合的な人は、自分を強引な支配者の
犠牲者だと思ってはいけません。
自分から進んでさあ召し上がれと
力を差し出しているのですから。


自分の力を放棄することは、
迎合者が相手を支配するやり方なのです。


迎合的な人は、強引な支配者を
喜ばせることによって支配します。


そうすることで相手をなだめ、
相手の行動を変えようとするのです。

 

 

強引な人に従わざるを得なくて

苦しんでいる人からしたら、

受け入れ難い考えかもしれない。

 

けれど、心の奥に響くものがある人も

いるのではないだろうか。

 

私はこの視点を持つことが、

力を取り戻して自分を生きるための

鍵になるのではないかと感じた。

 

 

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被害者から抜け出すための怒り

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「ノー」と言うことが大事だという本書では

境界線に問題を抱えるタイプの中でも、

「ノー」が言えない迎合的な人について

触れているところが多い。

 

これらの人が境界線を引き始めると、

内側からこみ上げてくる怒りに

衝撃を受けることがあるという。

 

怒りに関する記述を引用してみる。

 

これは多くの場合「新しい怒り」ではなく、
「古い怒り」です。

 

何年にもわたって声にならず、尊重されず、
また聞き入れられなかった「ノー」の
積み重ねなのです。

 

私たちの魂を侵し、毒してきた悪に対して

いつか真実を語ってやろうという思いが、

私たちの内側で待ち構えているのです。

 

 

ここだけを見ると、

すごい復習劇が始まりそうな勢いだが、

境界線をひくステップとして、

怒りを感じることは有効だという。

 

特に、虐待の被疑者にとって、

怒りや憎しみを感じることは、

「無力な被害者」としての場所から

抜け出すために重要だ。

 

 

しかし、湧いてきた怒りを

そのまま誰かにぶつけたり、

持ち続けたりすることを

本書では推奨していない。

 

代わりに、自分自身との間に

境界線を引くことについて

述べられている。

 

 

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自分との境界線

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境界線は他者との間だけでなく、

自分に対しても存在する。

 

自分の内側で「ノー」と言う能力が

未発達だと、境界線を引くことができず、

「自制」することができない。

 

感じた怒りを制御するのも、

自分の内面に境界線があってからこそ

できることだ。

 

その他にも、

衝動的に行動してしまう人、

課題の完遂ができない人、

自分の感情や言動に責任を持てない人

などは、自分との境界線に問題を

抱えているのだという。

 

ただ、自分自身に対して境界線を

ひくのは容易ではない。

子ども時代に境界線がひどく侵されていた
のであればなおさらだ。

 

 

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境界線を引けるようになるために

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境界線に問題を抱える人には、

愛に満ち、支援的でありながら、

助け出してしまわない人たちが

必要だという。

 

表紙に「聖書が語る」とあるように、

本書はキリスト教徒向けに書かれた

もののようなので、

「教会」の自助グループに入るか、

なければ作ることを勧めているが、

カウンセリングを受けるなども

有効だという。

 

彼らの助けを借りながら、

境界線を引くトレーニングをするのだ。

 

 

もし、職場や友人やパートナーから

都合よく使われていると感じていたり、

相手の支配的な言動で困っていたり、

時間が足りないと感じていたら、
 

トレーニングを積み重ね準備をした上で、

境界線を引くための言葉を適切な形で

相手に伝える。

 

相手が境界線に問題を抱えていた場合、

すんなりとはいかない場合もある。

そういうときにも温かい支援者は必要だ。

 

 

私たちが目指すところは、

「自分が反応した人々ともう一度一緒になって

同等の立場の人間としてつながりを確立する

こと」だと著者は言う。

 

 

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和解と赦し

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つながりを確立するというと、

相手との和解を想像するかもしれないが、

著者は必ずしもそうしろとは言っていない。

 

一方で、赦すことは必要だと述べている。

 

 

赦しとは、自分の境界線をもう一度取り払う

ことではないため、再び傷つけられることを

恐れる必要はない。

 

「これ以上は責めない」

「相手に求めていた負債の返済をやめる」

と、自分の内側で決めることだ。

 

そのため、相手と関わることも、

相手から赦しを乞われることも必要ない。

 

和解には両者が必要だが、

赦しは一方だけでできる。

 

 

これはある意味、あきらめることに

なるかもしれない。

 

しかし、赦すことによって、

相手だけではなく、相手に縛られていた

自分も解放される。

 

赦しほど境界線を明確にするものはない。

 

 

自分の中に怒りがあることを認め、

破壊的な衝動などを自制した上で

怒りを含めた自分の感情や考えを

適切に表現する。

 

それができるようになってからこそ、

赦しという境界線も引けるように

なるのだろう。

 

 

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まとめ

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ここまで、以下の点についてまとめてきた。

  • 境界線の働き
  • 「ノー」と言えることの大切さ
  • 子ども時代に必要だったこと
    • 親が注意すること
    • 拒絶される傷つきについて
  • 境界線に問題を抱える人の特徴
  • 怒りという課題
  • 自分との境界線
  • 境界線を引けるようになるために
  • 赦し

 

私にとって重要だと感じたものを

ピックアップしたため、

内容を網羅できたわけではない。

 

なにしろ、500ページ近くあるのだ。

 

家族、友人、夫婦、子育て、仕事、神

といった個別の課題についても

それぞれ章立てして書かれているので、

興味のある方はその部分だけ読まれても

よろしいかと思う。


 

 

 

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今後の個人的な取り組みについて

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正直、私自身、まだ消化できてはいない。

 

思い当たるところがたくさんあり、

ひとまとめにするのは難しい。

 

今後、曼荼羅を描きながら、

ひとつずつ掘り下げていきたい。

 

 

最後に、琴線に触れた部分を

引用して終えたいと思う。

 

主体的な人たちが表に出すのは、

自分が何を愛し、何が欲し、何を目的とし、

何を大切に思っているかということです。

 

何を嫌い、何を好まないか、何に反対し、

何をしないかによって名の通ってる

人たちとは大違いです。

 

 

力とは、あなたが要求するものではなく、

あなたが表現するものです。
 

力の究極の表現は愛です。

力を誇示する能力ではなく、

抑制する能力です。

 

感情を行動に移す必要はありませんが、

それを表現することは必要です。

言うべきことは言えるように練習する
必要があります。

 

 

 

ミカヅキ🌙さと子

 

読んでいただきありがとうございました💖

 

 

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