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そんな訳で。

3月11日を選んで、産まれてきた息子くん。



最初、陣痛が来た時はただ単に“3年記念日”を選んで来てくれたんだなぁって嬉しかった。



けどまさか、こんな大変な日になるなんて。



沢山の命が失われて、混乱が続いて、悲しみの中に産まれてきてくれたこの子。



だからこそ、人一倍、周りを笑顔にできる人間に。誰かの悲しみに気づき取り除く事ができる人間に。


そんな思いから


“結仁”という名前には


“仁(ヒト)と仁(ヒト)や、仁愛、仁義を結ぶ架け橋になる役目を担ってほしい”

という願いを込めました。





そして、さっそく。




結仁は、大きな親孝行をしてくれました。




散々ブログで弱音を吐いてきましたが…あせる妊娠結婚を反対され、実父に絶縁されたまま、今回出産となり里帰りもできない状況でした。



けど、出産後。

「何万人って人の命の、生まれ変わりなんだから、大切に育てなさい。今、こんな事態で食べ物も無いんだから。



帰って来なさい。」


と。


実父との絆を、結仁が繋いでくれました。





本当に本当に。





今、幸せです。





この子を産めて、本当に良かった。





産まれてきてくれて、ありがとう。
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そんな訳でなんとか分娩台にあがって、内診。
子宮口9㌢。
 
 
馨さんは私の頭側に座って、ずっと手を握っててくれた。助産師さんに飲み物出してあげてって言われて、何度も飲む?って聞いてくれたけど、一度も飲まなくてごめんw
 
 
本当はDVD撮るつもりだったみたいだけど、空気よんでひたすら励ましてくれた。
 
 
そんであと1㌢を広げるために、陣痛に合わせていきむ。
けど、まだいきみたい感じは弱くうまくいきめない。
 
なんか力を入れる場所が、いまいちよく分からない。
 
なかなか開きそうもなかったので、NSTつけて様子を見る。
 
仰向けが辛くて、体制を横向にしてNSTをつけてもらう。…ってあれ?横向になったら急激に痛みが強くなる。
 
 
 
それと同時に、最初のいきみたいって感覚なんて比べものにならないくらい、めちゃくちゃいきみたくなる。
 
けど、まだ9㌢だからいきんじゃダメなんじゃないかと思って、でも、いきみたくていきみたくて…ってしてたら、また赤ちゃんの心拍数がさがる。
 
 
 
酸素マスクつけられて、吸引の準備がされはじめてた。吸引も赤ちゃんの為とは思っても、できれば自分の力で産みたくて、とにかく酸素を吸う。
 
 
いきんでいいのか悪いのか、誰も教えてくれなくて←
 
なるべくいきまないように、足の力をぬいてみたりとか深呼吸とか、したいんだけどそれもできない。
 
 
助産師さんの
「(17時)23分全開。」
 
って声が聞こえて、もういきんでいいの!?って、勝手に判断していきむ。
 
 
怒られなかったから、多分、いきんで良かったんだと思う。
 
 
それから、助産師さんの呼吸に合わせて何回かいきむ。
 
そのうち、頭がマタにハマった感覚が分かったけど、いきんでもいきんでもなかなか出ない。
 
 
そんで、先生登場!
 
 
会陰切開したら、つぎのいきみで産まれるよって言われる。
 
 
けど、助産師さんが次じゃ無理かもって言ってて、先生はいや次で…って言い合いwだったら絶対、次で産もうって思う。
 
 
 
いつ切開したのか、もう痛くて分かんなかったけど、とにかくこのいきみで絶対産もうって、思いっきりいきむ。
 
 
 
したらやっと頭が出たらしく、もう力抜いてハァハァハァの呼吸してって言われたけど、まだ何か引っかかってる感じがする。
 
 
 
やっぱり肩が引っかかってるからもう一回いきんでーって言われて、いきんだら
 
 
 
 
 
 
 
「オン ミャー!!!」
 
 
 
 
 
 
 
って、泣き声。
 
 
17時35分
元気な男の子を出産。
 
 
 
へその緒がついて、血だらけのまま胸に抱いて、カンガルーケア。
 
 
 
最初、なんて言うのかずっと考えてたのに、ただただとっさに
「ありがとう。ありがとう。」
ってしか言えなかった。
 
 
 
 
血だらけで、頭の形も変わっちゃってたけど、それでも可愛くて可愛くて仕方なくて、胸の上で泣き止んだ姿は愛おしくて愛おしくて。
 
 
 
 
で、あんまり最後出番の無かった馨さんを見たら、号泣してた。ありがとう。
 
 
 
 
 
 
 
 
そんな訳で、私でも産めたよ。
 
今、とても幸せです。
 
 
 
 
 
 
2011年3月11日
 
17時35分
 
2676㌘
48㌢
 
戸邉 結仁 (とべゆいと)
 
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↑まだへその緒がつながったままの時。
 
 


ここから時間は曖昧なんですが...(´・ω・`)



助産師さんは居なくなって、部屋で馨さんと二人になる。
4~5分間隔でくる強い痛みと、その間の痛みもだんだん強くなる中、息み逃しのためにテニスボールで会陰押し上げを馨さんがしてくれて、かなり助かったし、心強かった(/_;)!

もしこれが一人だったらって思ったら、正直産めなかったんじゃないかって思うかも。


けど、相変わらず間隔の間は元気で、弱い痛みの時は部屋をぐるぐる歩いたりしてて、助産師さんに笑われる←


多分14:00すぎくらい?
部屋でNST装着、だいたい4分間隔。
助産師さんによる内診で、子宮口6㌢。
陣痛が来てる間は、7㌢開いてるらしい。

息み逃しを誉められたらので「ありがとうございます。」って言ったら、冷静だねとまた笑われる(´・ω・`)←


夕方から夜くらいには産まれるかなって言われた。
若いから早いねだってさ~。



それからまた、だんだん痛みも増してもう、強い痛みも弱い痛みの差も無くなったのが、だいたい3分間隔になった頃。



14時46分
東北地方太平洋沖地震が起きる。



それでも遠慮無しに陣痛は続いて、身動きもとれなくて、ひたすら揺れの間はしゃがみこむ私の上を馨さんが覆い被さって守ろうとしてくれた。ほんの数秒だったかもしれないけど、すごく長く感じた。馨さん、ずっと大丈夫、大丈夫って。


もしこのままこの建物が崩れて、この子を守れなかったらって思ったら悔しくて泣きそうになって、それでもそんな馨さんの姿見たら、絶対産まなきゃって思って、また泣きそうになった。




助産師さんが走って来て、全部のドアを開けて大丈夫ですかーって声かけてて、出られなくなったら大変だからってそれからはドアを開けっ放し。


それから揺れが収まって、余震は続いてたけど助産師さんが来てくれて、NST装着。



もう問いかけには、うなずくか首を降るしかできなくなるくらい、痛い。



けど、“いきみたい”には繋がらない。



そのうち複式呼吸ができなくなって、赤ちゃんの心拍数がさがる。

足の力抜いて赤ちゃん通してあげてーゆっくり呼吸してーって言われて、とにかく酸素を送ってあげたくて、赤ちゃんが苦しくないようにって意識したら、急にいきみたくなった。



「いきみたくなりました。」


「…うん、冷静だね(笑)」



ま た 笑 わ れ た 。




じゃあ移動しようかって、陣痛室を通り越してスグ分娩室に。



それまで何回余震があったか分からないけど、分娩室着いて分娩台にあがる瞬間、大きめの余震。よろけて助産師さんと馨さんに支えられる。



本当、すごい時に産まれてくる子だなって、うん、やっぱり私冷静だったかも←


あ、長いよね←
続く~。