ベルリン歴史散歩 | * たびばな * 旅好き女子のあちこち歩き

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主に鉄道でヨーロッパ34カ国、世界57か国をぐるぐると駆け回り、とにかく歩き回った、充実した旅の記録です。いろんな人に出会ったり、いろんなものを食べたり、旅のワクワクを少しでもおすそ分けできれば嬉しいです。持ち物やルート、予算についても情報いっぱい。

2009年 3月 4日。

 

さて、昨日に引き続き、今日も、ベルリンを思い切り観光してまわります。

 

ホテルの朝食はコンチネンタル・ブレックファスト。ところで、ドイツ語圏 (おもに、ドイツ、オーストリア) のコンチネンタル・ブレックファストにはゆで卵がつくことが多いですね。これも地方柄?

 

 

今日は午前中、まず Museumsinsel 博物館島 へ。

 

博物館島と言っても島ではなく、ベルリンを流れるシュプレー川の中州のこと。 5つの博物館や美術館が集まっている地区で、世界遺産にも指定されています。

 

ビザンチン美術などを扱う ボーデ博物館。

 

 

 

ギリシャ・ローマ時代を扱う 旧博物館。

旧博物館は、ベルリンで一番古い博物館です。

 

 

 

今日は、博物館島にある 「 Pergamon Museum ペルガモン博物館 」 に行ってきました。

 

ギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術、イスラム美術などを扱う博物館なのですが、名前の由来となっているペルガモン大祭壇やバビロニアのイシュタール門などを 「そのまま」 展示している、すごい博物館。

 

 
 

ちなみに、博物館島は 2010年完成をメドに改修工事のまっただなかで、ペルガモン博物館の外観はまったくわからず、でした。

 

 

入ってすぐの展示場にあるのは、この博物館の白眉、ペルガモン大祭壇 (ゼウスの大祭壇とも)。

 

ドイツ帝国宰相ビスマルクが、トルコから 2万マルクで購入し、ベルガマから解体して持ち込んだ大祭壇。大戦後、一時はロシアに持ち出されましたが、その後、ドイツに返還されました。

 

祭壇をそのままの形で展示。すごい迫力!

 

 

 

 

 

実際に祭壇に上ることもできます。

 

 


この手の美術品としては、大英博物館でギリシャのパルテノン神殿の彫刻群などを見ていますが、さすがに祭壇丸ごととなると、スケールが違います!

 

遠くの国にある 「建築物」 を解体して持ち込んで、博物館内に復元展示。

なんだか、感覚的にピンと来ません。

 

ここには、そのほかにも、エーゲ海の古代都市から持ち込まれた 「ミレトゥスの市場門」 や…

 

 


バビロニアの 「イシュタール門」 などが、やはりそのまま復元展示されています。

 

 

 

色鮮やかなタイルでできた門や壁はとても美しくて、しばしバビロニアの古代都市をぼんやりと思い描こうとしてみたり。

 

 

とはいえ、ここはドイツ、ベルリン。

ここでバビロニアの古代都市の様子を思い描くのには限界がある。

 

やっぱり、こういうものは、その国の風土と切り離された時点で、価値とか魅力が半減する気がしてしまいます。

 

もちろん、トルコやイランに行かなくてもこういうものが、素晴らしい状態で見られるということは、私たちにとってはとても嬉しいことなんだけど。

 

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博物館島から川を渡って、市内を、テレビ塔のあるアレクサンダー広場へ向かいます。こちらはベルリン大聖堂。

 

 


テレビ塔のふもとに到着しました。

なんか、雰囲気はなんとなく大阪の通天閣?

 

 

もちろん、丸い展望台にはエレベーターで昇ることができます。

 

 

真っ赤な建物は市庁舎。

 

 

 

さて、もういい時間。お腹も減ってきたことだし、テレビ塔のふもとにあったレストランでランチを取ることにしました。

 

ドイツビール、オニオンスープ、そして、ベルリン名物、カレーソーセージ!

 

 


ソーセージがかなり大きい!これがメインの料理だもんね。

 

食事のあとは、ベルリンで一番美しい広場と言われる ジェンダルメンマルクト広場 へ。映画 『ラン・ローラ・ラン』 でも、ローラがここを疾走していました。


コンツェルトハウス をはさんで、左側がドイツドーム、右側がフランスドームだそう。

 

 


ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 の本拠地であるコンツェルトハウス。

なにやら可愛げなバナーがでていました。

 

 
 

広場をぐるりと回ったら、その足で、チェックポイント・チャーリーへ。


チェックポイント・チャーリーとは、ベルリンが東西に分割されていた 1945年から 1990年までのあいだ存在した検問所。「チャーリー」 自体に意味はなく、 「C 検問所」 という意味です。

 

2000年に検問所の小屋などが復元され、2006年には、かつて壁があったところで無料の屋外展示が開始されました。

 

 

 

 

付近にある壁博物館のオブジェ。

当時、壁を前に、なすすべもなく、こうして空を見上げた人が何人いたのでしょう。

 

 

 

 

こうやって検問所や壁のあとを見てみても、1つの町が壁によって 2つに分けられて、それぞれ別の国に統治されたということが、頭では分かっても、どうやっても自分の中でリアルになりません。

 

それくらい、理解を超えた横暴だと思うのです。

でも、世界では、未だ 戦争が絶えず、2つに別れた国があり、壁に分断された地域がある。

 

世界中の人々が、こうして人類の過去の失敗を見て知っているのに、それでも人間は、過去から何も学ばないのでしょうか。悲しい気持ちになりました。


次に向ったのは、ベルリン中心部にある、ユダヤ人犠牲者記念碑。

 

ホロコーストの歴史を残すために作られた記念碑で、2005年に完成しました。

墓石のようにも見える 2711個のブロックから成っています。地下には展示室も。

 

 

ブロックの高さはまちまちで、床も波打つように作られていて、真ん中に進むにつれてブロックが高くなり、閉塞感と不安感を感じるようにできています。どこまで歩いても、ここを抜けだせないような気分になったり。

 

また、縦横に直線的に並んだブロックの中にいると、ひとつ道を折れただけで、さっきまで一緒にいた友人がどこにいるのかまったく分からなくなってしまい、なんだか、とても怖かったです。

 

 

こういう 「不安」 「恐怖」 などを体感することで、ほんの一瞬だけでも、犠牲になったユダヤ人たちの苦しみを感じられるという意味でも、この慰霊碑はとてもよく出来ていると思います。


だけど。

そんな迫害を受けて辛い思いをしてきたユダヤ人が、今度は、パレスチナで壁をつくって、パレスチナ人を閉じ込めているんだよね? 壁の両側の通行も規制して。 まるで、冷戦時代の、ここベルリンのように。

 

なんだか、今日はいろんなことを考えさせられた一日です。

 


一日のしめくくりに、夕闇に映える、美しいブランデングルク門を。

 

 

中世の時代には城壁で囲まれた都市だったベルリン。かつては18の城門が存在していたそうですが、現在はここしか残っていません。

 

ベルリンと、当時プロイセンの首都だったブランデンブルクとを結ぶ道にあった門なので、この名前で呼ばれています。



 


 

 

Hotel Amelie

ツインルーム 一泊 40 ユーロ

 

 


 

ペルガモン博物館 € 8 (入場料)

コーヒー、マフィン € 6 (ベーカリー)

ランチ € 20 くらい (ベルリン)

チョコレート € 3 (スーパー)

夕食 € 22 (タイ料理)

本 € 10 (雑貨店)

 

※ € 1 (ユーロ) = 約 119 円

 

 

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