「ゲスで意地悪なわたし」を隠さない。 | 言葉と想いを紡ぐ人・渦巻マキの、日々のおはなし。

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どこにでもいるフツーの主婦。でも、他の誰ともちがう「わたし」という存在。そんなわたしが紡ぎ出す言葉が、どこかにいる、誰かの心に届くかもしれない。誰かの想いと、響き合うかもしれない。だから、今日もこうして書いている。

 前回のブログ。




これを書いた日の夕方。


またもや、めっっっちゃ長女にブチ切れてしまった。



次女が、そのへんに落ちていたおもちゃを拾って遊んでいたら。


長女が、

「コラッ!!それわたしの!!返せ!!」

って、取り返そうとして。




「やだぁーーー!!」

と逃げる次女を、

真剣な形相で追いかけて、

むしり取るようにして奪い返したのを見た時。



めっちゃくちゃ腹が立って。

コテンパンに怒りつけてしまいました。



その後。

まだムシャクシャしながら、

裏紙に、自分の気持ちを書き殴ってみたら。


とてもじゃないけど公開できないような、

酷い酷い言葉のオンパレード。



これ全部、


自分で自分に言ってるんだなぁ。。


と思ったら、


「なんて酷い言葉を、自分自身に浴びせているんだろう・・・」

 
って、

すごく、悲しくなった。



でも、その中で気づいたことがあった。

 


わたしは、

「優しくできないわたし」を、ものすごく否定しているということ。



どうやらわたしの中には、

「どんな人にも感じよく笑顔で接するべき」

というマイルールがあったのだ!!


今まで、自分がそんなルールを持っていることにすら、気づいてなかった。


だって、

当たり前すぎて。



「人に優しくありたい」が、

「優しくしなければいけない」という、強固な戒律になっていて、

だから、

長女の、妹である次女に対する態度が、許せなかったのだ・・・




うわー、気づいてなかった!!



「そうでありたい」のレベルでなく、

「そうでなくてはならない」の域で、

「人に対して感じよく振る舞うように努める」ことが、

息をするのと同じくらい、

わたしにとっては当たり前のことだったんだ。



職場とか、家の外の世界では、

わたしは、それをうまくやれているんだと思う。



だけど、

「優しく感じよく」って、

どうでもいい人にまで、
常に「いい顔」するくらいに、

そのマイルールに縛られてるから、

子どもが、ちょっと感情的な面、意地悪な面を見せただけで、


「許せない!!」
って

過剰に反応してしまったんだ。




もう一つ。


「無意識のうちに自分と他人を比較して、優劣つけてる自分」

「人に対して心の中でマウントをとっている自分」

が、

わたしの中に、確実に存在していて。



でも、

そんなこと考えてるなんて、なんだかカッコ悪いし、恥ずかしいことだ。

人と自分を比べるなんて、そんなの意味の無いことだし、
そんなのを気にするのは、レベルの低いことだ。

って、

わたし自身が、自分のそういう思考を否定して、

しれっと、なかったことにしようとしていた。


 「わたしは、そんなレベルの低いこと考えてるような人間じゃないですよ~」

って、

レベルの低い自分を、自分自身にさえ隠そうとしていたから。



だから、

長女が次女に対して、

上に立とうとしたり、

言葉巧みにコントロールしようとしたりしているのを見ると、   


いたたまれない気持ちになって、
腹が立ったのだ。





このふたつの気づきは、

ものすごく大事な発見だった。




そこから、


「なーんだ。

わたしってもともと、
意地悪で、
低レベルで、
他人と自分を比べて安心したりするような、ゲスな人間じゃん」

って。


なんか、ストンと、認められる。


そんな感覚につながっていった。



自分の中にいる「そういう自分」に対して、


「あ、ずっとそこにいたよね。」


「うん、そこにいなよ。いていいよ。」


「別に、そのままでいいんじゃん?」


そんな感じで、許可できたというか。



そっか、これ、隠さなくていいんだな。って、自然と思えたのだ。




どうでもいい人には、
そんなに一生懸命笑いかけなくていいし。


「あの人よりは仕事出来てるし」って、こっそり安心したっていいんだ。




枝豆も冷凍のままつっこむ!!