「こだわり」のあった子ども時代を振り返って思うこと。 | みかりんのThink different

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27歳、主婦みかりんのブログ!楽しく生きて旦那の才能を開花させ、幸せな家庭を築きます♪
ホームエステ・アンバサダー / 講演 / カウンセラー / アゲマン料理研究家 / アーティスト / 作文講師。


こだわりって言っても、

「私、えんぴつはプリキュアじゃないとイヤなの~ラブ

みたいなオシャレなこだわりではなく、

精神科的な意味です。





先日、ある人の話を聞いていて思い出したのですが


大多数の子どもが「まぁいいや」「仕方ないか」と流せることに


こだわってしまう子がいます。






「自分でやりたい」と思っていることを大人に先にやられてしまったり


「これは大切」と思っていることを大切にされなかったり、大切にできなかったり


そういう事態になった時に


泣き叫んだり、怒ったり、黙り込んだり。








誰にでも「こだわり」はあると思いますが、

その「こだわり」がふつうの社会生活に支障をきたす場合

「発達障害」に分類されることもあるようです。



大人が「大丈夫だよ」「次できればいいよ」と声をかけても

聞く耳を持たない、持てないんですね。








私も子どもの頃を振り返ってみるとそういう気質があった気がするので

(今思うと、ちょっと自閉症的な部分があったのかもしれません)

その時の私はどういう気持ちだったか、振り返ってみました。









例えば私の場合は、


1.落し物に「こだわる」

2.過ぎた時間に「こだわる」




この2パターン、あったかなぁと思います。






1.落し物に「こだわる」


これは、子ども会の行事でキャンプに行ったときの話です。



帰り道の途中、小雨が降ってきたかなにかの事情で

お母さんから借りていた折り畳み傘を使ったんですね。



で、駅について電車に乗ろうとしたときに気付いたんですが

折り畳み傘に付属でついている袋がなくなっていたんです。



袋を落としてしまったんだ、なくしてしまったんだということが分かった瞬間から

もう私の頭の中は袋のことでいっぱいになっていました。



「お母さんが使っていた袋をなくしてしまった」

「もう戻ってこない」

「もうあの袋をお母さんが触ることはない」



お母さんに怒られるとか、そういうことは問題じゃないんです。

逆にお母さんが許してくれても、自分が許せないと意味がないんです。




私にとってはおそらく、まず「お母さん」が大切なんですね。


で、母はモノをすごく大事にする、物持ちの良い人ですから

その母の使っているものを自分がなくしてしまうということはすなわち、

母を大切にできなかった、ということになってしまうんです。



その傘にしても、どこにでもあってお金で買える傘、ではなく

「お母さんが大事にしている傘」であって

世の中にひとつしか無いんですね。




その袋は後ろを歩いていた子が拾ってくれて、結果的には戻ってきたのですが

今でもその傘の色は鮮明に覚えています。






2.過ぎた時間に「こだわる」


習いごとでの遅刻がキライでしたね、ものすごく。


これも「怒られるから」とかじゃないんですよ。

自分だけ遅刻して恥ずかしいという気持ちも

多少あったかもしれませんが、あまり重要ではありません。




バレエのレッスンって、最初にみんなでストレッチするんですよ。


遅刻すると、そのストレッチができないわけですね。


本来、自分がちゃんとしていればできたはずのことを

できなかった、というのがイヤなんです。




テレビ番組の録画が2~3分遅れる、というのもイヤでしたね。

ちゃんと録画できていれば観れたはずのコンテンツが

観れないから。


1週分見逃そうもんなら、もう何分スネていたか分かりません。笑








落し物にしても、習いごとの遅刻、テレビにしても

私の場合「戻ってこない」ものに対して

強いこだわりを持っていたんだと思いますね。



戻ってこないモノ、戻ってこない時間。





まず、本人としてはちゃんとしたいんですね。

時間を守りたいんです。

落し物・忘れ物はしたくないんです。


ちゃんとしたいんです。



で、ちゃんとできなかったときに

その「当たり前に享受できていたはずのものを失ってしまった」ということに

絶望的になります。






今から思うと、なんで他の子は

「まぁいいや」「仕方ないや」と

流せていたのか、スルーできていたのかが

不思議でなりません。






だって、「流す」「スルーする」技術って

親にも先生にも教わらない
じゃないですか。




なんで、みんな流せるんですか?笑




「ちゃんとしなさい!」「遅れないように行きなさい!」とは言われるけど…





そういえば、たまに「それは気にしなくていいよ」とか

「まぁいいじゃん」とか言われていた気もしますが


「気にしなくていいこと」と「ちゃんとしなきゃいけないこと」の区別がつけられなくて

苛立ってましたね。



オトナも、昨日ちゃんとしていたことを、今日は面倒でやらない、とか

あるじゃないですか。



今はわかりますよ、その感じ。




でも子どもの頃は


「え、なんで今日は気にしなくていいの?」

「昨日はちゃんとやってたじゃん」


って思っちゃうんですよね。








あと気持ちの切替えがヘタでした。ものすごく。



切り替えることのメリットもあまり感じてなかったかも。



「は?今私は悲しいんですよ、なんでそれを感じないようにする必要があるの?」

って感じ。




大人の人は

「時間がもったいないよ」とか

「楽しんだ方がいいじゃん」とか、言うんですけどね。





「私の悲しい気持ちをもっと尊重してくれーーーーーーー!!!」

って感じだったんじゃないかなぁ。笑




で、あとから家族と楽しめなかった時間が戻ってこないことにまたヘコむ、みたいなw

どうしようもないww









本当に、ちゃんとしたかったんですよね。


完璧主義でした。


親が「ちゃんとする」人だったから、

子どもの前ではお手本であろうとする人だったから、

「まぁいいやー!」とか言わない人だったから、かもしれません。






私のこだわりの強さは18歳ぐらいまで続いていたと思うし、

今も名残りはあります。




大学生活でかなり丸くなったと思いますけどね。










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ちなみに精神科的な「こだわり」って、

一般的な例としてよく挙げられるのが


・外出前の持ち物の確認を何度も行う

・家を出るときに鍵をかけたことの確認を何度も行う

・テスト中に答えが間違っていないかの確認を何度も行う

・手を何度も洗う


等です。




これが子どもの場合だと

発達障害(自閉症、学習障害など)とされたり

大人の場合だと強迫性障害って言ったりするんだと思います。


が、私自身、精神疾患に詳しいわけではないので

専門的なことに関しては正確なことは言えませんが…。




私が昨年夏からお付き合いしているパニック障害は

強迫性障害と同じく不安障害に分類されていて

なんらかの「こだわり」を持ってしまうという点では似ています。




どなたかのご参考になれば幸いですにゃ