場面緘黙の子どもは、単におとなしいだけ、人見知りや恥ずかしがりなだけ、と言われることが少なくありません。

 

夫が先日娘の緘黙について職場の人に話をしたら「誰にだって不安はあるし、人前では緊張するし、大小あれども共通の問題だよね」というようなことを言われたようで、「確かに一理あるんだけど、それとはちょっと違うんだけどなぁ。なかなか理解してもらえないもんだね。」と言っていました。(ADHDの診断のある方が「誰だって忘れ物するから大丈夫!」って言われてモヤモヤしたというのをどこかで読んだのをふと思い出しました。こういうことなんだなぁ、と。)

 

そこで、今回は場面緘黙と恥ずかしがりやの違いについてまとめてみようと思います。

*参考にしたサイトを一番下にリンクを貼っているので、関心のある方はどうぞこちらもご覧ください。

 

まず大きな違いとして、場面緘黙は診断可能な不安障害の一種であり、恥ずかしがりというのは自然な性格特性ということが挙げられています。人見知りの場合は主によく知らない人に対して当初は距離を取る傾向がありますが、時間の経過に伴い(または、ウォームアップ期間後は)自然と話せるようになることが多いです。(場面緘黙の診断基準には、”症状が一ヶ月以上続いている”という項目が入っています。)

 

一方、場面緘黙では日常生活に支障をきたすほどの抑制(トイレに行きたいけどそれが伝えられない、特定の学級活動に参加できない、困ったことがあってもそれを学校で誰にも言えない等)があることに特徴があります。そのために人とのコミュニケーションをうまくとることができなかったり、学業や友達関係の上でも本来の力が発揮できなかったりとさまざまなレベルで影響があります。

 

場面緘黙の場合、普段はよく話す家族とでも、その場にほかの人が来た場合はとたんに話ができなくなることも多いです。(うちの子の場合は、幼稚園で私と二人だけの時は問題なく話していても、先生や園の友達がその場にいるときなどは話せなくなる、もしくはささやき声で私にだけ聞こえるような声で短く伝える、という状態でした。)

 

人見知りや恥ずかしがりの場合、その状態は過渡的、一時的であるというのに対して、場面緘黙は継続的かつ持続的であるところにも違いがあります。

このため、学校の他の子たちや先生から「話さない子」というレッテルを貼られることもしばしばあります。実際うちの子どもも先生から「声を聞いたことがない」「とにかく静か」と言われたり、クラスの他の子どもたちからも「話さない子」認定を受けていました。(ちなみに家ではとってもおしゃべりでした。)

 

話しかけられると固まったようになったり、幼稚園では感情が表情に現れにくかったりというのもありました。家ではよく泣いて笑ってコロコロ表情が変わっていましたが、学校では普段と違う顔を見られたくないという思いがあったようで、泣きたい時も笑いたい時もかなり我慢していたようでした。

 

園山繁樹先生の著書『場面緘黙支援入門』学苑社 (2022)の中にこのような一文があります。

 

重要なのは、「おとなしい」かどうかではなく、話せないことによって幼稚園や学校でたくさんの「困った」を経験していることです。p.19


*不安や緊張が高いから話せなくなる、話せないから不安や緊張がさらに高くなる、おそらくこのサイクルがあるのかと思いますが、いずれにせよ「話そうと思えば話せる」わけではなく、「話したくても話せない」状態であるゆえに困っているのが場面緘黙の最も大きな特徴だと思います。

 

 

その上で、場面緘黙のある子を早期に発見するための2つの項目を挙げられています。p.23

 

①幼稚園や学校での発話状況を行動観察し、様々な場面で話せないことを確認する

②家庭での発話状況を保護者から聞き取り、普通に話していることを確認する

 

我が子のケースを振り返ったときでも、幼稚園と家での発話状況の違いにもっと早く気がついていればと思うことが少なくありません。

私の場合は、子どもが園庭で私にひそひそ声で話したときそれを見た他の園児が「あ!○○ちゃんがしゃべってる!」と大騒ぎしたときに何かおかしいなと思ったのがきっかけでした。今考えると、最初に症状が出はじめた時から二年以上経っていたと思います。もっと早く気がついてあげられていたらと考えると、今でも辛くなります。

なので、保護者だけでなく、学校や幼稚園の先生たちにももっと場面緘黙について知ってもらえるといいなと心から思います。

 

今はひと昔前に比べると場面緘黙についての書籍や情報もとても増えてきました。(専門知識を持った心理士さんやお医者さんのいる医療機関はまだ少ない印象ですが、それでも緘黙支援についての情報はネット上でもかなり手に入るようになりました。長野大学の高木先生のはなせるTV場面緘黙の理解と支援は強くおすすめします指差し

 

リソースの一つとしての親の会もあります。一人でがんばると辛いことも、仲間や応援してくれる人たちがいればなんとか乗り切れることもあります。普段、なかなかわかってもらえないこと、どうしたらいいかわからないこと、一人の悩みはきっと他の誰かの悩みでもあります。

オンライン含め、各地で場面緘黙の親の会も増えてきているので、機会があればぜひ一度参加してみてください虹

 

 

 

 

 

 

今日は、シアトルで行われたダウン症の啓発イベント”Buddy Walk”に行ってきました。

 

 

 

なんと、会場は動物園。🐻🦒🦁

 

駐車場におりた時点で、ダウン症のお子さんを持つたくさんの家族連れが目に入ります。

もちろん一般のお客さんもいます。

 

子どもたちが楽しめるさまざまなゲームが用意されていたり、アリエルやアナ雪のエルザがいて写真撮影に応じていたり、スターウォーズのダースベイダーやらロボットみたいなのがいたり、ハロウィンばりにコスプレを楽しんでいる人たちも多くいました。フードトラックも来てた。

 

ちなみに私のお気に入りはこちら↓日本に買って持って帰りたいと言ったら家族に「どこで使うのか」と聞かれました。

 

こちらの恐竜の方たちも着用しているのが今年のバディウォークのTシャツ。

 

 

我が家は昼すぎにブースで購入しようとしたらすでにラスト1枚。しかもXLサイズのみ。

唯一着られる旦那が購入したのがこちら。

 

中央にある文字、まさにこれだなー、と思って眺めてました。

Educate(教育する) / Advocate(啓発する)/ Celebrate

 

ただ、Celebrateって、しっくりくる日本語が出てこない。

直訳だと”祝う”ってなるんだろうけど、なんかそれも違うような😑💭

個人的には、自分が自分らしくいることを楽しもう、ってイメージがあります。

夏にプライドパレードに行ったときにも感じましたが、今日も本当にみんな楽しそうだった。

 

でも、日本語でしっくりくる言葉が出てこないっていうのは、それはそれでそういう概念がその社会においてあまり一般的でなかったり定着してなかったりってことでもあるような気がしてます。

もっと普通に、違いをcelebrateできる、しあえるような社会になってほしいなと思いました。いい日本語をご存知の方がいたら教えてください。

 

ちなみに今日はBuddy Walkの参加者は園内のレストランは10%オフ。

レストランで注文するときにQRコードを見せたら店員さんは「オッケーオッケー」って感じですぐに対応してくれました。

 

場面緘黙でも、たとえばレストランで緘黙のステッカーを見せたら「あぁ、話す練習してるんだな」ってすぐわかってもらえて、気長に返事を待ってもらえる、10秒待って何も言えなかったら選択肢のある質問に切り替えてくれる、それでもダメならメニューで指差しで注文してオッケー、それがだめなら一緒にいる人にかわりに注文してもらう、みたいなことがやってもらえたらとてもいいんじゃないか、と一人妄想タイム。

 

園内の木にはこのような巨大な蝶やら青虫やらトンボやらがたくさん。

もちろん全部偽物ですが最初はちょっと驚きます😅

 

 

 

 

2023年の3月には、東京でもBuddy Walkが開催されるようです。

 

 

 

 

「啓発」というものについて考える上でも色々と刺激をもらった1日でした。

 

 

お盆を過ぎて、お店にハロウィンの飾りを見かけるようになりました🎃

季節は既に秋に向かっていますね。

一年が過ぎるのが驚くほど早く感じる今日この頃です。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

以下、9月の親の会のお知らせです。

 

日付:9月25日(日)

時間:20:30-22:30

方法:オンライン(zoom使用)

参加費:無料 

テーマ:不登校

 

 

今回は、川越不登校親の会を主宰されている木本晃子さんにゲストでお越しいただきます。

場面緘黙のあるお子さんの中には、不登校になっている、行き渋りがある、学校に行った日は疲れ果てて帰ってくる、というケースが少なくありません。そのような状況で、保護者もまたさまざまな葛藤を抱えることになります。

 

会の前半では、木本さんご自身の子育ての経験、親の会の活動の内外で考えてこられた不登校を取り巻く課題や、ご自身が大切になさっている考え方などをご紹介いただく予定です。後半は、フリーディスカッションの時間になります。

 

新学期の始まる9月、「不登校」について一緒に考えてみませんか?

 

保護者の方や学校関係者の方はもちろん、さまざまな立場の方のご参加をお待ちしております。

 

 

 


 

 

ちなみに、高木先生のご著書、『学校における場面緘黙への対応』学苑社、第四章の「具体的な介入方法」の中に「教室に入れない・学校に行けない」p.142-p.145場合の説明も詳しく書かれています。いずれの介入方法においても、本人の意思をいかに丁寧に聞き取り、それを支援計画に組み込んでいくかということを高木先生はいつも大事にされます。先生の言葉では「『その人らしさ』をどう描くか」、ということですが、

 

「今学校に行けるかどうか」よりも「将来したいこと/できるようになりたいことは何か」という視点での関わりが必要となる

      『学校における場面緘黙への対応』高木潤野, 学苑社,2017 p.145 l.7より引用

 

このことは私自身、いつも忘れずにいたいなと思います。

(木本さんのお話にも通じるものが多くあります!)

 

関心のある方はぜひ手にとって読んでみてください。おすすめの一冊です。