「クラフトマンシップの文化」を深掘りする-その21「質の高い教育を継承する人はいるのか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

問題意識の教材化(MIK)ブログ

今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



昨日の一読は「おわりに エクセレンスの測り方」までです。バーガー氏の言説には一貫したものがありましたが、本書を読み始めた頃と比べて、自分の中で共感よりも違和感が高くなってきました。


理由は単純に、バーガー氏がいわゆる「学校の先生」という立場に終始していたからです。その立場では、目の前の生徒の輝きが最重要であって、どのように教育を続けるかとか、まだ見過ごしている点はないかといった俯瞰的な見方はしづらいと感じました。


「学校の先生」としてのバーガー氏はやはりという感じでしたが、ビジネスの立場に対しては全く理解を示していませんでした。

「私が人生をかけてやろうとしていることはビジネスではありませんし、ビジネス戦略が常に最良のモデルであるとは限りません。私の娘はケータリングビジネスを始め、素晴らしい販売実績を出しています。とてもうまくいっており、親としてとても誇りに思っています。彼女は仕入れた食材の質がよくない時には返品することができます。私は、困難な家庭環境にある生徒やスキルが不十分な生徒を受け持った時、彼らを「送り返 す」ことはできませんし、したいとも思いません。もし、娘のケータリングビジネスが競合のビジネスを廃業に追い込むことがあれば、私は彼女の成功を喜ぶでしょう。しかし、 私は他の学校をライバルだと思っていませんし、どの学校の生徒たちにもベストな学習環境が与えられるべきだと考えています。どの学校にも失敗してほしくないのです。」(235ページ)


バーガー氏が自らの教育者としての誇りを持つことは自由だと感じましたが、バーガー氏の後継者と呼べる人たちは育っているのかがすごく気になっています。少なくとも娘さんには共感されていない可能性に気づかされます。


やはりキャリア教育が学校教育の理想像から離れて、新たな価値観を生み出していかないと、真の意味で定着はありえないと痛感しました。