今日の一日一読は第5章の続きで「失われた時を求めつづけた孤独とのたたかい――プルースト」までです。今回は母親から影響を悪い方向で受けたとされるマルセル・プルーストが取り上げられていました。側から見たら明らかに悪い習慣を母親から植え付けられたとうつりましたが、おそらくプルースト本人は否定すると思いました。
父親との関係と比べると、息子の母親に対する関係の象徴としてのマザー・コンプレックスがこれほど強い影響を与えた人物例としてプルースト以外考えにくいと思うほどのインパクトのある事例でした。
この間、芸術系が続いたこともあって、実感してきたのは、普通の生き方をしていると歴史に残る芸術は生み出せないのかという問いです。たしかに何かを得るためには犠牲が必要だという理屈を出せば成り立つ話ですが、個人的にはあまり奨励したいと思えませんでした。
あえて悪き前例を残したということを強調するならば、カフカにせよ、プルーストにせよ、反面教師としてのみ価値があると感じています。いかに芸術的価値が高いからといって、彼らの生き方が肯定されるべきではないと思っています。
というのは著者が以下のようにプルーストの生き方の良い面を指摘しているように感じたからです。
「マザー・コンプレックスはプルーストにとって良かったのか、悪かったのか。もちろんマザー・コンプレックスそのものは「悪い習慣」である。しかし、その産物がすべて悪いものとはかぎらない。われわれが知っているプルーストはマザコンと切り離すことができない。マザコンではないプルーストは、プルーストではない。マザコンであるからこそ、『失われた時を求めて」を書くことができた。いわゆる「悪い習慣」も芸術的創造の源泉になりうることを、彼の生涯は示しているのである。」(189ページ)
この見解だけは全面的に否定したいです。