『道の文化』を深掘る-その2「みちの語源」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今日の一日一読は前回の続きで、「み・ち」の語源について深めてみたいと思います。


山田先生によれば、

「「み・ち」という二つの音から成っているわけですが、「み」というのは、おみおつけのみといっしょで、事柄を美しくいうための音ですから、これを省きますと、「みち」という言葉は、いってみれば「ち」であります。「ち」というのが本来の意味である。では、この「ち」というのはいったい何なのか。これは現代語にいくらか残っています。あっちへ行け、こっちへ行ったらいい、とかいう「ち」です。この「ち」は漠然とある方向を指している言葉、方角・方面を指している言葉だということになります。」(9ページ)


この解説を踏まえると、「みち」は具体的な方向を指すものではなく、漠然とした方向を指す曖昧さを含んでおり、「たとえば国道一号線は京都へ行く道ではなくて、上方一般のほうを向いている通路だというのが本来の観念」(同上)となるようです。


このように広がりの意味合いを「みち」が持っているとすれば、現代人がイメージする「道」も本来の姿はもっと広いと考えられます。