『道の文化』を深掘る-その1「道への違和感」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



本書の目次を見てみると、さまざまな識者がさまざまな「道」に関する言説を展開しているという構成になっています。それぞれが独立しているのか、関連しているのかに注意しながら読み進めていきます。



昨日の一読は山田宗睦先生の「道の文化」という章の「人間の歩いたあとが道になる」の途中までです。冒頭からすごく興味深い内容が書かれていたので、まずはそれを深めてみます。


それは山田先生がおそらくどこかでの講演をしている時の冒頭で聴衆に向けて語っていたことです。

「私のはとりとめのない話になるかと思うのですけれども、たとえばこういうところへ立ってみて、いつも抵抗を感じることが一つあります。というのは、みなさん方全部私のほうを向いて同じ方向で並んでいます。たとえば新幹線に乗ればそういうふうになります。(中略)道というものを考えるときに、その道は必ず、どこそこに至る道、東京を出て大阪へ向いている道、あるいは青森へ向いている道、ということで、ある一つの決まった方向へ向いていて、それに沿って歩かなければいけないんだ、というように、われわれはなんとなく観念している。一つの方向に決まってしまっているというそのことに、私はたいへん抵抗感があるのです。」(8ページ)


道について話を聞こうという矢先に、道について抵抗感があることに触れていたので、最初はびっくりしましたが、言われてみればなるほどと感じています。


私が当たり前のように受け入れてしまっている道についてのイメージを持ったままでは、問題があることを山田先生は語ろうとしているのだと気づくとより深い学びを予感します。