空海の生き方を深掘る-その2「若き空海は何に迷っていたのか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今日の一日一読は前回の続きで、竹村先生の本を中心に空海の生き方について深めたいと思います。若き空海は出世の道を諦めて、仏道修行の世界に身を投じていったと言われています。


この頃に有名な「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」をひとりの沙門から授かったという話が残っています。

「虚空蔵求聞持法はこの法に従って真言を百万遍唱えると、一切の経論の言葉と意味とを暗記することができるというものである。」(19ページ)


これを空海が身につけていたかどうかは定かではありませんが、当時の空海は「阿波(徳島県)や土佐(高知県)など、四国の山岳地帯の霊場で修行を重ねたよう」(同上)です。


竹村先生は『三教指帰』の序文を引き合いに出して、この頃の空海は「画期的な一つの宗教体験を得た」(同上)と見ていましたが、具体的には明らかにされていません。


他方、松長有慶先生は『高野山』にて、空海自身が若き頃に精神的な苦悩を抱えていた回顧文を取り上げていました。

「私は生まれながらにもっていた性格に触発されて、苦悩を打ち砕く生の本源を探りたいと悩んでいた。だがそこに行き着く道が見つからない。分かれ道に出会うたびに、幾たび涙を流したことだろうか。」(101-102ページ)


若き空海が悩みがなかったというよりも、逆に悩みまくったという生き方を貫いた結果、あれだけの業績を残せたと見た方がしっくりきます。そして、何よりも、空海自身が生まれながら持っている感覚をどこまでも大切にしていったということだとすれば、空海に限らず、私たち一人ひとりも、そのような生き方ができるのではないかとワクワクしてきました。