空海の生き方を深掘る-その1「空海はなぜ出世の道を辞めたのか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今日の一日一読は竹村先生の『空海の哲学』の第一章「空海の生涯と著作」の「仏道への憧れ」です。空海の出生を知れば知るほど、仏道を生きるに至った積極的な意味づけが見出せないところが興味深いです。


774年に四国の讃岐国多度群に生まれたと言われている空海は「十五歳の頃、おそらく都において母方の伯父の阿刀大足について漢籍の古典を学んだ」(18ページ)り、「十八歳のとき、大学の明経道に入った」(同上)りと、都で出世する道を目指していたように思えます。


「しかし空海は、世俗の世界における出世よりも仏道への憧れの気持ちを募らせていたようで、まもなく大学は辞め、仏道修行の世界に身を投じてしまうのであった。」(19ページ)


竹村先生はこのように書いていて、これ以上詳しく説明をしていません。この文章自身も竹村先生の中での推測の域を出ません。


今日たまたま読んでいた松長有慶先生の『高野山』の方には、「官界での出世を目的とする当時の大学生活に、この田舎から出てきた秀才の少年は到底なじむことができなかった。」(101ページ)と書かれていました。


どうやら学問に励んだのも両親の期待に応えようとしたらしいので、理想と現実の間で葛藤した結果、出世の道を諦めたのかもしれません。しかし結果論的には、空海は素晴らしい学問を打ち立て、ある意味では出世したと言えるので、何が本人の生き方や「道」そのものを決めるかは本当にわからないと感じました。