数年前、夫がうつ病に…そして今、我が家に深刻な問題がおきました -3ページ目

私の退職

2年前。

ずっと3つの仕事をかけもちで、パート勤めをしていた。
その働き方が、自分には合っていた。
その働き方が、週末の花嫁介添えの仕事をするにあたって、影響がなかった。
でも、私が世帯主としてアパートを借りるとき、どれだけパートしても、社員という肩書きにはかなわない、ということを思い知らされた。
それに、これから子供たちにお金がかかる。もし、お金を借りるときしても、社員でないと、通用しない。

とにかく自分が働かなければいけない状態。

そして、2年前の6月。
花嫁介添えの仕事だけを残し、
10年勤めた深夜のウェイトレス、
4年勤めた、家族のような居場所だったクリニックを泣く泣く辞め、新たなクリニックへ、勤めだした。

流れはあった。
このクリニックへの勤めは必然的なものにも感じた。
ただひとつ、面接のために初めてこのクリニックの玄関をあけたとき、冷たさや暗さを感じていた。

それでも、採用になったときは、これで生涯安泰と、喜んでいた。

社員である。
ボーナスもある。
家から自転車で行ける。
日曜祝日の他に平日休み、土曜も半日。
周りには、ショッピングセンター・役所・銀行・郵便局、すべて揃っている。
夜は遅いけど、昼休みが長いから、一度家にも帰ることが出来るし、主婦としてありがたいのは、銀行や郵便局に行けること、母子家庭としてありがたいのは、役所にいけることだった。

条件は100%揃っていた。

そんなところを辞めてしまった。

冷たさや暗さは、自分が変えてしまえばいい、そう思ったし、かなり実行できたと思う。でも、なぜか合わない。
何が合わないのかわからないけど、とにかく合わない。

そして、何が合わないのかはっきりわかったのが、一年半たった頃だった。
いくつか理由はあったが、結局1メートルと離れていない席で、たった二人、同じ仕事をしている事務の人が原因だった。

そして3月。
その人との決定的な出来事があり、もう辞めようと思った。

子供たちを養わなければいけない立場。
かんたんに、やめようと思ったわけではない。

辞められる流れがでてきていた。

子供たちが4月に入学さえすれば、銀行・郵便局・役所関係は全て終わる。
今までは昼休みが長くあることが必要だったけど、高校で野球部に入る息子の生活に合わせるなら、今の勤務時間帯ではやっていけない。
都営住宅の入居は決定している。ただ、空き家待ち6番目。なんとかなる。

そして、クリニックの奥様に、辞めることを申し出た。
家に帰ると、郵便物が届いていた。
都営住宅の入居日決定の通知だった。

これで、全て決定!!

5月いっぱいで、退職となった。






















元夫の仕事~うつ病からの転職

元夫から、連絡があり、外でごはんを食べた。

「ライス大盛で!」の言葉にびっくりした。いつも、そんなに食べる人ではない。

「食べないと、もたないんだよぉ~。」と、楽しそうな口調で言う。

そして、デザイナーから、いきなり植木職人になった経緯を話し始めた。

「昔から、図工と体育が得意だった。
デスクワークはもうやめた。
体を動かす仕事にした。」


造園会社の社長との面接、そしてなぜかその横に、若手の男性職員。
どうやら親子らしく、その息子は別の会社を経営しているらしい。
父親が昔ながらの造園、息子はインテリな造園。息子は元夫の職歴、デザイナーに興味をもってくれたようだった。

50すぎてから未経験の職人はかなり厳しい。インテリな造園のほうをすすめてくれたが、
「現場を知らなければ何もできない」と発言し、あえて厳しいほうを選んだ。


体は細身だが、もともと筋肉体質で、年齢のわりに体力もあるし体も丈夫。
運動神経も身体能力もある。  

お祭り好きで、血がさわぐのか、神輿をみればかついでいる。話す言葉もハキハキとして、声も大きい。礼儀をもちながらも、言いたいことは年上であろうが年下であろうが言う。

こんな人だから、現場仕事、そして男社会の中での心配はないだろう。


今回のこの仕事、だれの紹介でもなく、自ら探しあてていた。
あの6月のどん底の中、一人ではいあがり、ここまでやってきたことは、本当にすごいと思った。

仕事の話しはたえなかった。
自ら刈った植木の写真を私にみせる。それは、素人と思えないほどの、作品に近いものになっていた。

子供の話しになっても、さみしくなる様子はなかった。




6月のうつ病の状態から、一人ではいあがり、自分で仕事をさがし、自分の力で今の道につなげていったこと、この人にとって、初めてのことかもしれない。
そして、初めてのことが、こんなにも大きいものなら、今までの分がいっぺんにやってきただけのこと。

もう大丈夫、そんなふうに思えた。
うつ病が治った、とまでの確信はない。
でも、もしまた症状が現れたとしても、何かは前とちがうはず、と思った。
まぁ、今の職場にいたら、うつ病になってる暇はないとは思うけど、というのが一番大きい。


食事をしている数時間、私もおだやかな気持ちで楽しく元夫の話をきくことができた。ふと、結婚する前に、こんな時間をすごしたなぁと思い出した。


6月の派遣先のデザイン会社を辞めて、またうつ病の世界にはいってしまった夫に対し、
「もう、この人とは、さようなら」と、本気で思った。それは、今までにないほどだった。

この、「絶ちきり」は、私たちには必要だったにちがいない。
絶縁にならないための、絶ちきりが…


なにかと昔から縁がある。
似た者夫婦でもあった。

今回、元夫が仕事を探し働きだしたころ、私も同じことをしていた。
私も仕事を辞め、新たな仕事場で、働きだした。
全く同じ頃だった。























もうすぐ最終章

最終章…

かな、このblog。

ようやく。

やっと。