[五島列島・合併前の市町「郷土誌」復習編] | 「三井楽・五島列島・ふるさと」のブログ

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【八幡神社管轄】

                        八幡神社



                       鎮座所・福江市下大津町字水窪631~635


祭神・応神天皇、神功皇后、瑞津姫命、田心姫命、厳島姫命

末社神・武王神社、多賀神社、春日神社、住吉神社、厄神社、猿田彦神社、稲荷神社

例祭日・旧8月14日15日16日

五島家の始祖宇久家盛が京都より宇久島へ来島の折、守護神として山崎の八幡宮を奉迎して宇久島の神崎に一社を建立して氏神とした。第10代宇久基は文安4年(1447)当家に

由緒深い宇久島の飯良八幡宮を現在地に奉還して正八幡宮と奉称した。そして五島の

総鎮守と定め、天下泰平、武運長久、領内安穏を祈願した。その後26代五島盛住は元禄5年(1692)2月より拝殿の修理をして同6年8月成就し遷宮をした。八幡宮とは応神天皇の

霊を祀ったものであるが、古来我国の武将が特に八幡宮を尊崇する由緒は古くは

称徳天皇の意志奉じ和気清麿呂が宇佐八幡宮に参篭して神託を受け、僧道鏡の野望を

斥けた故事、また鎌倉時代、異国元の進攻に対して後宇多天皇が男山八幡宮に行幸祈願され、大勝護国を得たことなどによる。ちなみに八幡神は我国最古の神仏合神と言われる。宝暦5年(1755)の社領三十三石二斗。以来五島家の尊崇篤く、明治初年の版籍奉還に至るまで祭典費はもちろん、造営修繕に至るまで御用普請として藩中第一の総社として崇敬された。明治4年郷社に列せられ、明治40年1月11日神饌幣帛供進に指定された。さらに昭和16年5月8日郷社より県社に昇格し、同年7月4日神饌幣帛供進神社に指定された。ここの社叢は疎林ながら珍しい樹木と草本があり、樹木の中には巨大なシナエンジュ(中国渡来のマメ科植物)もあり、草木の中には市指定天然記念物のクワズイモがある。



                          黄島神社

                      鎮座所・福江市黄島3


祭神・神功皇后  

末神社・皇大神宮、八坂神社、天満神社、海神社、武内宿禰社、恵比須神社

例祭日・10月15日

応永29年(1422)姫神大明神として創立され、領主より社領七石三斗八升四合四勺の寄進があり、武運長久、国家安泰の祈願社であった。神饌田の知行もあり例祭日には代官または代理の奉饌使があり、使者参向のときは地頭、氏子総代、郷士、足軽、庄屋、小頭はその護衛に当たったといわれている。明治4年村社に列せられ、大正4年11月12日、神饌帛供進神社に指定された。聖観音像入りの甕を引き揚げた言い伝えは赤島と黄島の双方にあるが、赤島では「赤島で揚げた三つのうち馬に壊されなかった二つのうち一つが、黄島に

揚がったのである」と言い伝えてきた。


                      


                           赤島神社

                     鎮座所・福江市赤島町448


        祭神・市杵島姫神、田心姫神、瑞津姫神   例祭日・2月15日

祭神はともに女神である。第8代宇久覺が宇久から福江島に居城を移した応永29年(1422)のこと、赤島と黄島の間の沖合に毎夜三つの神光が現れて海面を照らしたいう。島の人々は不思議に思い、潜水の巧みな者に晴天の明け方、そのあたりを探らせたところ海底に

三つの甕があったので引き揚げさせた。口が堅く閉ざしてあって開けることができなかったが、振り動かしてみると清く澄んだ鐘の音が聞こえた。島民は不思議に思ったが並々ならぬ縁かも知れないと、この甕を島の産土神と崇め、清らかな野に仮宮を建てて奉祀した。するとある時、野生の馬が争い闘ってそのはずみに甕の一つを割ってしまった。すると中から唐金作りの聖観音像が現れた。あとの二つはその夜うちに何処ともなく消え失せ、あとで判ったのであるが、一つは崎山に、もう一つは黄島に揚がりそれぞれの土地でも産土神として祀られたという。明治4年7月4日村社に列せられ、大正5年11月4日神饌幣帛供進神社に指定された。


                            鹽濱神社

                   鎮座所・福江市久賀町猪之木街字深浦354


                   祭神・綿津見神   例祭日・旧9月2日

        創建由緒は不詳であるが、漁民の大漁祈願社として創建された。

                    明治4年無格社に列せられた。



                            金刀比羅神社

                       鎮座所・福江市松山町曲坂507


      祭神・大山祇神    例祭日・10月10日

創建は不詳であるが、五島家古文書によると藩主が永代海上安全祈願のためこの地に

一社を設け奉祀したという。明治28年9月無格社に列せられた。



                              byー昭和のおじさん


 

      夜、散歩がてら見にいってきました。  零戦と戦艦大和です。