「さて。ここからだと、どこがいいかしら。」
これは半分問いかけているようで、半分独り言だった。この高校に通い始めて一年ほどの新に聞いても、ここらへんのスーパーなどを詳しく知っているわけがないからだ。結局、新の親は彼女が学校に泊まり込み、帰らないという選択を一瞬のうちに許可した。東は一度家に帰り、新の荷物を取りに行くことになったが、さっき携帯に連絡が入り、学校にくるのが夜になるということだった。ほんとはすぐにこちらに合流するつもりだったらしいのだが、父親が帰ってきておらず、せめて父親が帰るまでは家にいなさいと母親に言われたらしい。まあ普通の親ならば、最後に子供の顔ぐらいみたいと思うのが普通だろう。というわけで、新と二人きりになったのだが今晩こちらで泊まるとなった以上、晩御飯が必要となったわけだ。
「新さん、何か食べたいものある?」
「いえ、特にないです。」
「そう、じゃあ私が適当に考えるわね。」
軽く会話を交わしながら記憶を頼りに車を走らせる。正直生徒と二人きりというのはつらいものがある。教師は多人数相手が基本なわけで、一対一で話し合うことなんて進路とか真面目な話をしている時ぐらいだ。東のように向こうからいろいろ聞いてきてくれるような子なら話もしやすいのだが、新はそういったタイプではない。
「さて、着いたわよ。」
そう言って、シートベルトを外し車から降りる。新も同じように車を降りる。
「何か好きな食べ物とかはあるの?」
正直何をしようかメニューがまったく決まっていなかった。仕事をしていて一人暮らしとなると料理をする機会というのは減るわけで、料理できるレパートリーもあまり多くない。
「パスタとかが結構好きですね。」
「よし、じゃあパスタにしよう。といってもミートソースぐらいしか作り方分かんないからそれで許してね。」
そう言うと彼女はこちらを向いて頷いた。買い物を終え、レジに並んでいると、携帯が鳴った。確認するとただの広告メールだったが、そこではじめて携帯の電池が切れかけていることに気がついた。横にいる彼女に声をかける。
「ごめん新さん。先生もちょっと必要なものとかあるから、ちょっと先生の家寄って行っていいかしら。」
「あ、はい。大丈夫ですよ。」
買い物を終え、車に乗り込み自宅へと向かう。とりあえず、携帯の充電器、それに着替えと、そう言って必要なものを挙げていく。自宅から必要なものをトランクに詰め終わったころ、珍しく彼女のほうから話しかけてきた。
「先生って一人暮らしなんですか?」
「ええ、そうよ。どうして?」
「なんか、私のわがままにつき合わせちゃってるのかなと思って。先生だってほんとは彼氏さんとかと一緒に過ごしたいんじゃないかなと。」
「いいえ、大丈夫よ。そんなこと気にしないで。」
そう言って彼女に向って笑顔を作った。ふと、今日自分が言ったことが頭をよぎる。ああ、あんなこと言ったから気を使わせちゃったのかもしれないなと少し後悔する。
「先生も自由参加と言ったけど、先生も好きでここにいるのよ。」
東が疑ったような目でこちらを見てくる。
「本当よ。心配しないで。」
実際言ったことは嘘ではない。確かに彼氏の元に今すぐ行きたいような気持も、少しはあるが、やはり校長先生の言葉が意外と響いているのかもしれない。校長先生の言葉で、最近は忘れていた、自分が教師になりたいと思った理由や、教師になりたての頃の何とも言えないような気持ち。そういったものを思い出せた気がする。
「さあ、学校に戻ってご飯にしましょう。」
そう言って、学校へ向けて車を走らせた。学校に着き、買ってきた食材だけを持って家庭科室へと向かう。家庭科室に行くとどうやら他にも同じようなことを考えた生徒か先生がいたらしく、先ほどまで誰かが使っていたような気配が残っていた。
「さて、じゃあお手伝いおねがいね。」
私はそう言って、包丁を握った右手を動かし始めた。

俺は今、家に向かって自転車をこいでいる。家は学校から自転車で二十分ほど。出身中学校の同じ太一も自転車通学で、途中までは帰り道も一緒だ。さっき太一と別れて、もうすぐ家につくところだ。結局、あの後今日から学校に泊まり込むことに決まった。先生に見つかると面倒かもしれないということで、集合は午後九時に学校からの最寄駅ということになった。

「静かだな。」

そう独り言をつぶやく。さっきまで太一と一緒だったから気付かなかったが、辺りはしんとしており、いつもの住宅街となんら変わらない。ひょっとしてみんな隕石のニュースを見ていないんじゃないかと思うほどだ。いや、むしろ自分たちだけが騙されているのかもしれない。その後も自転車は軽快に走り、誰とも会わなかったし、世界の破滅を叫んで自暴自棄になっているような人もみなかった。

「ただいまー。」

そう言って玄関を開けると、母が家の中から飛び出してきた。

「おかえり。春斗、ニュースみた?」

「うん。見た。」

「そう。まあ早く上がりなさい。今お茶でも入れるわ。」

母のあとについてリビングに入るとソファーでは父が新聞を読みながらくつろいでいた。おかえり、と父がこちらを向いて言ったのに、ただいまと小さな声で答える。時刻はまだ五時半、父が帰ってくるのには早すぎるなと思っていると、それを察したかのように母が話しだした。

「お父さん、あのニュースのせいで仕事にならないらしくて、もうあとは会社がお休みなんですって。」

父の仕事は確か、保険会社だったはずで、なるほど仕事にならないはずである。保険なんてものは将来への不安を取り除くためにお金をかけるもので、自分たちに残された時間が短く限られているのに保険などかける必要などあるはずがない。

「それで何か食べたい物でもあるか?」

父が新聞をたたみながらそう聞いてきた。

「いや、別に。」

「そうか、じゃあ寿司でも食べに行くか。」

どうやら、父と母の間では話が決まっていたらしく。母は着替えて準備してきなさいと俺に言った。

「あ、そうだ。これ。」

鞄の中から今日学校で渡された封筒を取り出し母に渡す。封筒を渡した後、着替えるために二階へと向かった。選んだ服は至って普通で、青色のジーパンに白色のTシャツ、さらにその上に黒のパーカーを羽織った。ああ、そういえばあとで荷造りしないといけないな。必要なものって何だろうか。着替えながらそんなことを考えていた。下の階に降りると、二人とも準備はできているようで、すぐに出発しようということになった。車に乗り込み父の運転で出発する。車内は無言で特に会話もなかった。高校生にもなって、親と話すことがいろいろある方が珍しい。まあ女の子の場合は母親と仲が良くてなんでも話すといった場合もあるらしいが。到着したお店は、小さい頃からよく通っていた百円均一の回転すし屋だった。平日のしかも夕食には少し早い時間だというのに、店内は思っていたよりも多くの客でにぎわっていた。みんな会社や学校が早くに終わってしまって外食でもしようとなったのだろう。十分ほど待たされたあと、席に案内された。席に着くと父はさっそくビールを注文し、俺はベルトの上を流れていくお寿司を見ながら何を食べようか考えていた。ちょうど流れてきたイカを一皿目に食べることに決め、ベルトから取り上げたとき、父のビールもテーブルに届いた。

「昔。このお寿司屋もよく来たわね。」

「そうだな。」

母が言った言葉に父が答える。父はビールに口を一口つけてから、さらに口を開いた。

「それで、春斗はこの後どうするんだ?」

その質問に一瞬、嘘をつくべきかとも考えたが、何となく最後まで親に嘘をつきたくなかった。

「今日はこの後学校に泊ろうと思うんだ。」

その発言を聞いて母は一瞬怪訝な顔をする。

「帰ってくるのか?」

「うーん、たぶん最後まで学校に泊ったままかな。まあ自転車ですぐ帰れるわけだし、帰って来いっていうなら、ちょっとぐらい帰ってくるよ。」

「そうか。」

父はそう短く答えて、ベルトの上から皿を取り上げる。

「学校っていうことは部活なの?先生はいるの?」

今度は母がそう尋ねてきた。

「そうそう、部活だよ。先生も来るはずだよ。」

「そう。わかったわ。じゃあ、行ってらっしゃい。」

反対されるかとも思っていたが、そうでもなかったらしい。

「じゃあ準備しないとね。何が必要かしら。」

「何がいるかな。とりあえず着替えと…あ、そういえば、ご飯はどうするのかな。まあそこらへんに食べにいけばいいか。」

言葉に詰まっていた俺に、父が横からアドバイスをくれる。

「寝るときに毛布かなにかいるんじゃないか。」

「ああそうか。そんなとこかな。」

「じゃあ、帰ったら荷造りして車で送っていこう。」

父はそう提案してくれた。俺はその提案に、よろしくとだけ答えて食事に戻る。そのあとは父と母の間で昔話に花が咲き、中には俺の思い出したくもないような話もあって、正直はずかしくて聞いていられなかった。

生徒たちにプリントを配布し終わり、まっすぐ職員室へと向かう。何となくいつもの習慣で、授業日誌をつけていたが頭の中では別のことを考えていた。自分が部活動に参加するかどうかだ。片山先生に頼まれたとはいえ、今その約束を守らなかったところで誰も自分のことを批判したりしないだろう。それにそもそも、生徒たちは自分を必要とするのだろうか。生徒たちが自分たちで楽しく過ごしたいというならば、それは邪魔するべきではない。じゃあ、私はどうしようか。真っ先に思いつくのは彼氏の克也のことだった。彼はとある電機メーカー勤務で、販売員などをしているらしい。らしいというのは、販売員以外にも仕事をいろいろとやっていると言っていたから。付き合い始めて三年目になり、私は年齢的に考えても、そろそろ結婚してもいいかなと考えていた。彼の方はあまり煮え切らないというか、どう考えているかあんまり良く分からなかった。しかし、最後の時を彼と過ごす、それも悪くないかと思った。まあ彼もそう思ってくれているかどうかは別だが。授業日誌を書き終え、体育館へと向かう。

「集合。」

体育館に入って声を張り上げる。その声に集まるようにバスケ部の女子部員たちが、私の周りに輪を作る。

「さて、みなさん今の状況については各担任の先生からご説明があったと思います。」

生徒たちが真剣なまなざしでこちらを見つめている。

「集まってもらったのは、校長先生から、生徒たちが希望するなら部活動をさせてあげてくださいというお願いがあったので、それを各自で決めてもらうためです。あと…」

そこで、一度言葉が途切れる。自分はいったい何を言おうとしているのだろうか。これは教員としての義務から言い逃れをするためのものなのか、それとも教員としての自分の存在価値を確認するためのものだろうか。なんてくだらないことを言おうとしているのだろう私は。

「先生は…」

それでも私の口は止まることはなかった。

「あと、先生の参加は自由です。校長先生から先生は生徒たちが望むなら参加してあげてくださいということなので、あなたたちが望むなら先生も残ります。しかし最後の時間、友人同士だけで過ごしたいというなら、先生は学校には来ませんのであなたたち自身で楽しんでください。」

こんなことを言っている自分はなんて身勝手な人間なのだろうか。生徒たちに判断を丸投げするなんて。生徒たちはどう反応するだろうか。心臓の音がやけに大きく聞こえる。

「高木先生。ちょっといいですか。」

突然、後ろから声がかけられた。振り返ると片山先生が立っていた。

「ちょっと待っててね。」

そう言って生徒たちの輪から抜け出す。小さく深呼吸をして息を整える。

「女子部員の方は参加する生徒いましたか?」

「いえ、まだ生徒たちも迷っているようで。」

「さっきの話なんですが、どうやら男子生徒の方は五人ほど、部活をやりたいって言っているのでお願いしていいですか。」

「あ、はい。わかりました。」

片山先生から頼まれていたのを忘れていた。どちらにしても私は学校に来なければならなかったらしい。

「じゃあ、生徒たちには午前九時からと言ってあるので、もしかしたらもう少し遅くに来るかもしれませんが、よろしくお願いします。」

それだけ言うと彼はさっさと体育館から出て行った。待たせている女子部員の方に戻ると、隣同士でなにやら話し込んでいる生徒がほとんどだった。

「待たせてごめんなさいね。」

そう言って生徒の注目をもう一度集める。

「じゃあ、とりあえず部活動をしたいっていう子はいる?」

平静を装ってそう聞く。ぐるりと見渡すと手が挙がっているのは二人ほど。

「じゃあ、今の手を挙げた二人だけは残ってください。それとこの後は全員一度は帰宅すること。保護者宛てのプリントを預かっていると思うので、それはしっかり保護者の方に渡してください。では、解散。」

その言葉を聞いて、生徒たちはそれぞれ体育館の外へと出て行った。私はその場に残った二人に近づいて声をかけた。

「残ったのは二人ね。」

「あの、先生。」

残った生徒の片方が不安げな顔でこちらを見ている。彼女の名前は新楓。そしてその横で、彼女のことを心配そうに見ているのが東美紀。二人は幼馴染だそうだが、タイプは対照的。新は物静なのに対して、東は活発で運動もよくできる。髪型も新は肩にかかるぐらいのロングなのに対して、東はショートカット。この一年間彼女らの仲を観察した感じでは、東が新を守ってあげているような関係になっているようだ。

「どうしたの?」

私がそう尋ねると、新は少しためらいがちに答えた。

「私、家に帰りたくない。」

どういうことかと戸惑っていると、東が横から説明を付け足す。

「楓は親と上手く行ってないみたい。だから帰りたくないんだって。そこでさ、先生にお願いがあるんだ。」

彼女らは二人で目配せを交わす。

「あのさ、先生私たちと一緒に学校に泊ってくれない?」

それは私にとっては少しうれしい言葉だった。先生として一応は生徒たちから必要とされていたようだ。

「それはいいけど、新さん。あなたはせめて一言ぐらいご両親に連絡しなさい。いくら上手く行ってないからって連絡もなしに、家に帰らないっていうのは良くないと思うわ。それと、東さん。あなたは一度ちゃんと家に帰りなさい。そこでちゃんとご両親の許可をもらってきなさい。」

「はーい。」

東が間延びした声で返事する。

「それと、新さん。家になにか必要なものがあるなら東さんに取ってきてもらいなさい。二人幼馴染でしょ。」

新は小さくうなずき、東は任せろといった感じでこちらを見ている。

「じゃあ、新さんはおうちに電話。東さんは一度家に帰りなさい。あ、そうだ。」

そう言って私はポケットから携帯電話を取り出す。

「私の電話番号とメールアドレス教えておくから何かあったら連絡頂戴ね。」