こんにちは。

道廣恵里(みちひろえり)です🫡🌟

 

 

 

 

↑↑

 

【後編】のつづき、今日は【完結編】です音譜

 

と、言いつつも前回どこまで書いていたか

忘れてしまって記事を読み返しましたよゲラゲラ気づき

 

 

 

 

最初から読みたいよ!って方は、

 

▼↓こちらの【前編】から読んでね!!

 

 

▼その続きの【中編】も読んでみて~星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あけさんから

なんで”裏をかいてやろう”みたいな

その思考回路が

みっちーの中で作られたと思う?

 

って聞かれて

「なんでだろ?」って考えたら

 

負けたくない

が私の中にまだ君臨していたオエーハートブレイク

 

 

 

・負けたくないという勝ち負け思考がある

・人からどう見られるかを気にしている

 

この2つの意識がわたしの中で

結構なウエイトを占めていると言われて

「確かに~」と納得した。

 

状況や相手によって出方は異なるけど

大体ここからが発端となり

怒りに繋がっているもんな~うーんもやもや

 

 

 

あけさんから

 

なぜその思考回路があるかというと

まだもうひと段階下にあるからだよ。

 

だってそうじゃん。っていう

絶対ルールがまだあるよ。

 

って言われて

え?まだこの下にあるの?!ふ、深い~!!

って思ったポーン{おったまげー笑

 

 

 

 

 

 

そう、絶対ルールとして

わたしの中に君臨していたのが

 

どうせこんな私なんかで

愛されてるはずがない

 

だった。

 

 

 

 

 

どうせ私は愛されていない

というのが絶対ルールとしてある以上

 

いくら「世界は優しい」って

頭では理解して行動を起こしていても

 

世界は優しいはずなのに

なんでこういうことになるの?

 

って感じる出来事が

現実で起こるっていうことは、

 

私の根底では

まだ世界は敵だ!!

って思っていることを

まずは認めないといけない、と。

 

 

 

 

正直なところまだわたしは

そこに居続けているのか

しがみついているのか…

と、自分にガッカリもした絶望トホホ

 

 

 

でも、わたしは

「ない世界」ではなくて

「ある世界」で生きたいと思ったから

 

「ある世界」で生きるんだ!!

と、自分で自分の舵を切ったから

自分と向き合いましたよ。

 

 

 

 

 

 

そんで、あけさんと話しているときに

どんな流れでこの話を自分がし始めたのか

そこは忘れてしまったんだけど←

 

私は最終的には

親の面倒を見なくてはいけないと思っていた。

 

散々口では、ボケたり要介護になったら

すぐに施設に入れるから!面倒みないから!

 

って親には言っていた。

 

 

だけど、じゃあなんで最終的には

親の面倒を見なくてはいけないと思っているのか。

 

 

もしかしたら親は、

本当は施設なんかに入りたくなくて、

家で最後を迎えたいかもしれないのに

私のわがままで施設に入ることになったら

申し訳ないという罪悪感があった。

 

その罪悪感から私は、

せめて施設代のお金は払わないと

と勝手に思っていたから

 

自分ビジネスで稼ぎたい

 

に、繋がっていた…。チーンチーン

 

 

 

 

そんな想いの原動力じゃそりゃ

何度も自分ビジネスをやろうとしても

「やりたいけどやれない」「動けない」って

全く行動が伴わなかった理由も判明した。

行動力の星が60%あるからほんとは動きたいのに

動けないときって、まじでしんどいからね~。うん。

 

 

 

 

で、この「親の介護」とか「介護施設」

っていうワードを私は避けていたから

あけさんが認知症のお母さんとのことを

書いていた記事は全然読めなかったし、

 

現実でも、わたしの親ではないけど

母方の祖母の認知症が進行しているらしく

施設に入れる・入れないの話が

親戚達の間で話が繰り広げられているのも

聞きたくない!見たくない!って

全くその輪に参加することをしなかった。

 

 

自分と向き合えよ~のサインって

ほんと現実でちゃんと教えてくれてたわ笑い泣き笑

 

 

 

 

 

 

 

で、あけさんからさらに

どうして愛されていないと思うのか。

なぜ罪悪感を感じて背負っているのか。

 

って、聞かれた時に

 

親が望んでいる通りの

人生を自分が歩めてないから

 

だった。

 

 

 

あけさんに出てきた言葉を

早く伝えようと思っても

言葉がつっかえて出ないし、

涙しかでなくて言えなくて

焦ったけど、落ち着いたら言えて

少し心が癒えたのを感じた!

言えたら癒えた、日本語って面白い

 

 

 

 

 

 

 

母親に産んでもらった分際なのに

言うことも聞かないで自分を生きることに

どこか罪悪感がずっとあった。

 

 

↑この時点で、

母親(親)を自分の上に置いているのが

書いてて分かった。

 

 

 

 

 

でも、私(みっちー)が思った通りの人生を

歩めない娘であるっていうのは

もう母親(親)はとっくに知ってるよ

 

ってあけさんに言われて

 

え?ウソ?!

バレてないと思ってなんとか頑張って

言うことを聞く・聞かないのループを

繰り返しやってた自分バカじゃん大泣き

 

って思ったら、

気持ちが軽くなって笑えた。ゲラゲラ笑

 

 

 

 

まじか、もう知っていたのか。

もうとっくにバレていたのか。

 

なーんだ、自分のままでいいのか

 

そう思ったら、安心した。

もう取り繕うとしなくて済むから昇天キラキラ

 

 

 

 

 

 

 

あけさんから課題として

親からの愛を可視化するためにも今まで

親がしてくれた「ある」をノートに

書き出すワークをした。

 

 

今、生きているということは

親から愛を受け取ってきたということ。

 

本当に親からも、誰からも

愛を受けていなければもう死んでいると。

 

現に、そういった悲しいニュースが

あるのはそういうことだと思うと言われて

確かにな、と納得した。

 

 

 

 

そしたら私は

名前を付けてくれたことに愛を感じた。

 

そしたら私は

命がお母さんのお腹の中で宿ったとき

もしかしたら「産まない」という

選択肢もあったのに、

無事に産んでくれたことに愛を感じた。

 

 

そしたら、

そもそも親がこの地球にいるもの

先祖が繋いでくれた命があったからだ

 

って思ったら

自然と感謝の気持ちが自分から出た。

 

 

先祖にも初めて感謝したな~。

繋いでくれてありがとう、って。

 

 

 

 

ワークをやり始めて

初っ端からこの2つが出たから

かなり浄化はされていたけど

 

幼少期からタイムスリップして

色々書き出してみたものの

それらに関しては「疑い」が出た。

 

 

というのも、

やってくれていたことは沢山”ある”けど、

親が笑顔じゃなかったから

 

・我慢してたんじゃないか

・自己犠牲だったんじゃないか

・本当はしたくなかったんじゃないか

・人からどう思われるか気にしてたから

 やっていただけなんじゃないか

・しょうがなくやっていたんじゃないか

 

って感じてしまって

そんな自己犠牲をして頑張って私たち

子供を育ててくれていたのに

私だけが幸せになっていいのだろうか。

 

ってまたグルグルし始めた。

 

 

 

 

 

 

そもそも私は何があったら

「自分は愛されていた」と実感するのか

って考えてみた。

 

1つでもそれを思い出せたら私は

信じることができるのにな…って思った。

 

 

 

 

 

そしたらやっぱり私の場合は

 

そもそも産まない選択肢もあったのに

お腹の中で大切に育ててくれて

さらに無事に産んでくれたことと、

 

名前を付けてくれたってことの

この2つが私にとっては

 

「私は親からちゃんと愛されていたんだ」

「私は最初から愛されていたんだ」

 

と、実感する出来事だな~って思った。

 

 

 

 

私、この2つの愛があるだけで

もう大丈夫だわ、って思った。

(自分がこれを忘れなければね爆笑←)

 

 

 

そう思ったら

親に対して「してくれた」「してくれない」

ってそのあとの私に対する行動に関しては

もうどっちでもいいわってなったゲラゲラ笑

 

 

 

 

 

 

で、このシリーズの本当の完了は

自分が生まれた日に直接お母さんに

私を産んでくれてありがとう

と伝えることで、完了すると思った。

 

 

お母さんからの愛を受け取ったから

私からもお母さんに

感謝の気持ちとして愛を返すことで

自分の中で欠けていたピースが

カチッとはまる予感がしてる~!!

これこそ愛の循環じゃない??!

 

 

 

恥ずかしくて、死にそうだけど

やるしかない!!

 

というか、やったあとの自分が

なにを感じ、なにを思うのか

それも知りたいからやりたいよね~音譜

 

 

 

私にとって今年

35歳の誕生日は特別な日になるわ赤薔薇

 

 

 

 

 

 

 

そうか。だから、自分の誕生日は

産んでくれた母親に感謝をする日なんだよ

って聞いていたことがようやく腑に落ちた。

 

 

誕生から成人するまでは

親から子への祝いと感謝の愛が送られて

祝われる側

 

成人から死ぬまでは

子から親へのありがとうの感謝の愛を返す

祝う側

 

そういう循環なんだな~って。

なんか美しいな~とわたしは感じた恋の矢

 

 

 

 

35歳になる誕生日、今から楽しみだ照れ気づき

 

 

 

道廣恵里