月と金星の違い ~我儘と贅沢 | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

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教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

今回も講座受講を通して、天体についての振り返りと自分なりの考察をまとめます!

 

 

月は「感情」、金星は「感受性」というように二つの天体は類似するキーワードで説明されることが多いと思います。

また、どちらも「受動的」な天体であり、「女性性」を象徴するという点でも共通しており、マイルドなイメージがあると思います。

 

人生をアグレッシブに切り拓いていくようなシーン、主に仕事面などでは、太陽や火星、水星などの力を発揮することが重要です。(もちろんこの限りではありません)

一方で、心の元気がない時は、月を満たしたり、金星を喜ばせることもよくお勧めされており、これらのバランスを整えることがホロスコープ全体の安定感に繋がるのではないかと思います。

 

 

では、タイトルの「月と金星の違い」についてですが、最大の違いは「欲するものが、生命維持になくてはならないものなのか」という視点にあるようです。

講座の中で「金星は人生にとって必要不可欠なものではなく、【より良く】するもの」といった説明をしていただきましたが、この視点があることで、自分の中での月と金星の象意の切り分けがだいぶ明確になってきました。

 

 

月は生命を守るための、本能的・生理的な安心や安定を欲する天体です。乳幼児期といった幼い頃の状態ともリンクさせることができるようですが、実際の人間のように成長することはなく、「潜在意識」「インナーチャイルド(内なる子ども)」などと表現される状態で、大人になっていく自分の中にも「月」として在り続けます。

 

乳幼児が自分の世話を自分で完結できないように、「月」も基本的には「人にやってもらって当たり前」といった甘えがあります。それは非合理的で無茶苦茶で、幼い子どもでなければ「我儘」と一蹴されるような欲求であることも珍しくありません。

 

 

私には息子が一人いますが、育児書や発達にかかわる情報を見ていると、乳幼児期にしっかり「甘えさせる」ことは愛着形成に欠かせないことであるということは良く説かれています。

「愛着障害」「アダルトチルドレン」といった言葉があり、幼少期に養育者に十分に安心して甘えられる経験が持てていないと、情緒や認知パターンの歪さが生じ、そこから人間関係のトラブルを引き起こしやすくなったり、精神的に不安定となり、二次障害として精神疾患の類も発症する可能性が高まると言われています。

 

野生の動物は、この世界に産み落とされたその瞬間から、自分の身体を動かして外界から身を守ろうとします。もちろん親の保護もありはしますが、人間の赤ちゃんほど無力さはなく、ましては「我儘」など言ってられません。

人間は高度な知能を持つと同時に、心や情緒も非常に複雑であり、「我儘」を言っても許してもらえる、愛してもらえる、自分は決して見放されないのだという経験を繰り返し得ながら、安心の基盤を形成していきます。

 

 

この概念がホロスコープの「月」と非常によく繋がってると思います。

大人になったとしても、「我儘」な「月」は心に在り続けます。

幼少期に実際的に周囲の大人へ上手く甘える経験が持てた人は、自分の「月」の我儘さのある欲求を特別なものと思わず、すんなり受け入れることができていたり、他者のそれも気にならない傾向があるように思います。愛着障害がない状態ですね。

「我儘」な感情が沸き上がっても、無意識レベルで「人間そんなもん」だとスルーしてしまえる認知を持っているのだと思います。

 

一方で、愛着障害と呼ばれるような、幼い頃に十分「我儘」を言って甘える経験が持てなかった人は、「月」の欲求を特別視する傾向があると思います。どうでるのかはその人次第だと思いますが「我儘な考え方はだめだ」「我儘を言えば嫌われる」という自責的・内向的なパターンや、「自分の欲求は呑んでもらって当然だ」と手当たり次第に、または特定の他者に対しての確かめ行動としてなど、対外的に健全ではない形で欲求を出してしまうパターンなどありそうです。

他者の「月」に対しても、「自分がやってあげなくては」と自己犠牲を伴うレベルで応答しようとしたり、「そんな我儘を言うやつは最低だ!」と否定的に捉えたり攻撃的になったりと、大きく感情が揺さぶられやすくなります。

どんなパターンも、「月」の不安定さからくるものだと思います。

 

 

では、愛着障害を克服するには、つまり「月」を満たせる状態にしていくには、どのような方法があるのかというと、「自分の心の声を聴く」ことであると言えると思います。

具体的には、カウンセリングや認知行動療法など、対話を通して自分の内面を理解していくことが一般的だと思います。また、「遊び」「レジャー」を通して自分を解放することであったり、ある程度年齢が幼ければ抱っこやおんぶなどの身体接触の安心からも改善が試みられることがあると耳にしたことがあります。

愛着障害は、「月」を満たす時期である子どもたちがリアルタイムで発症することもあるのです。

 

 

このように愛着障害のケアを通して、「月」の満たし方を考えてみると、複雑さはあれど、日々の営みにおける素朴で当たり前でありふれた事だと気づかされます。

ですが「月」が刷り込まれた感情やパターンはそう簡単には変えられない側面もあり、誰かの手を借りたり時間をかけて丁寧にケアする必要があると言えると思います。まさに幼い子どもの成長を見守るような姿勢ですね。

 

 

 

一方で「金星」は、冒頭の繰り返しになりますが「人生にとって必要不可欠なものではなく、【より良く】するもの」なので、「非日常感」「贅沢さ」という雰囲気がでてきます。

 

「美しさ」「楽しさ」「快適さ」を、芸術、対人関係、物資や金銭などに求めます。

金星が発達していると「センスが良い」と言われるような一見良さそうな状態にもなりえるのですが、それが発達しすぎると「センスが悪い物への嫌悪感」というものが同時に生じます。

講座での先生の例えでは「寝ることを欲してどこでも寝れるのが月、寝具が上質でなければ眠れないというのが金星が強い状態」と説明していただきました。

 

巷では、金星のポジティブなイメージばかりが紹介されていますが、この辺りのニュアンスを理解しておくことはリーディングの精度をあげるために非常に重要そうです。

 

 

金星の「贅沢」は、心を満たしてくれるものでもあるかもしれませんが、生命の欲求の基盤にある「月」が不安定な状態であれば、その「贅沢」は穴の開いたバケツに水を注ぐようなものになるかもしれません。

「我儘」で未熟でどうしようもない自分を受け入れ「月」が安定している状態で味わう「贅沢」こそが、消費するような楽しさではなく、人生に彩を添えてくれる美しく眩しい喜びになりえるのだと思います。