胃瘻造設後待っていた人② | 失語症になっちゃったダンナと私の日々 

失語症になっちゃったダンナと私の日々 

2022年12月末、定年退職後、大学院で勉強していたダンナが脳梗塞で倒れ、失語症になりました。
今はリハビリに通い、緩やかな生活を送っています。そんなダンナと私との日々の暮らしを綴っていけたらと思っています。

 

 てなことで、もう父は十分頑張ったから、

 

 少しでも傍にいてあげたいと思う。

 

 

 ちなみに父は私に「7月10日までに、自宅に帰りたい」と、

 

 小さな声で言った。

 

 

 

 なぜ7月10日なのか・・・。

 

 

 胃瘻を造ったのが6月10日だからかな。

 

 

 なーんだ。

 

 

 父はいつも自分で入院の期限を設定している。

 

 最初は6月中だったが・・・。

 

 

 

 私は父の行われている医療行為はすべてできるが、

 

 実家に引き取るにしても、

 

 介護休暇をいつまでも取るわけにはいかない。

 

 それはその相談員にも言われた。

 

 現実、足の悪い母もいるしそれは無理だと思う。

 

 なのでどこぞの施設に行くことになると思うが、

 

 父の自宅に帰るという希望は、

 

 外泊という形でも叶えてあげたいと思う。

 

 

 それは私の望みでもあるから。

 

 

 特養で今みたいに頻回に吸引してくれるのか?

 

 病院からいきなり施設に行って状態が悪くならないか。

 

 

 色んな不安があるが、生きて今の病院から出られる事を前提に、

 

 物事を進められるのは、本当に有難い事。

 

 

 

 

 父の心配で体が硬直して背中のだるさや凝りが続くが、

 

 生きてくれているからこそ、心配する事ができる。

 

 

 父は5㎏痩せて40kgで骸骨みたいになってるけど、

 

 それは父がしんどい中、生きて頑張った証し。

 

 

 

 生きている証拠。

 

 

 だから感謝なんだ。

 

 

 父が誤嚥性肺炎を繰り返して、

 

 熱が出て痰に溺れて、夜中もナースコールを押して、

 

 苦しい吸引して貰って、十分な睡眠もとれない中、

 

 ホントは作りたくない胃瘻を造る決心をして、

 

 父は身をもって生き抜こうとする力を見せてくれた。

 

 

 

 もう父の衰弱していく姿を見たくないと、

 

 弱気になっていたが、そうじゃないと分かった。

 

 父は必死で生きようと母の為に頑張っているのだ。

 

 

 

 

 全力で父のサポートをしようと思った瞬間だった。