お正月は両親と名古屋へ。

97歳になった父方の祖母に会いに行きました。

(昨年会いに行った時の記事はこちら←)









少しずつ痛いところが増え 
少しずつ目が見えなくなり
少しずつ気が弱くなり
少しずつ記憶が曖昧になることが増えたけれど

それでも自分の足で立って移動ができて
一人でご飯が食べられて
何より、


「来てくれて嬉しいなぁ」と言葉にしてくれて
嬉しそうな表情をして
いつものごとくお菓子を沢山勧めてくれて

そして、しっかりと会話ができる。
本当にすごいと思います。


ただ、しっかりしてるからこそ
そんな衰えていく自分を
しっかり感じてしまう辛さもある。

「しんどいわぁ」

その言葉の本当の意味を
私はまだ理解できていないような気がして
いつも何と返していいか分からなくなります。

「だいじょうぶだよ」も違うし
「がんばって」も違う。


ただ
「しんどいよねぇ、、そりゃそうだよね」
「おばあちゃんのおかげで私たちがいるんだよ、ありがとう」「また色々教えてね」、、

いつもそんなことしか言えなくて、、

もっと何か具体的に励ましたり
元気の出ることをしてあげたいと
思いながらも出来ないことが多く。

ただ、そこのところ

子どもはすごい!!!



自分が作ったブレスレットを
プレゼントしてみたり




ただ、おどけてみたり

もらったお菓子を美味しそうに食べたり

ステップを踏んだり
ハーモニカを吹いたり、、、

そんな風に

そこに存在してるだけで

おばあちゃんや、
そこにいるみんなを満面の笑みにしちゃうんだから

すごい!!


何か「してあげたい」なんていう私の気持ちが恥ずかしくなるくらい、ワガコはそこにいるだけで、ちゃんとおばあちゃんを幸せな気持ちにしてくれていました。

ありがとう、ワガコ。
ありがとう。


戦争時代を生き抜いた祖母が
4人の子どもを育ててくれたおかげで
7人の孫が育ち
そして今、祖母には4人のひ孫がいます。

毎日必ず、朝と晩に
この15人の名前を順番に声に出して
全員の名前を言った後で
「みんなとその家族が幸せに暮らせますように」と
祈ってくれてるそうです。


私はそのおかげで
毎日元気に楽しく幸せに暮らせてるのだと思います。本当に本当にその祖母の、強く優しい想いで生かされてる気がしてならないのです。


帰り際

いつも2階から下まで降りて、タクシーに乗る私たちが見えなくなるまで手を振って見送ってくれていた祖母が、「送りたいんだけどねぇ、、転ぶのが怖いからね、、」と初めて降りてこなかった今年。

最後まで「降りたいんだけどね、気持ちは降りたいんだけど怖くてね、、」と言いながら、2階でお別れしました。



少し寂しい気持ちで両親とワガコと
タクシーに乗って出発しようとしたとき、、


なんと!!




祖母が補助器具を使いながら
降りてきて外に出てきてくれたんです!!

まさか!

映画のワンシーンかと思いました。
一瞬で胸にこみ上げるものがありました。


たまらず
タクシーを降りて祖母に近寄る父。


「こらえきれんかった!!!」

と言う祖母を抱きしめる父。。。



そして少しして父は
名残惜しそうにタクシーに乗り込み
みんなで「またね!」と叫び
祖母の元を去りました。


寂しそうな祖母の顔を見ながら
何とも言えない切ない気持ちになりましたが
それ以上に

毎日同じ時間に東京から電話をかけ、
定期的に会いに行っている
親孝行な父が助手席でどんな想いでいるのか、、

その方が気になりました。

その気持ちを
後ろから想像することしかできませんでした。


静かな車内。


この、言葉のないときに胸にじんわり浮かび上がる
それぞれの「想い」こそ

祖母が

「生きるということ」を身をもって教えてくれているという、大切な大切な証なのだと思います。



そばにいたいけど遠くに住む父の気持ち、、
既に母親を亡くしている母の気持ち、、

そして息子家族を見送る祖母の気持ち。


私は、、、まだまだ知らないことばかりです。
本当に自分の未熟さに気づかされます。
いろいろな想いを想像して、そして経験して
少しずつ知っていけたらいいなぁ。


人生の大先輩から
もっともっと大切なことを教えてもらいたい。


2020年のはじまりに
会いにいくことができて本当によかったです。


また、会いに行きます。
またね!またね、おばあちゃん!