長く生きるということは
本当に良いことなのだろうか。

幾度となく祖父母に対して
「長生きしてね」と発言してきたけれど

今も両親や大切な先輩方に対して
そういう思いでいっぱいだけれど、、

先日、父方の祖母と会って、いろいろな話を聞いて、、長生きすることの切なさを感じた。




祖母は96歳。



毎日電話している父とも
突然会いに行った私とも
少々記憶が曖昧になってきてるが
会話がしっかりでき、
目は見えづらくなっているが
耳はよく聞こえているんだから、
本当にすごい。

4人の子供を育て上げ
26年前におじいちゃんを亡くしてから
一人で生きてきた。孫が7人。ひ孫が4人いる。

名古屋で私の舞台があるたびに見に来てくれていたが、今はそんな体力はない。ミュージカルやレビューが好きで「谷間さゆり」という芸名までつけて宝塚にも憧れていた祖母。

今回のワガコと私の名古屋へ2人旅。
目的はもちろん祖母に会うためだった。

度々電話で会話もしているのだが
今日はなんだかじっくり話しが聞きたい気分だったので、祖母にいろんなことを質問してみた。
祖母自身もいろんなことを話したそうで語りたそうで、何よりも誰かと話せることが楽しいという雰囲気だった。


その中で印象的だったのは

「今、何が一番しんどい?」
という質問に対する答えだ。


祖母から返ってきた言葉は、、、


「この世に友達が一人もいなくなっちゃったこと。あの人もあの人もあの人もみんないないんだなと想うと苦しいくらい寂しい。家族も大切だけれど友達も大切よ。」


「長く生きるのも、いいことばかりじゃないね」


なんて切なくやるせない答えだろう。
長生きした人にしか分からない感情だ。


「最近、一番うれしかったことは?」という質問には


首にかけているメダイ(ロザリオのようなクリスチャンがよくつけるネックレス。祖母はクリスチャン。)を触りながら

「何十年も前に、お父さん(旦那さん)にメダイを買ってもらったことかな。今もずっと嬉しいし、感謝しているの」

と答えた。


祖父について尋ねると
「20歳で出会ってからずっと好きだったから、今も会いたい!って思うし、毎日10回以上は、おとうさん!って話しかけてる。あんな良い人いないよ。会いたいね、、会いたい。」


と懐かしみながらも愛は今も注がれ続けてることがはっきりする口調だった。


何十年も前にしてもらったことを、今でも、たった今してもらったかのように新鮮に喜んでいる祖母が印象的だった。


「毎日、することがなくて、やりたいこともなくて、ぼーっと考える時間が増えて、身体も痛いし、不安にもなる」

2年前に亡くなった母方の祖母も、同じようなことを言っていた。

今の私は、目標もあって、食べたいものもあって、それを叶える体力があって、なにより子供を育てるという大きな役割を与えてもらって、毎日充実した日々を送らせてもらっている。

でも、いまの祖母の状態ならば、、
たしかに不安でいっぱいになるだろう。


長生きについて、また考えさせられた。


祖母が突然、「美帆ちゃん歌ってよ」と言うので
祖母に聞こえるほどの声量で、祖母が好きな「アメイジンググレース」を歌った。(こういう時、特に恥ずかしいという気持ちは芽生えないのが私の長所であり短所でもある) 

昔はよく一緒にカラオケに行ったのを思い出した。祖母は歌が大好きなのだ。


祖母は「とてもいいね、とてもいい」と言いながら、途中から、一緒に歌ってくれた。96歳とは思えない声量で。

途中でワガコが自分の耳を塞ぎながら
「おおきすぎるー」と言った。
祖母と2人でその姿に笑いながら歌い続けた。

「もっと聞きたい」と言うので
賛美歌の中からいくつか歌った。

誰か一人に対して歌うことは殆どないので、私は祖母の顔を見ながらどんな音でどんな柔らかさで歌えばいいか調整しながら歌った。

純粋に祖母一人のためだけのことを想って
祖母の心を柔らかくしたい一心で歌うことは
舞台で歌うのとは全く違った。
その経験は
私に、また新しい気持ちを芽生えさせてくれた。

私はまだ何もわかっていない。
まだまだ知らないことばかりだ。

祖母に会うたびに教えてもらうことばかりだ。

自分の未熟さに気づかせてもらえる
最高に有難い機会だ。


別れ際、
いつものように「元気でね!」とか
「がんばってね」なんて言えなかった。

元気なわけないし。
もう十分がんばってるから。

「いろんな話を聞かせてくれてありがとう。おばあちゃんのおかげで、色んな話が聞けて、おばあちゃんが身をもって生き様を見せてくれることで、私も生きることについて考えることができる。ありがとう。」

そんなようなことを言った。涙が出そうだった。


今の私にはどんな言葉や態度が96歳の祖母の心を癒すのか、エネルギーになるのか分からない。分からなくてもどかしい。きっと、自分が老いてみて、今の自分の未熟さにやっと気づくのかもしれない。


ただ、祖母の話を聞きながら、長生きすることに切なさを感じていた私だったが、

やはり、

どんなに祖母が辛くとも切なくとも

長生きをして
話せるほど元気でいてくれてるおかげで

子供たちや孫たちがその生き様を見ることができ、老いていくとはどういうことなのかを知ることができる。そして結果的に、「生きること」に感謝して、「生き続ける」ことに真正面から向きあうことができるのだと、帰り際に強く思った。


毎日やることがなくて、意欲がなくて、生きることに不安だらけと言っていた祖母だけれど、長生きしながら、しっかりと私たちに色んなことを教えてくれてるのだ。とてもとても大切なことを身をもって教えてくれてるのだ。

これまでの自分や今の自分を讃えながら毎日生活してほしいけれど、、
実際は、、寂しいだろうし辛いだろう。自信もどんどん失っているように見える。


私とワガコに会って、
少しでも元気な気持ちになってくれたならいいが。

きっとその効果は保つとしても数日間かもしれない。

また電話越しに歌うことを約束してぎゅーっと手を握り、ハグをして私たちは別れた。




(祖母の机に飾ってある家族写真)