【アニメ感想】『86-エイティシックス-』第8話 | 雪花の風、月日の独奏

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今週は変顔特集でした。

 

ウソです。そこまで変顔してませんでした。

 

 

 

今週は三下り半回とでもいうべきか。

エイティシックスの真実が見え、それでも「平等を!」「人権を!」と叫ぶレイナに、これまで彼女を諭すだけだった面々が本音を吐露する、レイナにとっての第二のドン底。

相変わらず絶望感を煽るピアノの劇伴が素晴らしい。

 

親友もおじ様も随分人が変わり過ぎじゃないかと思ったけど、いい加減分をわきまえないレイナに我慢の限界だというのも分かる。

二人とも決してエイティシックスを心の底から蔑んでいるわけではない。それでも国家や組織といった「集団」の中では「個」の感情は潰されるだけ。

その現実をよく理解しているからこそ、二人ともやりきれない気持ちを押し隠して、平然と振る舞っている。仕方がないと割り切っている。

それがいわゆる「大人」。

 

対して、レイナは理想を抱えたままの「子供」。

彼女が抱える理想は悪いものではないけれど、「どうにかして止めないと」という彼女の台詞が示す通り、理想を実現するための手段を全く持ち合わせていない。

主義主張が立派でも、貫き通すだけの地位と力がなければ、所詮は綺麗事。

前回の賄賂で多少は「大人」のやり方を覚えたけれど、根っこは1話の頃から変わっていない。

大人になってしまった側の人間から見れば、自分がなくしたものを見せつけられているみたいで、一番傍に置いておきたくない人種かも。

折り返し地点を過ぎても帝国サイドは鬱々としているな。もどかしい。

 

 

対するエイティシックスサイドは、あっけらかんとしたもの。

あれだけいた戦隊メンバーもその数をどんどん減らし、遂には5人にまで。

結局生き残ったのは各小隊の隊長だけか。

レイナは「逃げてください」と言っていたけれど、すでに腹をくくっている彼らにすれば無粋な行為かな。

 

ハンドラーの悲嘆とは裏腹に、清々しく出立するスピアヘッド戦隊。

その先にあるのは絶望か、希望か。