【読書感想】京極夏彦『書楼弔堂』「破暁」「炎昼」(集英社文庫) | 雪花の風、月日の独奏

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『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』でおなじみ、

妖怪シリーズを想起させる京極夏彦先生の新シリーズ。

 

 

 

 

 

本屋が舞台だというだけでもトキメキが止まらないのに、

その本屋「弔堂」を明治時代に生きた文豪、絵師、学者などの偉人・著名人が訪れ、

「世界で一冊しかない自分だけの本」を求めるという心踊る筋書き。

京極ファンは買わずにはいられないシリーズだ。

 

語り部である主人公たちが偉人と出会い、

彼らの懊悩を目の当たりにする場面の高揚感は、

関口先生が『陰摩羅鬼の疵』で大作家・横溝正史と対話したシーンを思い出させる。

史実の偉人にまつわる逸話を描かせたら京極先生の右に出るものはいないのではないか。

本を手に取ってくれた人々にも驚きを味わってもらいたいので、

本文中でどんな偉人が登場するかはここでは具体的な記述は伏せておく。

 

本作でもおなじみの京極節が発揮されているので、

本筋からの脱線(に見せかけた結論に至るまでの長い助走)は多いし、

古風で厳めしい文体が人を選ぶのも相変わらずなのだが、

各話完結なので、そこまで読破に力を入れなくてもいいのはありがたい。

 

『書楼弔堂』「破暁」には、妖怪シリーズファンには嬉しいサプライズが待っている。

「破暁」の終章「未完」に、未刊行の『鵺の碑』(だと、私は受け取った)に対する

京極先生の姿勢が示されているのだ。

 

続きを待ち望んでいた身としては、非常に悔しい回答だが、

先生が「未完のままで終わった方がよい」と判断を下されたのであれば、

それを受け入れるのもファンの努めというもの。

何より、もう10年以上も音信のなかった妖怪シリーズに

何らかの解を与えてくださったのは嬉しい。

でも未完にするなら『塗仏の宴』で終いにした方が区切りが良かったと思ったのは内緒だ。

そして、やっぱり『鵺の碑』読みたかった。

 

あと、「破暁」の語り部の結末には、戦慄。

京極先生らしいと言えば、らしい結末だ。

あんな終幕もありなのかもしれない。

 

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当シリーズで一番印象に残った章は、

2巻目「炎昼」の後半に収録されている探書拾壱「無常」。

この章以外にあり得ない。

 

ナキト様。

泣き虫のナキト様。

 

弔堂は、「世界で一冊しかない自分だけの本」を提供し、偉人たちの心を救う。

懊悩が深くとも、余命幾ばくもなくとも、

その一冊を差し出すことで、偉人たちは悟りを得て帰っていく。

 

けれども、弔堂は、唯一、ナキト様だけは救うことができなかった。

生来の優しさが己の所業を苛み続け、

生来の優しさが彼を修羅の道へと進ませていく。

旧知の弔堂がどんなに諭しても、

ナキト様は黄泉路への歩みを止められなかった。

 

読了後、ナキト様に関する史実を調べ、その尊顔を仰いだ。

なんて眩しい笑顔なんだろう。

その立場を忘れさせるぐらいナキト様の笑みは、こぼれんばかりに輝いていた。

この人がどうして死を選ぶことになったのか。

彼らが築いた後世を生きるものとして、知る必要があると強く思った。

 

日本に帰れるようになったら、ぜひ彼の記念館に足を運びたい。