「黄色いさくらんぼ」「三百六十五歩のマーチ」「函館の女」など数多くのヒット曲で知られる作詞家の星野哲郎(ほしの・てつろう)氏が、15日午前11時47分、心不全で亡くなったことがわかった。85歳。山口県出身。葬儀の日程などは未定。
大正14年生まれ。昭和21年、高等商船学校(現・東京海洋大学)を出てトロール船の船乗りになったが、腎臓結核にかかり断念。
療養中の27年に雑誌「平凡」の募集歌に応募した「チャイナの波止場」が入選、選者の作詞家、石本美由起さんの勧めで作詞家に。その後も各種の懸賞作詞に応募して入選し、作曲家の船村徹さんに勧められ上京、33年に日本コロムビアの専属となった。
星野さんの才能を見いだしたのは、後に“黄金コンビ”となる作曲家の船村徹氏だった。
昭和32年、産経新聞社主催の横浜開港百年祭記念イベントで、船村さんが美空ひばりがうたう歌詞を募集。このときの一等が「浜っ子マドロス」、二等が「みなと踊り」で、いずれも星野さんの作品。それぞれA面、B面としてレコード化された。船村さんに呼ばれる形で、本格的にプロの道を歩み、日本コロムビアの専属作詞家に。都はるみらを送り出した後、日本クラウンの創立に参加した。
34年にスリー・キャッツが歌った「黄色いさくらんぼ」(浜口庫之助作曲)が大ヒット。39年には、都はるみさんが日本レコード大賞新人賞を受賞した「アンコ椿は恋の花」を作詞した。
39年、日本クラウンに移籍。北島三郎の「兄弟仁義」「函館の女」、水前寺清子の「いっぽんどっこの唄」「三百六十五歩のマーチ」、渥美清さんの「男はつらいよ」、美空ひばりさんの「みだれ髪」、「昔の名前で出ています」で小林旭を復活させ、船乗りだった鳥羽一郎に「兄弟船」を作詞し、演歌作家の第一人者と言われた。生涯で創作した作品は4000を超え、数々のヒット曲を世に送り出した。
紫綬褒章、勲三等瑞宝章を受章。日本音楽著作権協会会長も務めた。
昭和の偉人がまた一人去っていってしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
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