プロ野球の巨人、阪神で投手として活躍し、江川卓投手とのトレードで知られる現日本ハム投手コーチ、小林繁(こばやし・しげる)さんが17日、心不全のため福井市内の病院で死去した。57歳だった。葬儀は20日正午、福井市松本4の8の7の千福寺りんどうホール。喪主は妻静子(しずこ)さん。
関係者によると、小林さんは17日朝、同市内の自宅で「背中が痛い」と訴え、家族が背中をさすっているうちに容体が急変。救急車で同市内の病院に運ばれたが、午前11時に亡くなった。
小林繁氏(享年57)の葬儀、告別式が20日、福井市内の斎場で500人が参列して営まれた。阪神時代にともにプレーし、01年には近鉄のコーチとしてリーグ優勝を果たした阪神・真弓明信監督(56)は、小林氏が現役時代に見せた巨人に対する強い気持ちを継承するために、ミーティングなどで当時の勇姿を放映する考えを明かした。
これが今生の別れだとは思えなかった。あまりにも突然のふ報は、最後の時を迎えても信じられなかった。午後1時40分、総監督を務めたオールスター福井の教え子たちが「小林さん、ありがとうございました!」と頭を下げ、最後の旅路へと出発した小林さん。その様子を真弓監督は目に焼き付けるように、じっと見つめていた。
「これが別れになるとは信じがたい。納得できない」。指揮官は悔しさを押し殺すように言葉を並べた。今も目をつぶれば、細い腕で宿敵・巨人に立ち向かっていった姿が浮かんでくる。プロ野球界を生き抜いていくために、重要なのは技術でも体力でもなく、気持ち。それを教えてくれたのが小林さんのピッチングだった。
「本当に安らかに眠ってくださいとしか言いようがなかった」と真弓監督は別れを告げた。
小林さんはまだ57歳。突然の心不全のための訃報に驚きました。明石家さんまさんが小林投手のモノマネをしていたのをよく覚えています。ごたごたはあったけど、阪神で大スターとなった選手で、コーチとしてももっと活躍して欲しかったですね。
ご冥福をお祈りします。
<訃報>タレントミッキー安川さん死去
テレビ番組のリポーターやラジオのパーソナリティーなどとして活躍したタレントのミッキー安川さん(みっきー・やすかわ、本名・安川実=やすかわ・みのる)が18日午後2時55分、肺炎のため横浜市内の病院で死去した。76歳。葬儀や喪主は未定。
ラジオ番組のレギュラーを数本務めていたが、昨年12月下旬から体調を崩し、入院していた。
横浜市生まれで、高校卒業後、18歳で単身渡米。約4年間、各地でさまざまなアルバイトをしながら、大学などで学んだ。帰国後、貿易商社勤務を経て、日劇ミュージックホールでコメディアンとしてデビュー。以後、ジャズ歌手、映画俳優、司会など幅広い分野で活躍し、ラジオ日本「ミッキー安川のずばり勝負」など多くのラジオ番組でパーソナリティーを務めた。著書に「ふうらい坊留学記」「へこたれない本」など。
ラジオ日本で、30日午後8時から1時間枠で追悼番組を放送する。
ミッキー安川さんは、リポーターや、「ルックルックこんにちは」、「朝まで生テレビ」等のコメンテーターで、毒舌だった印象がとても強い。体調を崩されてテレビはあまり出ていなかったんですね。
ご冥福をお祈りします。
「キン肉マン」ロビンマスク役の声優自殺か!
テレビアニメ「キン肉マン」でロビンマスク役を務めた声優の郷里大輔(ごうりだいすけ)(本名・長堀芳夫)さん(57)が、東京都中野区内の路上で死亡していたことが分かった。
ポケットに家族にあてた遺書を所持していたことから、警視庁中野署は自殺を図ったとみて調べている。
同署幹部によると、17日午後3時頃、同区本町の路上で、郷里さんがうつぶせで倒れているのを通行人が発見し、同署に通報した。郷里さんは手首から血を流しており、遺体の下にナイフがあったという。
所属事務所によると郷里さんはアニメの声優や洋画の吹き替え、テレビ番組のナレーターなどを務めていた。
自殺ということのようでとてもびっくりしました。ウィキペディアを見ると、「起動戦士ガンダム」、「ドラゴンボール」のミスター・サタン、牛魔王。「ONE PIECE」ジンベエ等たくさんの出演がありますが、特撮でもウルトラマンシリーズ、戦隊シリーズの最近では、「ゴーオンジャー」でケッテイバンキ、「シンケンジャー」でオオツムジ、「レスキューファイアー」でドンカエンの声をされていました。
数年前から糖尿病を患い、網膜はく離を併発して視力が極端に低下して、台本が読みづらくて、思うように仕事が出来ないと言っていたそうです。
会ったことはありませんが、団塊の世代、人気声優さんが突然自殺とのことで言葉がありません。
ご冥福をお祈りします。
「アングラの女王」浅川マキさん突然死
「アングラの女王」と呼ばれ、団塊の世代を中心に支持された歌手の浅川マキ(あさかわ・まき)さんが17日夜、公演のため滞在していた名古屋市内のホテルの浴室で死亡しているのが見つかった。67歳だった。愛知県警によると、死因は急性心不全。公演は15日から3日間で予定し、16日には「あしたのライブも頑張るよ」と張り切っていたという。葬儀は20日、故郷ので親族のみで執り行う。
愛知県警中署によると17日午後7時45分ごろ、浅川さんが開演前になってもライブハウスに現れないため、事務所スタッフがホテルへ様子を見に行ったところ浴室で倒れていた。病院へ搬送されたが、既に心肺停止状態だったという。
浅川さんは15日に続いて16日も午後7時半ごろから午後10時までライブを行い、その後、共演者と食事。17日午前0時ごろホテルに戻った。
発見時、部屋は施錠されており、荒らされた形跡はなく、浴槽に顔をつけ倒れ込むように、ぐったりしていたという。関係者は「薬は飲んでいたが、特に持病はなかった。ただ、何かにぶつけたか、転んだような跡があったようです」と話している。
浅川さんは20年ほど前、左目の網膜剥離(はくり)を患い、最近は右目の視力も落ちたため「ステージに上がる時はスタッフが誘導していた」という。
初アルバム「浅川マキの世界」(70年発売)をプロデュースし、40年間親交がある寺本幸司さんは、16日のライブを観賞。「素晴らしいステージだった。終演後も30分くらい話したけど“あしたも頑張る”と言って元気いっぱいだったのに」と突然の死が信じられない様子で、体調についても「特に覚えがない。ただ、よく転倒したりぶつけたりしていた」と話した。
67年、「東京挽歌/アーメン・ジロー」でデビュー。翌68年に故寺山修司さんが演出した東京・新宿のアングラ劇場「蠍(さそり)座」のひとり舞台で注目を集めた。アンダーグラウンドを略して「アングラ」と呼ばれた前衛的表現の代表的な担い手として熱い支持を受け、代表曲は「夜が明けたら」「かもめ」など。
歌手を目指して上京してから40年余、最後まで新宿を拠点に活動。昨年末も新宿ピットインで5日間公演を行った。生涯独身。関係者は「本当はきょう(18日)だびに付そうと思ったが、本籍地が分からなくてあした(19日)になっちゃった。時代や常識に迎合せず、歌とともに生きることを貫いた彼女らしい」とアングラの女王を悼んだ。
浅川マキさんは、ライブ中に浴室で転倒して亡くなってしまったようです。目がお悪かったようです。私もリアルタイムではよく知りませんが、昔に中津川フォークジャンボリーにも出演されていて、歌がよくラジオ等でかかっていました。アングラだったんだな。
一度聞くと忘れられない位、暗い歌が多いけど、歌で演じている感じでした。
ご冥福をお祈りします。
「夜が明けたら」、「かもめ」のA・B曲で有名ですが、「赤い橋」という北山修さん作詞の歌を選曲します。赤い橋を渡った人は帰らない不思議な橋。水の無い川。橋のたもとには赤い花。シュールでサイケな世界です。浅川さんも橋を渡ってしまったのですね。
赤い橋 浅川マキ
