同署によると、加藤さんは16日に1人でホテルに宿泊。17日午前8時半ごろ、ホテルから同署に「宿泊客の様子を確認してほしい」と通報があり、署員が駆け付けたところ、浴室内で死亡している加藤さんを発見した。
加藤さんは数日前、知人女性との電話で「死にたい」という趣旨の話をしていたという。その後、加藤さんと連絡が取れなくなり心配になった女性がホテルに問い合わせた。
女性は加藤さんが訪れそうな場所を捜していたという。ホテル側が内線電話をかけたが応答がなかったため、同署に通報した。
遺書とみられる文書は紙に印刷され、加藤さんの関係者にあて書かれていたという。知人女性と音楽関係者の男性が本人と確認した。
加藤さんは1947年京都市生まれ。1965年、龍谷大在学中にザ・フォーク・クルセダーズを結成し、自ら作曲した「あの素晴しい愛をもう一度」「帰って来たヨッパライ」などがヒットした。
その後、サディスティック・ミカ・バンドを率いた。
北朝鮮の曲を基にしたクルセダーズの「イムジン河」は発売中止になったが、2002年にCDが出て話題となった。最近も08年に別のバンドのアルバムを発表するなど、音楽活動を展開していた。(時事ドットコムニュースより)
奥さんのミカさんと離婚し、サディスティク・ミカ・バンドを解散後、1977年に作詞家の安井かずみと再婚し、公私ともにパートナーとなる。1990年代初頭、安井さんが病に倒れるまで加藤さんと安井さんの作品をソロでだしたり、他のミュージシャンに提供していた。1980年代は映画音楽、1990年代後半からは、スーパー歌舞伎の音楽なども幅広く手掛けていた。
木村カエラさんと「サディスティック・ミカエラ・バンド」もやっていたよね。
映画「パッチギ」が公開されて、「イムジン河」を坂崎幸之助さんと加藤さんでフォークルを期間限定で結成していたのも良く覚えているし、2007年から「和幸」という坂崎さんとユニットを作って、新曲も出していたよね。
「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤和彦さんと北山修さんのユニットで、教科書にも載りました。
映画音楽だと、「だいじょうぶマイフレンド」、「探偵物語」、「四月物語」。
作曲が中心だけど、楽曲提供で有名なのは、トワ・エ・モア「初恋の人に似ている」、ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」、岡崎友紀の「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」、小林麻美「微熱」、竹内まりや「不思議なピーチパイ」、西田ひかる「私のNO.1」とか、たくさんあるけど、ウィキペディアを見たら、知らないのが多いからそんなに売れなかった曲もあるようです。
私は、サディスティック・ミカ・バンドのロックのイメージが強い。前にもYouTubeをアップした「サイクリングブギ」がデビュー曲で、「タイムマシンにお願い」も好きな曲だ。フォークから派手なビジュアルのロックになって驚いたが、カッコよくなって、こっちが本当にやりたかったのかなとも思った。
バンドの名前の由来は、ジョン・レノンが結成していた「プラスティック・オノ・バンド」をもじったと言われている。ミカさんがサディスティックっぽいから。昔から、おしゃれでウィットに飛んだ、時代を先行く感じの人でした。
なぜ自殺をしたのかは分かりませんが、自分で幕を引きたいと思う気持ちは分かる気がします。
でも、ホテルで自殺すると、ホテルに迷惑がかかるのは考えなかったのかな。軽井沢のホテルに行くと、加藤和彦さんの霊に会えるかもね。
ご冥福をお祈りします。
悲しくて、悲しくてとてもやりきれない。このやるせないもやもやを、誰かに告げようか。
加藤和彦さんの歌をいつかアップしよう思っていたけど、こんな形で出すことになるとは想像も出来ませんでした。
帰ってきたヨッパライ フォーククルセダーズ
青年は荒野をめざす フォーククルセダーズ
命かけてと誓った日から、素敵な思い出残してきたのに、あの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない。あの素晴らしい愛をもう一度。
赤とんぼの歌を歌った空は、何にも変わっていないけれど、あの時ずっと夕焼けを追いかけて行った二人の心と心が今はもう通わない。あの素晴らしい愛をもう一度。
広い荒野にぽつんといるよで、涙が知らずにあふれてくるのさ。あの時、風が流れても変わらないと言った二人の心と心が今はもう通わない。あの素晴らしい愛をもう一度。
あの素晴らしい愛をもう一度 加藤和彦と北山修(作詞:北山修 作曲:加藤和彦)
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