「中津川フォークジャンボリー」あれから40年 ① | Coffee break

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テレビ・映画・特撮・本など好きなものを徒然に書き込み、勝手に応援して行きます。

私は古い歌のYouTubeを貼りつけるけど、それは最近の歌を入れて紹介すると売り上げに影響すんじゃないかと思うからで、いつも歌番組は見るし、新しい歌も好きだ。偏ってはいると思うけど。

古い歌を大事に思っているのも本当だし、音楽に熱狂した歴史にも興味がある。

「中津川フォークジャンボリー」も現実には知らず、レコードで聞いただけだけど、数々の逸話があるのも聞いているが、「中津川フォークジャンボリー」はその後3回続き、38年ぶりに復活すると聞いて、行けないけどそのころの出演者、企画・主催者の思いが書かれていたので、入れようと思っていました。

あの頃コンサートに行った人たちも、あんな大事になるとは思っていなかっただろうし、また集うファンたちは、きっと懐かしい気持ちで音楽を楽しみにして、8月1日を向かえているはず。また何か歴史的なことが起こるかもしれません。(いい歴史として)


この8月1日、「中津川フォークジャンボリー」が38年ぶりに開催になる。吉田拓郎『人間なんて』の絶唱を始めとして多くの名演が繰り広げられてきたこのコンサートは、日本のポピュラー音楽史上、最重要の「事件」のひとつに数えられる。わずか3回で幕を下ろしたフォークジャンボリーとは何であったのか。いままたジャンボリーが復活することの意義とは何か。70年代当時の出演者であり、またこの度の新ジャンボリーにも出演予定のなぎら健壱氏にうかがった。

http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20090722-00000000-nkbp-bus_all.html?p=1

なぎら健壱さんインタビュー(一部抜粋)

「中津川フォークジャンボリー」は1969年から71年までの3年間にわたり、定期的に開催されたコンサートだ。日本における屋外大規模イベントの嚆矢であること、当時の出演者の中には現在も音楽シーンの中で重要な位置を占めている人が少なくないことなどもあって、いまでは半ば伝説的に語られていたりもする。

しかし1971年以降も「中津川フォークジャンボリー」と銘打ったコンサートは何度となく開かれており、そのうちのいくつかは他ならぬ私自身も出演している。本稿については「1969年にスタート、71年で終了」というコモンセンスに従って筆を進めていくけれど、少なくとも「38年ぶりに開催」は嘘としかいいようがなく、私にはどうにも腑に落ちない感じが残ることは是非とも明記しておきたい。

中津川フォークジャンボリーで伝説的に受け継がれた「嘘」はまだある。吉田拓郎に関するものだ。いわく、1971年のジャンボリーで、サブステージにいた吉田拓郎が『人間なんて』を2時間にもわたり演奏、メインステージを「食う」ほどの盛り上がりを見せた。それは「岡林(信康)から拓郎へ」という、フォーク界の世代交代を観客に強烈に印象づけた――、と。雑誌やムックで当時のフォークの特集を組むと必ずこういう記事が載る。しかしこれも事実ではない。

私は出演者として、また観客としてこの会場にいた。その経験に照らして、拓郎の絶唱はメインステージを食ってもいないし、ましてフォーク界の新ヒーロー誕生を告げるものでもなかったと思う。もちろん「日本の大衆音楽史」というマクロ的な視点からすれば特筆さるべき大事件ではあったが、少なくとも当時の観客の中で「これからは拓郎の時代だ」と感じた人はごく少数だったはずだ。

というのも吉田拓郎のいたサブステージはキャパシティ300名程度の小さな会場で、あえていえば仲間うちでこぢんまりと盛り上がっていたに過ぎないからだ。そもそもメインステージには「アンチ拓郎」が山のようにいて、コーラ瓶を片手に(もちろん投げつけるためである!)拓郎の登場を待ちかまえていたのである。「フォーク界の世代交代を印象づけた」どころの話ではなかったのだ。

余談だが、拓郎にとって幸いだったのは、サブステージはメインステージの死角に位置していたことだ。だからメインステージ会場にいたアンチ拓郎一派は、サブステージで拓郎本人がいることに気づかなかった。もし両ステージの距離が近ければ、当然アンチ拓郎一派はサブステージに押しかけて演奏を妨害していたことだろう。

つづく