昨年 放送された物を再投稿します

音譜音譜音譜音譜音譜
KC'sBAR 毎週日曜日 21:00〜
アシスタント masaeさんの3月11日



アップ*津波に全てを壊され荒れ果てた瓦礫の地でけなげに咲こうとするつぼみ。

最初はカメラを向けるのはどんなものかと思ったそう。
「あなたが記録に残さないでどうするの」
背中を押されて〜私の3月11日〜が歩み始めたそうです。

*転載


masae さんFB



 こんな 凄いことになるなんて、 故郷が一瞬にしてなくなってしまった。
地震直後、妹の無事を確かめたあとは、携帯も電話も繋がらず なんの情報もないまま、ただただテレビを見続ける日々。
人口4500人ほどの小さな港町
町のほとんどの人が知り合いか友人か親戚で成り立っている町 お互いが知らなくても、「○○丁目の○○の孫です。」で 通じる町
私を育ててくれた町 私の両親が眠る街
私の兄妹、親戚が住む町
私の友達が住む町
背くらべをした柱も、思い出のアルバムも、両親の位牌も...何もかも流されてしまい 跡形も無くなってしまった。
被災地を写した空からの写真のなかに、自分の町を見つけた。 ニュースで流れるような瓦礫の町並みを覚悟してどんどん写真を拡大していく
我が家があった場所には....
何も ない
何も、 ない。
ただ灰色の平地が広がっているだけ。
凄まじい津波は 瓦礫も残さず我が家一帯を浚っていってしまった。




パソコンの画面を見つめながら涙が止まらなかった。
地震から2、3日たってやっとぽつり、ぽつりと電話やメールが繋がりだし 幸いなことに ほとんどの人は無事であった。
家も、車も、職場さえも失ってしまったけれど それでも無事でいる事を喜ぶ。
電気もガスも水道も食料もないか、足りない状態。
それでも 生きていることに喜びあう。
福島原発から50キロしか離れてなく、逃げる車も交通もないけど、 今、無事でいる事を喜ぶ。
これ以上の試練が彼等におこらないことを願わずにいられない。
彼等のことを思って、 涙を流す事しか出来ない自分が
悲しい。
・・・・・・・・。

 


「まだ危ないから 来なくていい。もっと落ち着いてから来な」
皆にそう言われ、今行けば 却って迷惑なんだと自分に言い聞かせ
近くのホテルが営業再開されるのを待つ。
毎日 テレビとネットにかじり付く日々
          気が付いたら、桜が満開になっていた・・・。

4月17日
仙台入り
途中の高速では自衛隊や救援車両が何台も何台も連なって北上するのを見た。
台数もすごいが、高知ナンバーや鹿児島ナンバー、そして愛知も・・・。
本当に全国から救援の手が差し伸べられてる。
いつまでも続く救援車両の列に思わず目頭が熱くなる。
 妹の家にまず急ぐ。
 妹の家は海岸から6~7キロ
 幸い津波の被害からは免れた。
無事なように見える家だが、 奥の部屋は土台にひびが入り 傾いてしまっている。 姪っ子(中1)は地震の時一人 で家にいた。
「あまりの揺れに怖くなって隣の友達の家に行ったの。 津波注意報を聞いて2階に上がり友達と海のほうをずっと見てた。
遠くから 水の壁が迫ってくるのが見えた。
どんどん どんどん近付いてきて絶対こっちまで来る!って ドキドキしながら見てた。家 から数十メートル手前まで来たとき「水 止まったぞ!」とおじさんの声がして 助かったぁと思った。」
 
  

近隣から見物の車があとを絶た ず、救援車両の通行に支障が出 たため、やむなく被災地への通 行を制限することに。 許可証がないと立ち入れない。
  制限区域手前の道路 一見何事もないようだが、歩道には船が残ったまま。 津波でここまで運ばれて来た。

   

制限区域に入った途端
コンビニの無残な姿に出くわす。

  いたるところに漁船が転がり
田んぼにはいまだ無数の車が・・・。


実家のあった場所。
土台だけが残った。

 「あれこれ残ってたら片付けも大 変だったから、何にも残ってなく て 面倒がないから 却ってよかったっちゃ。」

 「なぁンにも残ってないんだ。
笑うしかねぇべ。」


家の思い出が一つでも出てこな いかとあちこち探すが、砂に覆 われた地面をちょっと掘ると 割れた食器や窓ガラスのかけら だらけで とても危険・・・。

  父の形見の工具箱。 重いので流されずに済んだのだろう。


家の近所の公園は がれき集積場になっていた。ガレキの左右に工事車両が見える。
右奥に見えるのは町の温泉施設。
2008年にオープンしたばかりだが、津波で中はめちゃくちゃに・・・。



4月3日地元の新聞に掲載された津波が押し寄せた瞬間の写真。 (前頁の温泉施設の屋上から職員が撮ったもの)

地震から1時間以上が過ぎた午後3時52分。 海岸沿いの松林から温泉施設の北東にある 駐車場にゆっくりと海水が流れ込んだ。

2分後、流れが強くなり、駐車場にあった車 を一気に押し流した



白波を立てて荒浜地区をのみ込む津波。右が海側、左上の建物は魚市場など漁協の施 設群=3月11日午後3時59分、わたり温泉鳥の海の屋上から白井龍治さん撮影

もう、街並みはない。まさに実家が流された瞬間・・・。


家から海のほうを眺める。
松林の向こうにあるはずの堤防が
手前に転がっているのが見える。

   切り取られたかのような堤防。
家の近くまで運ばれて横倒しに。


一軒だけぽつんと立ってる家。

でも、近付くと一階部分がない。
建ってるのが丌思議なくらい。

 ひっくり返った車。
よく見るとドアにテープが貼ってある

「4/1 廃車 済」と読める。 確認作業が行われた跡だろうか。



まるで、ゴーストタウン。

ひとけのない町を私たちだけが動いてる。
聞こえるのは、自分たちの声だけ。

この町に いつかまた笑い声が聞こえるよう になるのだろうか。

 時折、ヘリコプターの音が響き渡る。

自衛隊だろうか。それとも取材のヘリ?

道端の車は全て津波で流されて
壊れてしまった車。

  

海岸線から3キロほど離れた父方のいとこの 家
一階の軒下に津波の跡がくっきり・・・。
水はここまで上がってきた

  おそらく2階の部分だけが流れついたんだと思うが 元の場所からどれぐらい流されてきたのだろう


両親が眠るお墓へ向かう
一瞬、どこが自分ちのお墓かわからなくなる。

当然だ。みんな自分たちのこれからのことで精一杯。
お墓まで手が回らない。