これまで、アイスランドの古代史について一通り記述してきました。アイスランドは、主にノルウェー系ヴァイキングの入植によって形成されてきました。ここでは、他の地域におけるヴァイキングの活動は、一体どういったものであったのかを考察していきたいと思います。
西暦793年、ブリタニア(現イングランド)北部にあるリンディスファーン修道院に、突如としてヴァイキングが襲いかかりました。それ以前にも、単発的にヴァイキング活動がおこなわれていましたが、この修道院襲撃事件は、過去に類を見ないほど大規模な活動でありました。これが、西洋史における表面上最初のヴァイキング活動として記述されております。この襲撃事件の中心となったのが、後のアイスランド入植の祖となるノルウェー系ヴァイキングでした。その後、彼らはブリタニア各地への遠征をおこない、またアイルランドへその活動範囲を広げていきます(ちなみに、アイルランドの首都ダブリンは、彼らノルウェー系ヴァイキングによって建設されました)。そして、アイスランド・グリーンランドへの入植。さらには、北米大陸(ヴィンランド)への到達など、冒険家としてその名を残すこととなります。
一方、デンマーク系ヴァイキング(デーン人)は、その拠点をユトランド半島に置き、主にフランク王国北部(現フランス~ドイツ)へ船首を向けていきます。セーヌ川を遡り、パリを襲撃し、ナント、カレー、ハンブルグなどへ進行し、略奪をおこないました。当時、そのあまりの恐ろしさに、人びとは神の救いを求め、終末を語り合ったとされています。特に聖職者(ローマ・カトリック教会)は大混乱に陥り、多くの聖品が内陸部への疎開措置がとられました。後にフランク側を屈伏させ、首領ロロ率いる遠征隊によりノルマンディー公国が成立します。
また、イングランドへの遠征も大規模におこなわれました。9世紀には、イングランドのアルフレッド大王によるヴァイキング掃討戦により、一旦はアングロ=サクソン系の支配が復活しましたが、その後もデーン人の襲撃は止むことはありませんでした。西暦1002年に、イングランド側によるデーン人への殺戮がおこなわれ、それを口実に、時のスヴェン=デンマーク王による大規模な侵略を許してしまいます。後を継いだ息子のクヌート王は、西暦1016年についにイングランドを屈伏させ、イングランド・デンマーク王となります(後にノルウェー王にもなる)。ここに、北海帝国が出現し、リンディスファーンから続いたヴァイキング活動に一旦終止符をうつことになりました。
次回、スウェーデン系ヴァイキング活動に続く。