一番の長は責任をとらない | 気になるニュースチェックします。

気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

 

★第一総軍の終わり 人柱の犠牲の上に

 

第二総軍は原爆投下で全滅させられました。

残るは第一総軍のみとなりました。

一番手っ取り早いのは、第二総軍と同じく原爆投下ですが

なにしろ第一総軍は東京です、第二総軍は広島だったので

皇居には影響ないが第一総軍は東京なのでそういうわけにはいかない。

 

それにそう何度も原爆を落とすわけにもいかない。

そこで計画されたのが、815宮城事件というわけです。

この事件は宮城に対して、行われたクーデターです。

 

●世にいう815宮城事件の、日本国の記録として認められた公式見解

 

【14日に至り陸軍省参謀本部の、中堅幹部のある者はついに

  近衛師団参謀の一部と相謀り、近衛師団を中心としてクーデターを起こし

  もって聖旨を翻さんと計画した。

  首謀者は、畑中健二、井田正孝、椎崎二郎、古賀秀正、等の

  中、少佐級であった。】

 

 

 近衛師団を中心としてクーデターを起こしたその首謀者は

 畑中健二、井田正孝、椎崎二郎、古賀秀正であったという。

 続いて公式見解をみてみます。

 

 【14日夜11時ころ、直接、森近衛師団長に面会し、師団長の賛意を強要した。

  森師団長は、特に近衛師団長としての理非を明らかにし断固として

  その強要を斥けた。

  畑中等はそこで、森師団長を殺害し、偽近衛師団長命令を発した。

  偽命令によって、一部近衛連隊は、宮城と放送局に乱入した。】

 

 森近衛師団長に会い、このクーデターに参加するよう強要するが、森は

 その強要を斥けたので、畑中らは森師団長を殺害したという。

 そして森に代わって偽の師団長命令を発した。

 続いて見てみます。

 

 【玉音放送の録音が終わって、宮城を退去せんとした下村情報局総裁等の

  一行はたまたまこれに遭遇し、とらわれて二重橋畔の衛兵詰め所に監禁された。

  蓮沼武官長も軽禁され、木戸内府、石渡宮相は、地下金庫室に危うく難を避けた。

  一部将校は、玉音放送の録音盤を操作し、下村総裁、放送局の矢部理事

  徳川義寛侍従は、録音盤の所在について取り調べられた。  
  録音盤の発見し得ざるうちに、15日未明となるや田中静壱東部軍令官の

  手によってこれらの反乱軍は、説得鎮圧せられた。

  これが世にいう815事件である】

 

 日本の公式見解では以上のようになっています。

 首謀者は畑中健二、井田正孝、椎崎二郎、古賀秀正の4人で

 近衛師団長の森にもクーデターの賛意を要望したが、これを拒否したので

 森師団長を畑中らが殺害したという。

 

 

 この外務省編纂、終戦秘録の公式見解の内容と異なる本は

 バーガミニの天皇の陰謀以外、一冊もありません。

 すべてこの公式見解と同じ内容です。

 

 バーガミニは言う

「ゴシップの多い日本では、天皇の血族の成員の私的な行為に無名性を与える

 天皇タブー」

 

 この天皇タブーに挑んで、宮城事件の真相を暴いたのがバーガミニです。

 ほかの誰もが書けなかった真実を、、、、

 要するに日本では令和の今でも天皇タブーが生きている。

 おかしいことがあっても、日本人は疑問一つ持たず生きている。

 歴史とは権力者に都合のいいことだけしか、書かない。

 戦争が勝者にとって都合のいいことだけしか書かないように。

 

 宮城事件とは、第一総軍を中心とする反乱軍をクーデターを起こして防ぎ

 鶴の一声で戦争が終わったということにした事件です。

 この事件でも多くの人が死んでいます。

 

 森師団長をはじめ、阿南惟幾陸相、田中東部軍管区司令官

 椎崎二郎中佐、畑中健二少佐、、、、、、

 

 

 ★モーリス パンゲ 自死の日本史

 

 阿南惟幾の死を美しく描いています。

 「こうして阿南という一人の人間において、大日本帝国陸軍は死んだ。

  敗戦によっておのが過ちとおごりに気づいて、、、、

  ヒトラーと阿南いづれに高貴があるかは、言うまでもあるまい。

  高貴とは責任を逃れぬ者にある。

  高貴は、おのが引き受けるべき重荷を、重すぎるとは決して

  言わない者にある。

  オイディプスもまた、おのが意志をもって、おのれを撃ち

  おのが平和と民のために、おのが罪を承認する。

  移ろいやすい勝利のかなたにある平和、それが戦士たる者の夢であり

  その平和のためにこそ彼は戦う。

  彼が平和を見出すのは、死ぬことによってだ」

 

 モーリス パンゲのように阿南を賞賛する日本の史家は一人もいない。

 なぜなら阿南を誉めれば、天皇の権威に傷がつくと思っているから。

 

 ●下村海南

 

「一国が大いに興り大いに敗れる。

 そこには数知れぬ犠牲者が隠れている、知られずにいる、

 忘れられている、軽視されている。

 マッカーサー元帥は、有史以来かつてなき、無血終戦と放送した。

 無血終戦、、、それは陛下直々の放送があったからである。

 同時にそこに表に裏に数知れぬ人柱があった。

 森近衛師団長があった、田中東部軍管区司令官があった。」

 

 

 まことに一国が大いに敗れるときには、数知れぬ犠牲者がいるのである。

 

★二人の遺言

 

椎崎二郎中佐、、、、至誠通神

畑中健二少佐、、、、今はただ 思いに残すこともなかりけり

          暗雲去りて 御代となりせば

 

椎崎と畑中は、宮城前つまり二重橋と坂下門の中間の芝生の上で

8月15日午前11時30分に自決する。

二人は互いに相手に銃口を当てあい、静かに拳銃の引き金を引いたという。

また、古賀秀正少佐も午前10時ころ、森近衛師団長の遺体の前で

割腹自殺しています。

この時、古賀には生後間もない女の子がいました。

 

しかし、天皇も皇族も誰一人自決していません。

モーリス パンゲのように、敗戦によっておのが過ちとおごりに

気づいた者はいません。

いたかもしれないが、責任はとっていません。

高貴とは責任を逃れぬ者にある、高貴とはおのが引き受けるべき

重荷を決して重すぎるとは言わぬ者にある。

 

責任をとったのは、陸軍大臣、中佐、少佐などの階級の人ばかり。

政治家もそうですね、責任を取るのは秘書などの使われている者ばかり。

一番の長は責任をとらない、、、、

 

一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。