戦争賛美の嵐と天皇の権威で | 気になるニュースチェックします。

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日本最大の愚策真珠湾攻撃に突入し、自らの選択で第二次世界大戦に

入っていきました。

 

●太平洋戦争被害調査報告書 (東京大学出版会 中村隆英、宮崎正康編)

 

太平洋戦争における死者は、厚生省の発表によると310万人余

国富被害は総計約653億円

 

真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト大統領は、議会で対日宣戦を布告する

演説をしました。

●対日宣戦布告 ルーズベルト大統領

 

「昨日、1941年12月7日、この日は汚名の下に残り続けることでしょう。

 アメリカ合衆国は、日本帝国陸軍、海軍による計画的にして

 突然の攻撃を受けました。

 合衆国は日本と平和的な関係を築いていました。

 しかも日本の要請に応じ、太平洋の平和維持を命題として

 日本政府や日本の天皇と対話を重ねてもきていました。

 私は陸海軍の最高指揮官として、国家防衛のためにでき得る

 すべての手段を講ずるよう、軍に命令を下しました。

 合衆国の全国民は、日本が我々にどれほどの、猛攻撃を仕掛けた

 かということをずっと記憶にとどめるでしょう。

 日本の計画的な侵略的を打ち破るのに、どれほど長い時間を

 要するとしても、我々アメリカの人民には、正義の力が宿っています。

 アメリカは絶対的な勝利を手にするのです。」

 

 こうしてアメリカと日本は、太平洋戦争に入っていきます。

 そしてその被害が、上の太平洋戦争調査報告書です、被害は甚大です。

 

 ★戦争賛美

 

 この太平洋戦争において、戦争が決定すると文学者、裁判官、

 宗教団体までもが戦争賛美の声を上げました。

 日本全体が戦争、戦争一色で塗りつぶされました。

 

 ●文学者

 

 戦前、戦中、主なる文学者は、ほとんどが戦争協力者です。

 1940年12月、第二次近衛内閣の下、情報局が設立されました。

 情報局とは、情報収集や宣伝のため置かれた内閣直属の国家機関です。

 

 この情報局指導で、文学者の一元的組織である日本文学報告会が

 1942年5月26日に誕生しました。

 その目的は、国家の要請するところに従って、国策の周知徹底

 宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実戦に協力する、、、とある。

 

 この組織の会長は、徳富蘇峰

 

 🌸小説   部会長 徳田秋声     理事 菊池寛

 🌸劇文学  部会長 武者小路実篤   幹事長 久保田万太郎

                    理事 山本有三

 🌸評論随筆 理事   河上徹太郎

 🌸詩    部会長  高村光太郎  幹事長 西城八十

                   理事  佐藤春夫 

 🌸短歌  部会長  佐佐木信綱   幹事長 土屋文明

                   理事  水原秋櫻子

 🌸俳句  部会長  高浜虚子   

 🌸外国文学 部会長 中野好夫    理事 辰野 隆

 

  から構成されています。

 

この文学者たちはどのように戦争賛美に協力したのでしょうか。

 

太平洋戦争、大東亜戦争、15年戦争などと呼称はいくつかありますが

日本では大東亜戦争と言い、聖なる戦争と言って戦争を始めました。

大東亜文学者大会は、1942年に第一回を開催し、ここで横光利一が

大会宣言をしています。

 

第二回は翌年の1943 年に開催されました。

そしてここで吉川英治が、大会宣誓を行っています。

「大東亜戦争今やまさに、決戦の日を迎えたり、米英文化殲滅の

 最後の鉄槌を下さざるべからず」

 

火野葦平も宣言を朗読しました。

「敵米英を覆滅し、その獣夷の精神を駆逐する」

 

また、当時朝日新聞などには、連日大会に関する論稿が載りました。

●尾崎秀樹著 近代文学の傷痕 岩波書店

 大東亜文学者大会関係文献一覧

 

 島崎藤村     大会への希望

 武者小路実篤   大きな気概で

 草野心平     予想以上の大成功

 佐藤春夫     大東亜文学者決戦大会に切望す

 石川達三     文学者の挺身

 水原秋櫻子    大東亜文学者大会に寄せる

 佐佐木信綱    大東亜文学者大会賛歌 (短歌)

 西城八十     大東亜の友を迎えて

 ほか

 

 戦中、ほとんどの文学者は戦争協力者です。

 なぜなら戦争責任を追及すれば、自分の身に降りかかってくるからです。

 しかし戦争責任を追及した人もいました。

 

 ★二つの立場

 

 責任を追及する人と、すべきでないという人

 ●責任を追及する側 文芸評論家 小田切秀雄

 

 我々はかの一億総ざんげを行なおうとする者ではない。

 それはバカげたことだ。

 日本文学の堕落とその直接の責任者、堕落への指導者はいなかったか。

 人民の魂たるべき文学者として、かえって侵略者のメガフォンと化して

 人民を戦争に駆り立て、欺瞞と迎合によって、支配者の

 恥ずかしげもない卑女となった者、その先頭に立った者はなかったか。

 自己の文学上の敵を赤だとか、自由主義者だとか言って密告し

 挑発して特高警察へ売り渡した文学者は、いなかったか。

 

 ●責任追及に反対した人 劇作家、評論家 福田恒存

 

 文学者の戦争責任とは、いったいなんであろうか。

 たしかに彼らの大部分は、ミリタリズムの強圧の下

 国民に対して、宣伝的文学を筆にしていた。

 しかしそれはあくまで、暴力的な強制によって強いられたものである。

 命ぜられて、それに背けば自由はもとより、その家族の生活が

 脅かされたのである。

 あのような国家権力を前に、無益な抗争を続けることに意味があるか

 (福田恒存評論集)

 

 軍部に協力すれば、徴兵もされず軍需工場に徴用されることもなかった。

 さらに紙も配給だっので、軍部に協力すれば作家活動も続けられた。

 だから協力したのは、自然だったかもしれない。

 だからと言って、自分たちは安全に国民を戦場に導く言論や行動は

 おかしいと思う。

 

 小田切秀雄が言うように、文学者は人々の魂を描くグループです。

 世界の秀でた作家の中には、迫害のなか生きて来た人々が多くいます。

 ソ連時代発禁処分を受けた多くの詩人がいます。

 

 マヤコフスキー、パステルナーク、エセーニン、ソルジェニーツィン、、、

 彼らは紙も鉛筆もない収容所の中でも、作品を書いていました。

 死後の出版に期待して、創作を続けた作家もいます。

 これらの人々の作品が、どれだけ多くの人に影響を与えたか。

 

 

 ★大東亜戦争当時の裁判官たち

 

 裁判官 伊達秋雄

 

「我が司法が治安維持法事件処理を中心として、日本の軍国主義的

 総動員体制の強力な支柱となり、戦争遂行に寄与したことは明らかで

 裁判官でも戦争責任の一端を負うべきものであった。

 当時、公知の事実であった拷問を指摘論難し、自白の証拠力を否定した

 裁判例があったであろうかとゆきすぎた司法の戦争協力態勢を

 深く恥じている。

 法律家としてあるまじき非常識な、弾圧立法を提案した甲府地方所の

 裁判官などを見るとき、15年戦争下の裁判官たちがどれほど

 侵略戦争と国民弾圧に積極的に、自主的に加担していたか。

 帝国憲法で独立した権限を与えられ、身分を保証され進んで

 戦争政策に迎合協力した裁判官たちの責任は重い」

 

 また宗教団体においても、国家の戦争政策に同調協力しました。

 教職者が先頭に立ち、信徒とともに積極的に奉仕を実行しました。

 教職者が日本の中国、東南アジアなどへの侵略戦争に追随して

 占領地域への布教活動を行ないました。

 

●1944年 日本基督教団統理者 富田 満

 

 「緒戦以来、皇軍によって挙げられた諸戦果とその後に

  打ち立てられた諸事実とは、わが日本の聖戦の意義をいよいよ

  明確に表示しつつあるではないか。

  彼らの不正と不義から、東亜諸民族が解放されることは

  神の聖なる意志である」

 

 15年戦争とは、柳条湖事件勃発から、ポツダム宣言受諾までの

 足掛け15年、実質13年11か月にわたる満州事変、日中戦争、太平洋戦争を

 総括する呼称です。

 

 ★日本全国戦争賛美の嵐と天皇の権威

 

 文学者も裁判官も宗教団体もこぞって、日本国家の戦争を賛美し

 国民を戦場へ追いやった。

 そうすれば自分たちの身は安全なところへ置いておけるし、生活も困らない。

 だから国家に協力した。

 

 帝国憲法第一条

 大日本帝国は、万世一系の天皇これを統治す

 天皇の祖先は神であり、神の子孫として皇祖神の神勅により

 授けられた統治権を行使する天皇は、神的尊厳を永久に保有するという

 古代的な面を含んでいる。

 この神の超法規的な権威なしには、あれほど徹底的に国民を戦争に

 動員することはできなかった。 

 

 

日米開戦の正体著孫崎享