前回の仕事についてのダダ漏れ記事の続きです。


「はたらく」ことに意義もモチベーションも持てなかった私が綴る、お仕事についての思い、第二弾。
引き続き、全然誰の役にもたたない記事を書きます。矛盾しているだろうし、文脈も誤字脱字も一切気にしていません。
ダラダラとアウトプットしていますので、今回も興味のある方だけお読みください。


(前回の締めくくり)

いま、やりたいことが分からないという方が多いです。
自分の魂をルール(親や社会)や他人に渡してしまい、抜け殻な気分で毎日を送っている方々がいる。そもそも私自身がそういう人でした。

そしていまの私に言えることは、人って本来どんな仕事をしてもやりがいや面白さを見出せるよ、ということでしょうか。
今回のたな卸しにあたって、自分を振り返ると働くことに意義を感じないまでも、小さな仕事にも自分の中にヒットする業務はあった。
その積み重ねの先に、使命があり、目標がある、はず。といいたい。


ということで、どんな事を思い出したのか、書いてみます。


今のカウンセリングの仕事を始める前、ある職場に10年勤めていました。それまで2~3年スパンで転職を繰り返した私の社会人人生ではありえないことです。
なぜそんなに続いたのか? ここを考えてみると、やっぱりありました。自己実現が成立していた部分が。

それは、仕事を通じて世界のいろんな人と話したり繋がれる。ということ。

仕事は正直とってもつまらなく(失礼!)、半政府機関だったため規程も厳しく、宇宙人な私にとっては苦痛な毎日でした。だからこそ仕事はおろそかになる一方・・・全くヒドイですね。よくも居させていただけたものだ。

ところが幸いなことに、そこは海外に展開されているオフィスを統括する部署。各国の通貨から円額で精算したり、現地スタッフと連携したり、自分の海外への興味と引っかかる部分が少なからずあったんですね。
更に、担当していたインド事務所のスタッフととても仲良くなったことが灰色な仕事人生に彩りを与えてくれたわけです。

そこに勤め始めて数年間、密かに転職活動を続けていたものの、その頃からぱたりとしなくなった覚えがあります。(今思えばはたらく意欲がなかったくせに、カッコいい外資系航空会社や会計事務所ばかりを狙っていた)

その頃も当然、私は人付き合いが苦手だし嫌いだと思っていた訳ですが、今思うと人との間に生じる「知る」「伝える」という作業、つまり「相手を知りたい、自分を伝えたい」という根本が満たされていたからこそ続いたのかもしれません。
知らなかった~

それだけでなく、私は数字が大の苦手なのですが、厳しい規程下での精算業務が多く、苦痛な毎日。にもかかわらず、ある日「環境やルールのせいにせず、自分の責任を負う」ことを腹を括ったことがありました。期日までにぴったり数字を合わせてやろう、と心の中で遊び始めたのが良かったのか段々と仕事の面白さを覚えていきました。(今さらじろー)

きっとこの二つがなければ10年も続かなかったでしょうね。

そしてその前の仕事でも、少なからず自分の心の中でヒットする部分、心が満たされる作業があったかもしれません。やっぱりそれもお客さん対応関連だったかもしれません。(かなり内容は自己満足でしたが)

特に前職の10年間、そうやって仕事をつづけながらも、自分自身に悩んだ最悪の時期が重なっていたり、プライベートでも様々な挫折を経験したり、そしてライティングや心理学を勉強する時間を存分に確保できたり、必要な人と出会えたり、今の自分になるための要件を全て与えてくれたといっても過言ではありません。もちろん、その前からですが。

そんな中、仕事も大切にしたいと思う部分が増えていき、同時に派遣だったにもかかわらず大きな仕事を任せていただいたり、徐々に気持ちやできることが変わっていきました。今思えばこの変化を味わえたことは自分に自信を与えられてきていたのかもしれません。

そしてその前には意味の分からないコツコツ作業がありました。ただただノートに連番のハンコを押し続ける、とか、私の嫌いな単純作業。。。。
でもどんな仕事の中でも何かひとつ大切にしてみることが、すごく大事な事だと今は分かります。
つまらない仕事でも、何か一つ自分の心の中でヒットする部分(たとえそれが地味~~~~~な作業でも)、そんな自分を遊びながらコツコツ積み重ねていくだけで辛い毎日がちょっとだけ和らぐかもしれないし、その先に『なんか知らんけど』自分のの使命にたどり着いている日が来るんだと思います。
はたらくことへの意識が、こなさなければならないこと、しんどいこと、だけではなくなるかもしれないから。

そういう意味ではやはり自己責任なんですよね。環境が悪い、運が悪い、上司が悪い、というのは言い訳で、何か自分は力の出し惜しみをしてきたことを当時実はよく分かっていました。
もっとトコトン目の前の仕事に打ち込んでいたら、今はもっと現実が変わっていたかもしれません。本当はそうしたかったのに、私はこんなもんじゃない、と職場や周りの人をバカにしていたんすよね。ひどい奴です。できもしないのに。ごめんなさいです。

いま、やりたいことがわからず悩んでおられる方々、やりたいことができない自分に悩んでおられる方、一度考えてみていただけるといいかもしれません。

あなたの今の役割・仕事の中で、どんな作業が自分の心にヒットするのか。そういう部分はあるか。

勤めている場合でも、バイトでもお手伝いでも、専業主婦でも、何でもいいんです。

経験上、そこにトコトンこだわってみると先へつながっていくんだろうなと感じています。

いや、もっと効率的で痛い思いをせず、近道を通りたいと思いますよね。
その方法が要領の悪い私には分からないのですが・・・!

私の大好きな、ぢんさんの考え方「バカみたいにやってみる」です。
ぢんさんもその一人、尊敬する方の中で共通した考え方が、「成功するまで続ける」ということ。
みんなやらないから成功しないだけ、と。本当にそうなのかもしれない。

今すぐ自分の使命が分かって仕事をしている人は少ないと思うんです。思いが実現されていない現実を嘆くのもいいけど、そうしながら頭の片隅で、こだわりポイントを探してそのことを楽しんでみるといいんじゃないかなと思う。
輪ゴムを綺麗に並べるでもいいし、電話応対を噛まずに話してみるでもいい。

その時、その時の自分のこだわりポイントを大切にする、このことを積み重ねていくだけで、どこかでやりがいというものにたどり着くんじゃないかなと思います。
もっとも、近い将来は自分のやりがいや目的なんてどうでもいい!というくらい、目の前のことに尽力している自分がいるかもしれませんね。

そうそう、自分がやっていることは正しいと思っているし、好きなことだと思っている。その上で、その価値観は実は、親に振り向いてほしくて頑張っているかもしれない、ということも疑ってみると意外な答えが出ることがあります。いつの間にか、そうしていなければ親に認めてもらえないという怖さでしがみついていませんか?

まるで、小さいころ親の趣味で習い始めたバレエを、心の奥ではもうやめたいのに、お母さんが喜んでくれるから続けている、なんて経験ないでしょうか。私はありました。般若のような顔が怖くて習字を辞めたいといえなかった。やりたいこと、やめたいこと、すべて否定されてきたと思っていたから。大人になってもそれは続き、カナダへ行くことをビザを取ってから伝えたのは、がっかりした顔を見たくなかったから。それくらい自分がやっていることが親にとって正しいのか、Yesと言ってもらえるのか無意識に気にしていましたね。


とにかく、常に自分がやっていることの中に、心が喜ぶポイントがあるのか。時々問いかけてみるといいかもしれませんね。

目の前のことを大切にする、エネルギーを注いでみる。そこさえピントを合わせれば、きっと誰でも夢は実現するんだろうなと思うのです。

かくいう私もまだまだ道の途中だし、今後どうなっていくのかはサッパリわかりません。
今はぢん師匠に食べさせてもらっている身ですが、来年の今頃の私は「あの人は今」、となっているかもしれない。

それでも今のお仕事は私に喜びを与えてくれているから、一瞬一瞬を大切にしたいし、してる。やはりそれも、目的は誰かの悩みを解決することではなく、その先にある私の心が喜ぶこと、誰かの話を聞くこと、相手のことを知ること、もっと言うのであれば、相手から感じた「素敵!!」と思える部分(心のHITポイント、感動ポイント)を本人だったり、世の中に知ってもらうこと。
私はそれが楽しい。だからカウンセリングもまったく苦痛じゃない。「もらう」なんてことない。
だからカウンセリングとインタビューをさせていただけている今の状況は本当になんか知らんけど幸せな毎日です。
自分の小ささを痛感してしんどいし、体も頭も凝ってるけど!本当に幸せ。
ずっとずっと、こういうコアの喜びを大切にしていきたいと思っています。
はたらくって辛くて義務感に満たされることばかりじゃない。


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昨夜、オットにも聞いてみた。

「あなたは自分の仕事を通じて何を実現していると思う?」

彼は電子部品を扱う企業に勤めていて、エンジニアと営業の間に入りお客さんをサポートする仕事をしているのですが、答えはこうでした。

「世界中の人たちと、自分のまだ知らない世界の人たちと話せること」

そして聞いてもいないのに、今の仕事について本当に良かったと言っていた。
内容はハードだし、出張も多く帰りも夜中2時なのに。健康上問題はいろいろありますが、だから毎日頑張れるんだなと感じた。

へーーー。これを聞いて確信したことは、どんな仕事をするかは関係ない、ということ。


ここで最初に戻るのは

どんな仕事をしても、その仕事を通じて自分が何を実現しているか、これが明確な人はどんなことをしても成功する。そしてそれが使命になる。

自分のどんな思いが実現しているかもそうだし、そこに挑戦しがいがあるか、ということも幸福度や自信を高め、社会へ貢献したいという気持ちが強まるのかもしれない。

いま仕事がつまらない。好きな仕事ではない、と感じている人は特にその目の前の仕事を通じてどんな手ごたえを得られているのか、部分的にでも自分の中のどの辺が満たされる感じがするのか、そんなことを考えるといいかもしれない。


そうそう、体力の問題で、エネルギーは若いころのようにはいかない部分があるだろうし、もしナニクソ!だけでやっている人がいたら、その反骨精神を見つめて解消したほうがいい気がする。
なにくそ精神は何かをスタートするときや苦境を乗り越えるときはいい仕事してくれるけど、継続するためのエネルギーには向かないと思う。


とにかく、あまり目標など考えられない私ですが心の声には忠実に生きたいと思っています。
ここから先、どんな未来につながるのか、楽しみ。そしてどんなことを乗り越えていくのか。断念するのか。ワカラン。


書いてしまった。
もう、そのままUPしてみます。

最近仕事に関するお悩み相談が多いことも今回のダダ漏れにつながりました。

読みにくい記事、読んでくださった方がいたとしたら、ご苦労さまでした!
ありがとうございます。