昨日はニコラウスだった。

もともとオランダの伝説で、ニコラウスという子供たちや貧しい人に食べ物やプレゼントを与えたり、

病人を助けていた小アジアに住む司教が、オランダという国についてある旅人から話を聞き、

風車・木靴・白い帆をもつ船に自分もあこがれて、オランダに行き、そこで1年間いい子にしていた

子供たちにプレゼントを配ったというもの。いい子にしていなかった子供にはお供のピートが

鞭を振り下ろし、子供は母親の後ろに隠れたそうだ。(これまたすごいけど)

もちろんニコラウスは、貧しい子どもたちも助け、美しいオランダを気にいった彼は毎年12月5日の夜

オランダを訪れては、夜子供たちの用意した木靴の中にお菓子や果物、おもちゃなどを配り

歩いたという伝説。


オランダではクリスマスよりもこの日のほうに重きを置かれているらしく、この日を割りと盛大に

祝うらしいが、ドイツでもこの日は子供たちにとって特別。5日の夜には靴下であったりブーツなどを

玄関や窓際などに用意して、6日の朝目覚めたときにチョコやおもちゃなどが入っているのを

楽しみにしている。最近はカップル・大人もお互いに小さな贈り物やスイーツなどを贈りあうらしい。

昨日も大きな駅のお花屋さんにて、バラの花にニコラウスがついた、男性→女性なんていう気のきいた

ものも売られていた。ちなみに、24日にくるサンタクロースというのは、それこそコカ・コーラの商戦だそうで、

ドイツではクリストキントという、キリストの子供・エンジェルなどが天から降りてきてプレゼントを配ると

いうもの。24日の夜から25日の朝にかけて来るもので、子供たちは25日の朝、ツリーの下に置かれている

クリストキントのプレゼントに大喜び・・・ということらしい。

それにしてもコカ・コーラってすごい宣伝威力。もうサンタさんが世界的なイメージになってるもんね。

まあ、上に書いたのも、ドイツでも地方によってやや異なることもあるだろうし、言い切りはできないけど

少なくとも、私の住んでいるところ一帯はそうらしい。



さて、前置きが長くなったけど、毎年のように私のところにもニコラウスが来た!

去年・おととしは、これまたドイツのクリスマスシーズンのお話、ヘンゼルとグレーテルにある

お菓子の家(ヘクセンハウス)魔女とヘンゼル・グレーテルのお人形付という、

本当にお菓子でできた家なんかをもらったんだけど、去年のヘクセンハウス、あまりにも

かわいくて食べないで今まで保存してしまったので、今年はさすがにこれはなし。

5日の夜に不覚にも早く寝てしまい、6日の朝、起きたら私のブーツの中にプレゼントと

スイーツが入っていた!!それに朝食のテーブルにはおお~~~~きなアドヴェンツカレンダーが。

かなりびっくりしたので、子供のように喜んでしまった・・・。

5日の夜、旦那ちゃんは一緒にベッドに入り、何か話しながら私はそのまま爆睡してしまったのだが

彼もそのまま寝てしまったんだと思ってた・・・。本人はそのまま寝たから自分でないと言ってたが、

旦那ちゃんが会社に行ったあとコンピューターなどが置いてある仕事部屋を見ると、プレゼントのDVDが

包装してあった包み紙が脇に立てかかっている。


子供の頃から夢の中で生きてきたような超非現実的な私をそのままにしてくれてありがとう。

旦那ちゃんがしてくれるような、夢満載の親のもとで育ったので、13歳まで本気でサンタさん

信じてました。旦那ちゃんにも届いたニコラウスちゃんからのお花、気に入ってくれるといいな。










旦那ちゃんが2週間のホリデーを取れて、「さあ、ゆっくりしよう!」と楽しみにしていたその日に、

祖母が逝ってしまった。
ちなみに私と祖母は性格とか素振りなんかがそっくりで、本当よくも似てるもんだと家族が驚くほど。

私が産まれたときに彼女は46歳だったのもあって、いろんなことを一緒にした。一緒に遊んだし、

旅行にも連れて行ってもらったし、子供の頃の思い出はバイクを乗りまわしてあっちこっち飛び

回っている『ハッスル婆さん』そのものだった。
彼女はとにかくじっとしてられない人だったので、いろんな習い事はもちろん、仕事の上での

キャリアも素晴らしかったし、子育ても、孫育ても全部やった。公務員で多忙な叔母なんかは

朝から夜寝るまで子供の世話を全部してもらったほどだ。
私の家族はいつも父の転勤で遠くに住んでいたので、小さな頃は頻繁に会えるわけではなかったが、

わりと近くに引越してからは、一人でも電車に乗って遊びに行ったし、10歳にしてそんなふうに一人で

遠くから電車で訪れたときには誇らしく友人にも紹介されたりした。
よく考えるともう20年近くも前のことなのに、そのときの天気とか、何を話したとか、

なぜだかいろんなシーンがぐるぐる頭を回って離れない。

私と旦那ちゃんは次の日から始まるホリデーのためにインターネットであちこちのサイトを見て、

どこに行こうか検討していた。夜中の2時近くなったので私はもう眠いからと先にベッドに入った。

眠気で意識が朦朧としていた時に、昔祖父と祖母が住んでいた懐かしい家がなぜか見えた。

いつも清潔にされていたその家の縁側とか、彼女たちと布団を並べて一緒に寝た畳の匂いとか、

独特な素材でできた壁の匂い、掘りごたつ、あの頃のままの「おばあちゃんの家」を見てる自分がいた。

もうあの家は叔母の家族と同居するために新しい家を購入した15年くらい前には売却しているはずなのに。

それが夢だったのか、眠りにつくまでのあの朦朧としたうつろな時間に見た何かだったのかはわからないが、

あー、懐かしいなーと思ったのは確かだった。



次の日ゆっくり起きたあとに、何気なくメールをチェックすると兄から家にすぐ連絡を取るようにと

メッセージがあり、すぐ電話をすると、その日の午前中に祖母が亡くなったことを知らされる。

悲しいとかよりもショックのほうが先にきて、少し混乱。時間を聞くと昨日の夢の時間前後に

亡くなってることがわかった。きっと遠くまで会いに来てくれたのかな。



混乱が覚めてからの悲しみはとてもとても大きなものだった。予定していた旅行はとりやめ、

かといって日程からしてすぐに日本に駆けつけられない状況になんともいえない思いで

いっぱいだったが、そういうことも十分承知の上で遠くへ行ったのだからという両親の言葉と、

祖母はこんな遠くまでも亡くなる前に会いに来てくれたのでここから送ることに決めた。


楽しかった彼女とのいっぱいの思い出と過去を失うことは怖いけれど、私が思い出すたびに

彼女はその中で生きているし、思う人がいる限りその人はずっと生き続けるのよという義母の

励ましに少し癒され、彼女を思う。


ここ数日、あまりにも天気のいい日が続いた。はかないほどの青空とさまざまな色に色づいた

晩秋の自然を見ると余計に悲しみが募るのだが、遺されたものはそんな中を一歩ずづゆっくりと歩かなくてはならない。

どういうわけか8月から風邪をひきまくっているみたい。
さすがに結婚式の直前と後は気合が入っていたのか
元気だったものの、ま~~た喉をやられて咳だよ。
喉は歌手の命だっつーーーの。
って歌手じゃないけど。(それに近いか。)

で、WAKAちゃまに聞いた自然の薬を飲んだら効いた!ってんで
無理して昨日仕事に出たら・・・ま~た咳がゴホンゴホンって
すごいことになってる。しかも血が出るほどの。
Satsuma(ドイツ人が言うと、サズマ)なる、日本の薩摩みかんなんだろう、

スペイン産みかんもちゃんと買って食べてるし(ビタミン)、薬飲んで寝てるし、

やっぱり疲れがたまりきっているのだろうか。
そうだ、旦那ちゃんはまだ15日と半日、休暇が残っている!
っていうので早速今日上司に聞いてくるように命じた。

やつらは今日なんでかしらないけどパーティーなんだって。この寒空に外でグリルらしい。

う~ん、ちょっとこの時期にやるとは、遅いんではないか?旦那ちゃんはしかも私から

風邪をもらっているはず。これでまた家庭内でも風邪がグルグルまわるんだろうな~。
早く休暇をとって、どこか行きたいな~。時間も休みもなくて新婚旅行もまだ決めてないけど、

今回休みが取れたら行ってしまいたい勢い。でも、そうなったら予定していたアフリカの夢は

消えるだろうな。注射をうたないとだめなんだって。その注射はきっと1ヶ月よりも前にうたないと効かないって。
じゃあ、来週から休暇をとるんじゃだめじゃないか~~。

今なら30度前後のアフリカも行き時だと思えど、死にたくないしな。

でも40度で陽に焼けて焼けて・・・なんて嫌だしな。
今回の旅はきっと新婚旅行ではないんだろうな。やっぱりどこかこの辺の寒いところで

終わるんだろうか。それならイタリアとか、スペインとか近くて少しは暖かいところがいいな。

もしくは大都市お買い物ツアー。ロンドンじゃあ危ないから、アムステルダムとか?なんだか

夢ばっかり膨らんで朝からネット見てるけど、まだ休み取れるのも決まってないのにね。

(ついでにいうと自分だってまだちゃんとレッスンとか仕事の予定たててないのに)
ゴホゴホしているうちは、それともどこも連れていってもらえないかもな。早く治さないと。

レッスンをすることも仕事なんだけど、演奏の活動のほうもだんだん依頼なんかが来たりして、波に乗りかけている。


実は結婚式の準備を1ヶ月でしている怒涛の日々の中には結婚式前日にあった演奏の仕事の準備もあって、

それで死にかけていた。
前日であった9月29日の仕事は、これまたお城のあるホールでの演奏。それも3時間近く。

気を抜いていい時間は1時間半(簡単なものを弾けばいいという意味で)、真剣なのは1時間半という

プログラムではあったが、一応準備しなくてはいけないのはどれも同じなので、これまた9月を

忙しくさせた原因でもあった。
結局用意したのは30曲ではきかないほどの量だったし、準備も久しぶりに真剣に選曲からがんばった。

というもの、読んでくれた主催は大学の教授であり、なんとか博士であり、それに会社までもっている

ちょっとした人。私の住んでいる地元の大学はドイツでエリートと呼ばれる大学なため、教授陣も

そうとうな人が来る。音楽の専攻ではないにしても、耳は肥えているだろうし、なんたってその

パーティーのようなものに演奏会を入れようってんだから・・・ねえ。電話をもらったときには、

1ヶ月を切っていたから急だなと思ったし、結婚式もあるし断ろうかと思ったけど、熱意に押されたのと、

ドイツじゃあ、急にだろうがなんだろうができなくてはプロの名が廃るってんで、引き受けた。


で、結局はとても満足な結果になったし、呼ばれていたそうそうたるメンバーのゲストも、

主催の教授も大満足。演奏の依頼の窓口である、私と親交のあるピアノマイスターにも

大満足の電話が入ったらしく、各方々から評価してもらえた。私もかなりリラックスした状況で

自分を出し切ることができたし、お昼からの演奏会だったので3時には解放され、その後

日本から結婚式のために来ていた家族とゆっくりカフェでお茶することもできたし・・・で、

30日の結婚式のためにはよいビタミン剤のようになったのであった。

こんな感じで、だんだん名前が知られていくようになるのはとても嬉しい。

ただ、もちろん演奏家のギャラというのは普通の人には理解してもらいがたいものもあるようだ。

家の旦那さんは妻が活躍して嬉しい反面、わかっていはいてもびっくりしたようである。

準備を入れたらわりと時間を割いたから、私としては当然の額であっても、彼にとってただ単に

時給にしたときのそら恐ろしい金額を理解することはできなかったようだ。私は?

・・・今までウン十年間の努力を考えたらねーーー。。。わかる人にはわかるだろうけど。

いやあ、無事に9月30日に結婚式を終えました。
心配していた天気も雨の予定が大幅に覆って、快晴。本当頭もそうだけど、晴れ女なんでございます。


それではドキュメントまで・・・
朝お願いしていた美容師さんが1時間半もかけて家まで来てくれて、9時に用意をはじめた。

うちの母がどうしても今回来れなかったのもあって、ドイツ人の母が9時半に家へ着がえの

手伝いに来てくれる。ティアラとベールをかぶせる前に着替えたかったので、髪型が一段落

ついたところで美容師さんには別部屋でうちの兄と父とお茶を飲んでいてもらい、私は着替え。

実は実家の母がいれば別なのであろうが、ドレスを買ったのはもちろんドイツ、買う前に

いろんなお店を見に行ったときも旦那ちゃんのママ(以後 実家の母=母、義母=ママ)

と行ったし、専用の下着を買ったときもママといって後ろを閉じてもらったりしているので、

彼女が今の私を一番知っていることになる。おまけにプールにも一緒に行ったり、

本当友達のようなでも本当の母のようなママなので気を使わなくていいのが本当助かっている。

なので彼女は当然当日手伝いに来る気でいてくれたので、お願いしていた。

そして着替えてから今度は髪の仕上げ。思ったとおりに仕上がり満足。

この時点で11時くらいになっていたので、ママは駆け足で自宅に戻り(5分の距離)、自分の着替え、

私は叔母・叔父・いとこと私の家族全員が家に揃い、みんな家の中で撮影などをしてくれた。



11時15分の約束の馬車が11時に家の前に到着。
実は今回、馬車で教会に登場というかなりクラシックなことを予定していた。というよりも、

今はリムジンとか、オールドタイマーなんかで登場っていうのが多いんだけど、

実はこのクラシックが一番私は気に入り、ドイツ人でもなかなか手が届かないということから、

これにした。値ははったようだが、ロマンティックではあったし、がんばって手配しれた彼に感謝。
約束どおり11時15分に馬車に乗り、写真撮影、家は街のど真ん中、本当有名な

小さな通りにあるので人・人・人が周りに集まりみんなが祝福してくれた。

ドイツでも馬車でというのは夢の 結婚式という観念があると聞いていたので

中には目立つし嫌な人ももちろんいるだろうけど)本当見られる、見られる。
職業柄?見られることには慣れているけど、沿道の人に手を振るなんでちょっと

皇室でもないのにおこがましいような気がしたが、それでもお祝いの手振りに思い切り笑顔で答えた。


教会までは父と馬車に乗っていたので、彼と家族は徒歩で大聖堂まで。そこの広場が

とてもきれいなのでそこで写真を撮ってもらい、馬車組二人はその後、馬に揺られて教会へ。

教会へ着くとゲストがカメラを持って待ち構えていてくれたので、ちょっとした報道陣に

囲まれた芸能人?のような気分だった。



12時、教会にて結婚式。今回は音楽の式として、教会付のオルガニストと、音楽家の友人夫婦に

お願いしていたので、彼らが私の好きな曲を入れながら素敵にアレンジしてくれた。

入場ではベタながらもワーグナーをオルガニストに弾いてもらったが、これがわりと涙を誘うようであった。

以前に書いたように、彼がもちろんカトリック・キリスト教徒ということ、ドイツであるひとつのスタイル

として教会での式というのは考えられないので、本格的な式となった。途中で読まれるものも、

創世記であったりマタイであったり、そういうのの中からひとつひとつ丁寧に二人で考えた文を

読んでもらったし、賛美歌も自分たちできちんと2つ選んだ。その合間に音楽が入り、本当に

感動的なものになったと思う。ちゃんと日本語版・ドイツ語版の式次第を作ったので、日本人の

ゲストも歌までちゃんと歌えたし、何を言っているのか何を行っているのかわかったようでよかった。

ひとつ残念なのが、指輪を聖水にかけて十字を切ってもらうところ、彼が私に私が彼にきちんとした

言葉でこれからのことを伝えるところと、指輪を渡す意味を伝えるところで、ドイツ人の甥っ子が

ビーと泣き出した。証人として甥っ子の母である彼の妹が前に出なくてはならず、それでなんとなく

さびしくなったのであろうか。みーんなオマエが子供を連れて外に出ろよっ!って思っていた義理の弟が

ぜーんぜんそういう気配りがなくてそのままにしていたので、これには神父さんに注意されていたけど、

ちょっとだけ残念ではあった。
ただ、私たちはとても晴れ晴れしい気持ちで50分ほどの式を終え、祝福されながら外に出ることができた。

教え子や甥っ子姪っ子がフラワーガール・ボーイをしてくれたのと、サプライズで友達がたくさんの花びらを

用意してきてくれていたので、花びらで出口があふれ、ゲストの祝福の挨拶にキスに、とにかく素晴らしかった。



式の後はそこから車で20分ー30分くらいのオランダのお城でパーティーを予定していたので、

私と彼は馬車で、ゲストは車でお城を向かった。私たちが選んだ道のりは広大な丘と畑に

囲まれた道を優雅に走るというものだったので、1時間以上かかったが、そんな長くは感じなかった。

途中オランダに入っても、結婚式馬車は目立つので、これまた沿道の人々に手を振られパッカパッカ走った。

途中オランダに入ると小さな街を縫って丘へ向かうのだが、馬車のために渋滞していたそうだ。

そういえば追い越し車線を過ぎた辺りからずいぶんたくさん車が横を通っていったなあ、なんてのんきに

思っていたら、あとからゲストのみんなに「どういうわけか、大渋滞だったのでおかしいなーと思って

窓を開けて前方を見たら、馬車の運転手の帽子が見えた」と言われた。ゲストは大笑いしたようだけど、

結婚式と関係ない人、ごめんよ。



15時から予定していたパーティーには余裕でつく予定だったので、ゲストには飲み物など

ガーデンで先に飲んだりくつろいでもらって、私たちはカメラマンと外での撮影になった。

いろんなポーズで外で撮るというちょっと初めてドイツに来たときには写真やさんの前で

笑ってしまうような写真を私たちも撮った。といっても、緑の中、晴天のもとでだったので

案外きれいに撮れていて本人たちは満足。
15時になり、新郎から挨拶をして飲み物と軽食のハイ・ティーが始まった。こちらのパーティーは

とても自由なもので、お城の2階を貸しきったその建物と、そこから続くガーデン、全て私たちのもの

だったので、そこのガーデンでまずはゲストに歓談を楽しんでもらう。そこには立ちテーブルと、

座れるようになってるテーブルとイスがちゃんと用意されていて、好きなようにできるようにしてくれていた。

飲み物はサーブしてくれる人がちゃんと周ってきてくれて、ちゃんとケアしてくれたし、軽食もとても

おいしくみんな遠慮なんてせずに食べてくれた。子供たちも手で食べられるものだったので大喜びで

好き好き食べていた。


その後は各方面の友人たちがこの結婚式のために用意してきてくれたゲームなんかをしたり、

バルーンを飛ばしたり(ボンベまで借りてきてくれた友人夫婦には圧巻)、おしゃべりしたり、

始終リラックスしながらも家族や友人があっちこっちで楽しんでいる様子が見えて、うれしかった。

私の家族はとてもあっけらかんとしているというか、今回来た父も兄も、友人たちと英語での会話で

大盛り上がり。父なんて若い人の中にはいっても平気で、ドイツ人、台湾人の友人たちと楽しそうだった。

兄もそうだが、二人ともそういうのには職業柄慣れているのであろうか、友人たちもそういうのがわかったようで、

彼らの評判は結婚式の後もかなり良く、彼らが次にドイツに来る時に会いたいからセッティングするように

催促されているほどだ。叔母の家族もビデオを撮ったり、叔母なんか彼女の壊れたスーパー英語で、

彼の両親のところに話に行くから強烈だった。英語をほとんど話さない彼の両親と彼女の壊れた英語での

会話はどうされたものなのかまったく未知なのだが、でも盛り上がっているから不思議だ。

そんなんで私たちの心配(はしていなかったけど)をよそに異文化交流は続くのであった。
その後17時を過ぎた頃に、友人の演奏があった。ガーデンでリラックスして聞いたあとには、

子供づれの家族が帰宅。休憩を挟み、19時よりディナーの時間になった。

このディナーが思ったよりも豪華で私たちも大満足の結果となった。ハウスワインも味がよく、

舌の肥えたゲストも後日まで料理とワインについてほめてくれた。2時間のたっぷりとしたディナー

の後にはまた演奏が。この頃には叔母は「うそ。。。?」っと思ったようだが、ドイツの結婚式は夜中

までなのだ。メールで伝えてあったけど、冗談だと思っていたらしい。甘いよ、君。
私の生徒である女医さんと医者の卵でありロッカーである彼とのピアノとギターの共演は、

素人でありながらかなりのものであり、すごくうれしかった。その後、機械学博士である友人の

大変壊れたゲームが始まる。彼は頭のよさが手伝ってトークは最高だが、ぜーーーーったい自分を

壊さないはずなのに、信じられないようなTシャツを着て、テレビのパロディーをはじめた。

彼らしく全てが完璧に用意されていたのと、あまりにもキャラとTシャツ(ブラジルのカーニバルで買ってきたという、

世にも恐ろしい色と柄。しかも彼が若いときのらしく、今となってはパツンパツンになっているのであった)

そして完璧なまでにそのテレビのタレントを真似た彼には場内大爆笑。そのゲームも面白いったら、

完全に当日の勝者となったのであった。
ゲームのあとはダンスタイム。23時ごろから、まず新郎新婦がワルツを踊り、その後ゲストを入れて

ワルツタイムが始まった。新郎新婦は1曲だけ一緒に踊れるけど、その後は相手を変えて踊ることとなる。

私は父がまったくだめだったので、兄と踊ったが、彼との踊りはまったくもって紙相撲の域だった。

そのあと友人夫と、これはうまくいき、なかなか楽しかった。24時になったので、私が1曲弾き、

一応お開きにして年寄りを解散させることに。といっても、パーティーはまだまだ続くこととなる。
その後残った4組のカップルで今度は普通のダンス、クラブミュージックにあわせて踊る、踊る。

しまいには全員壊れ始め、音楽家の友人が持ってきた譜面台を囲んで円になり、それぞれの踊りを

披露するという、かなりなことをした。一人一人が中に入り自己表現をして次にまわすという、

考えられないもの。とても24-41歳の大人がするものではなかった。その後も、博士がやった

ゲームが忘れられず、8人で燃えることとなる。ドイツ人4人対日本・台湾人4人、男女対抗戦になったのだが、

これまたおかしくて、見ていたお城の関係者も噴出すほど笑っていた。結局夜中の3時まで遊び帰途につく。

最後はお城ということを忘れて遊んだが、感動あり、大爆笑ありの一生忘れられない結婚式となった。
来てくれたゲストで、これを読んでいる人はいないけれども、式・パーティーとも親身に盛り上げてくれた

10数人の友人たちにとても感謝している。
そして、入籍式でパフォーマンスしてくれたわかーかも、結婚式は残念ながら来れなかったけれども、

6月に同様に思い出に残るシーンを残してくれてありがとう。あのときの清い涙は忘れないよ。
それからお祝いのメッセージをくれた美香ちゃんもKayoもたえぞうもありがとうね。

近いうちの写真を載せます。上記のイメージどおりだといいけど。


結婚式が近づいてきている。
けど・・・まだ終わってないことばっかじゃ~~ん!泣
メニューの印刷を今日の夜仕上げて、明日ホテルに持っていく、カメラマンとの打ち合わせ・・・などなど。
まったくもって私たちののんびり加減にも嫌になってくる。



今日は空いている時間をぬって午前中に衣装最終あわせに行き、ドレスを持ってきた。

週末もゆっくりなんてぜ~んぜんできず、フロリストと打ち合わせ、馬車主と打ち合わせ

(なんと家から教会、その後ホテルまでの道のりを馬車にのっちゃうんざます)、

教会との打ち合わせなんかがつまりにつまって、本当死ぬかと思った。
で・・・今日の衣装合わせの時に約3センチほどの白髪を1本発見。

元気がよくてストレスなしが自慢の私も、このところの忙しさ、仕事のストレスなんかで、

とうとう1本生えるチャンスを与えてしまったらしい。ショック・・・。



それにしても、日本とまったく結婚式の環境も違うけれども、結構ロマンティックな結婚式に

仕上がりそうで、ちょっと楽しみだな~。私はいわゆる古都と呼ばれる雰囲気のある街に

住んでいるので、そういった街並みをぬって馬車を走らせる(教会までは父と

乗らなくてはならないけど 笑)。教会もとても素敵な教会だし、式場も緑の多い、

ちょっとした夢のようなところにあるお城のような感じ。誰でも結婚式なんて自己満足なんだろうけど、

それにしてもこののんびり夫婦ながら旦那ちゃんもロマンティックな構想を立ててくれて、

それをよくアレンジできたなと、晴天に恵まれることを祈りながら、あと数日の間夢見ている私がいる。

昨日は、とんでもなく忙しい一日だった。
って、会う人会う人ずいぶん前から続いてる風邪をまだ
ひきずっていたり、私も3週目に突入だけど、まだ完全に治る兆候は無し。

そんな中だけど土曜日は友人夫婦を呼んでご飯。オニオンスープにパエリアなんぞ作ってみた。

その後は結婚式の打ち合わせと称しておしゃべりに興じ、お開きは夜中の1時。

7時に来たからかなり喋ったのだと思うものの、なんだかあっという間だった。

日曜日はミサに朝から行く予定だったから、早起き。・・・のつもりが、2度寝してしまって9時起床。

なんとか10時に滑り込んだつもりが、教会のフェストのために青空ミサをするというではないかっ!!

で、教会から歩いて5分ほどの広場へゴー。そこでラッパとかちょっといつものオルガンだけでない

音楽付のミサが行われ、その後ミサの一環で巡礼のようなスタイルでみなで教会まで歩き、

最後を迎えるという見たことはあるものの参加したことなんか無いミサとなった。



その後は土曜日の夫妻が住む、別荘のような家のお庭にてブランチに呼ばれていたので車で直行。

りんごの木となんだっけな、とにかくナッツ系の木が植えてあるその別荘。木陰で食べたブランチは

もう格別!ちょっと気分は休暇であった。我が家から車で15分くらいのところに住んでいるのに、

街のど真ん中の我が家とはまったく違う、ベルギーとの国境沿いの森の中とでも言えるような屋敷の1かくを

賃貸している彼女たち。毎日の生活には車かバスが欠かせないが、でもすごく素敵。

庭には野菜が植えてあったり、ハーブが植えてあって、このハーブでお茶をしたりもした。

しかもお土産にそんなハーブ類をもらったので、たった今バジルのペーストを作った。

友人よ、BIOのぜいたく品をありがとうっ!!


そんなんで週末はゆっくりすごせたものの、昨日は小さな小さな我が家の記念日だったけど

仕事が遅く終わったのもあって家ごはん。でも家についたら花束(すでに花瓶に入ってた)と

プレゼントと素敵なカードがおいてあって、感激。旦那ちゃん、いつ時間あったんだろう。。。

いつもこんなふうに気を使ってくれる彼には本当感謝。私なんて彼が好きなソーセージを

ソーセージ屋で買って終わりだったっていうのに!だって、時間がなくてショッピングにも行けず、

どうしようって迷ってたんだよね。仕事へ行く駅の近くにあるソーセージ屋で彼のお気に入りのものを、

といっても本当に普段はなかなか買わないスペシャルなものなんだけど、それを買って、

1日中かばんの中をにおいプンプンで歩いてた。お昼ごろ買って、夜まで持ち歩いていたんだけど、

彼が駅まで迎えにきてくれた帰り道で、においに耐え切れず、家まで5分なのに渡したらかな~~~り

驚いてたけど、でも喜んでくれたから、それでいいか。アイスも買ってもらったし。

引越しも終えて、ここで落ち着くことになってひと安心。

車満杯の荷物を抱えての休暇も過ごし、ようやく相棒のすむ街に

落ち着いた。いつも行ったりきたりしていたので、ようやく落ち着いて

何かできそうだ。


さて、相棒の3週間の休暇、

ほーーーーんと疲れた。亭主元気で留守がいいっていうのが

なんとなくわかったような、わからんような。

何でも言うことを聞いてくれる相棒、いいように使ってるとだんだん

「使われてるかも」っていうことに気づきはじめて機嫌が悪くなるから

たちが悪い。いいように使われてくれ。


3週間で旅をしたのはニュルンベルク、メスペルブロン、東ドイツのドレスデン、マイセン、

それからチェコの数都市と、シュバルツバルト。

はい、強化合宿がさらに強まって、オリンピック最終合宿のような

それはそれはハードな訓練を受けてきました。


毎日よく歩かされて、また顔が引き締まった。しかもブラウンに。

6月はドイツもチェコもすーんごく暑くて30度以上が続き、クーラーなんて

恵まれたものがないここらの国で、私は毎日キレまくっていた。

炎天下なのにもかかわらず旅を続行、来たからには1日を無駄にせず

いろんなところを見ようという、変にアクティブな相棒に連れまわされ、

何度プロレスまがいの技をかけたことか。昼間は寝ていて涼しくなってから

うろうろしたかったのに、おかげで真っ黒になってしまった。その姿に

ネガーの○○(私の名前)ちゃん、なんて言って地雷を踏んだ相棒、

即効首絞めの刑にも処した。だいたい、ネガだなんて言葉許されんのかよって

問いただしたうえに子供のころから色白で決め細やかなはだが売りだった

私に対してそのようなひどい言葉を浴びせたからにはただではおけねえ。


結果としてはドイツのオレンジ肌(つまり日焼け肌)信仰のフラウ(奥様)方には

妙に評判が良く、帰ってきてから何度いい色に焼けたわねーって言われたことか。

でもちっともうれしくないんですが。

上にも書いたように色白で通ってきた私、北欧の人みたいなんていわれたことも

何度もあった。なのにーーー!このままブラウンになってしまったら

どうすんだよー(涙)とひたすらケアをしてみるものの、もともと白人が焼けた色よりも

いい感じに黄色がオレンジ化してしまっていてなすすべもなく。

垢すりをしてももちろんだめ、ごしごし洗ってもだめ、だめもとでいろいろやってみるが

効果なし。こちらに来てもいつも一発で日本人ですか?といわれた私も、

とうとうベトナム人?って聞かれてしまう日が来るのか。ちなみに色黒の友人は

みんなとりあえずベトナム人?って聞かれるらしい。


あーー、これもすべて相棒のせいだーーー!

久々に今週から再び出社して、疲れきって夕食の後、今現在眠りこけてる奴を

今から襲撃する。

前から気になっていた眉毛の長い1本を抜くか、脛毛をガムテープでいってみるか、

何かしてみよう。








土曜から旅行に出ている私たち。

土曜の朝から出発だ~!と張り切ってる私を見事に裏切り、

金曜日相棒の帰ってきたのは夜の10時過ぎ。

待ってることよりもおなかがすきすぎて、玄関では一発殴ってやる勢いで

迎えた。

疲れきっていた相棒の顔を見て少し気の毒に思ったからか

怒りが食い気が変わって、たっぷりとご飯を食べた。


結局金曜日はそのまま疲れてベットに流れ込み、

土曜の朝、当日出発の予定していた時間から持っていくものの準備。

これが、長い。いつも長い。

いつもとんでもなく予定時間をオーバーするという教訓を生かして

今回は金曜のうちに相棒の持ち物も用意しておいたのに、

土曜の朝にまたそれを自分でチェックし、ピンセット・つめきり・

つめヤスリのセット、髭剃り、鼻毛ソリ、さらにはソーングセットまで用意する。

これが一つ一つチェック、きれいにしながらだから、もんのすごい時間がかかる。

それに、今回は洗濯できるチャンスまであるから下着も3セットも

あれば充分なのに、洋服も含めて全てプラス2セットづつ用意するから、

もんのすごい時間と、もんのすごい量になった。


いつものこととわかっていても、時間がないってわかっているのに

とことんマイペースなのと、急げって言葉が大嫌いな相棒はそういうと

ものすごくムッとすることに対して、私のほうがムッとを超えて

超ムカツキモード。

ムッとするんならペースあげろよって何回殴り合いになったことか。

だらしがないが、わりと容量よくなんでもこなせてしまう私にとっては

旅行の準備なんて簡単なものであっという間に終わるのだが、

奴は本当に時間がかかる。

かといって、大事なものを忘れるのはいつも相棒。

あー、書いていて今までのことを思い出したら、また腹たってきた。


そんなこんなで一触即発の状態で家を出発。

旅行の前にちょっと用があったので相棒の実家により、

おいしいお昼ご飯をご馳走になったので、そこからは二人とも

気を取り直して仲良く出かけた。遅かったのがよかったのか、

渋滞もなく予定どおり4時間、車でぶっ飛ばして目的地に到着。


そしたらまたでた、相棒の頭痛。

こいつ、いつも楽しむ場面で頭痛。

薬を飲んでも効かなくて、すぐ寝てしまう。

私もわりと頭痛があるほうだから同情もするけど、

それにしてもいっつもいいタイミングで頭痛になりやがり、

そのうえいつもオレは力持ちオーラを放ってるくせに

こんなときばかりは 芝居かよっ(怒) ってような痛みの表現なぞしてみせる。

付き合い始めはその都度ビックリしたり、どうしてあげられるだろうかなんて

思ってたけど、最近じゃあ勝手にしろモード。もう、つきあいきれない。と

すばらしくトゲトゲな言葉を贈呈し、眠りについた。


ちなみに、今日は一日頭痛はなかったみたいだけど、

今ここに着いてビールを飲む予定だったのに、おもいっきり

先に寝られた。

なんだよっ。疲れたからビールでも飲んで、今3回目に突入した

洗濯が終わるのを待ちたいのに、チッキショ~。

明日は女優も真っ青なほどの素晴らしい腹痛演技でもくれてやるか。

あ、でもそしたら何かおいしいものおごってもらえなくなるから

他のほうがいいかな。


うーん、食べられるし歩いたりも平気だけど、でも何かとんでもない爆弾を

抱えてるような、そんな何か都合のいい痛みってないだろうか。










プールに行った後で相棒の家にたどりつくと、

待ってましたとばかりに相棒父登場。


彼は話が長いことで家族中で有名。

しかも、人の話は興味のあることしか聞いていなく、

とにかく自分の言いたいことを話しまくる。

政治、経済、今の社会。

こういった話はだるーい午後には聞きたくないのが本音。

そして、この政治関係他における話は正直いって一庶民が

話たところでどう変わるってものでもないのが現状。

彼は今の状況に対して、それはそれは怒りをぶちまけ、

大演説会が始まるのだ。


相棒母と二人で買い物に行こうと話していた私たち、

終わりに仕向けるように母が言うと、

「まだ話ている最中。邪魔をするな」

または、人が話しているときは黙ってききなさい。とくる。

あーーーー、暇ですけど。

それでも軽く聞き流せるようになったとはいえ、

怒られるから黙って聞いているわたしとしては

本当だるーーーい。しかもながーい。

長ーーーーい。

結局11時ごろから始まった大演説会は

昼食中ももちろん続き、ひと段落ついたのが1時半過ぎ。


自分の父ならやりこめてもさすがに相棒の父にまで

厳しい一言をくれてもいいものか悩むところ。

あと2年くらいしたらやってみよう。