いやあ、無事に9月30日に結婚式を終えました。
心配していた天気も雨の予定が大幅に覆って、快晴。本当頭もそうだけど、晴れ女なんでございます。
それではドキュメントまで・・・
朝お願いしていた美容師さんが1時間半もかけて家まで来てくれて、9時に用意をはじめた。
うちの母がどうしても今回来れなかったのもあって、ドイツ人の母が9時半に家へ着がえの
手伝いに来てくれる。ティアラとベールをかぶせる前に着替えたかったので、髪型が一段落
ついたところで美容師さんには別部屋でうちの兄と父とお茶を飲んでいてもらい、私は着替え。
実は実家の母がいれば別なのであろうが、ドレスを買ったのはもちろんドイツ、買う前に
いろんなお店を見に行ったときも旦那ちゃんのママ(以後 実家の母=母、義母=ママ)
と行ったし、専用の下着を買ったときもママといって後ろを閉じてもらったりしているので、
彼女が今の私を一番知っていることになる。おまけにプールにも一緒に行ったり、
本当友達のようなでも本当の母のようなママなので気を使わなくていいのが本当助かっている。
なので彼女は当然当日手伝いに来る気でいてくれたので、お願いしていた。
そして着替えてから今度は髪の仕上げ。思ったとおりに仕上がり満足。
この時点で11時くらいになっていたので、ママは駆け足で自宅に戻り(5分の距離)、自分の着替え、
私は叔母・叔父・いとこと私の家族全員が家に揃い、みんな家の中で撮影などをしてくれた。
11時15分の約束の馬車が11時に家の前に到着。
実は今回、馬車で教会に登場というかなりクラシックなことを予定していた。というよりも、
今はリムジンとか、オールドタイマーなんかで登場っていうのが多いんだけど、
実はこのクラシックが一番私は気に入り、ドイツ人でもなかなか手が届かないということから、
これにした。値ははったようだが、ロマンティックではあったし、がんばって手配しれた彼に感謝。
約束どおり11時15分に馬車に乗り、写真撮影、家は街のど真ん中、本当有名な
小さな通りにあるので人・人・人が周りに集まりみんなが祝福してくれた。
ドイツでも馬車でというのは夢の 結婚式という観念があると聞いていたので
中には目立つし嫌な人ももちろんいるだろうけど)本当見られる、見られる。
職業柄?見られることには慣れているけど、沿道の人に手を振るなんでちょっと
皇室でもないのにおこがましいような気がしたが、それでもお祝いの手振りに思い切り笑顔で答えた。
教会までは父と馬車に乗っていたので、彼と家族は徒歩で大聖堂まで。そこの広場が
とてもきれいなのでそこで写真を撮ってもらい、馬車組二人はその後、馬に揺られて教会へ。
教会へ着くとゲストがカメラを持って待ち構えていてくれたので、ちょっとした報道陣に
囲まれた芸能人?のような気分だった。
12時、教会にて結婚式。今回は音楽の式として、教会付のオルガニストと、音楽家の友人夫婦に
お願いしていたので、彼らが私の好きな曲を入れながら素敵にアレンジしてくれた。
入場ではベタながらもワーグナーをオルガニストに弾いてもらったが、これがわりと涙を誘うようであった。
以前に書いたように、彼がもちろんカトリック・キリスト教徒ということ、ドイツであるひとつのスタイル
として教会での式というのは考えられないので、本格的な式となった。途中で読まれるものも、
創世記であったりマタイであったり、そういうのの中からひとつひとつ丁寧に二人で考えた文を
読んでもらったし、賛美歌も自分たちできちんと2つ選んだ。その合間に音楽が入り、本当に
感動的なものになったと思う。ちゃんと日本語版・ドイツ語版の式次第を作ったので、日本人の
ゲストも歌までちゃんと歌えたし、何を言っているのか何を行っているのかわかったようでよかった。
ひとつ残念なのが、指輪を聖水にかけて十字を切ってもらうところ、彼が私に私が彼にきちんとした
言葉でこれからのことを伝えるところと、指輪を渡す意味を伝えるところで、ドイツ人の甥っ子が
ビーと泣き出した。証人として甥っ子の母である彼の妹が前に出なくてはならず、それでなんとなく
さびしくなったのであろうか。みーんなオマエが子供を連れて外に出ろよっ!って思っていた義理の弟が
ぜーんぜんそういう気配りがなくてそのままにしていたので、これには神父さんに注意されていたけど、
ちょっとだけ残念ではあった。
ただ、私たちはとても晴れ晴れしい気持ちで50分ほどの式を終え、祝福されながら外に出ることができた。
教え子や甥っ子姪っ子がフラワーガール・ボーイをしてくれたのと、サプライズで友達がたくさんの花びらを
用意してきてくれていたので、花びらで出口があふれ、ゲストの祝福の挨拶にキスに、とにかく素晴らしかった。
式の後はそこから車で20分ー30分くらいのオランダのお城でパーティーを予定していたので、
私と彼は馬車で、ゲストは車でお城を向かった。私たちが選んだ道のりは広大な丘と畑に
囲まれた道を優雅に走るというものだったので、1時間以上かかったが、そんな長くは感じなかった。
途中オランダに入っても、結婚式馬車は目立つので、これまた沿道の人々に手を振られパッカパッカ走った。
途中オランダに入ると小さな街を縫って丘へ向かうのだが、馬車のために渋滞していたそうだ。
そういえば追い越し車線を過ぎた辺りからずいぶんたくさん車が横を通っていったなあ、なんてのんきに
思っていたら、あとからゲストのみんなに「どういうわけか、大渋滞だったのでおかしいなーと思って
窓を開けて前方を見たら、馬車の運転手の帽子が見えた」と言われた。ゲストは大笑いしたようだけど、
結婚式と関係ない人、ごめんよ。
15時から予定していたパーティーには余裕でつく予定だったので、ゲストには飲み物など
ガーデンで先に飲んだりくつろいでもらって、私たちはカメラマンと外での撮影になった。
いろんなポーズで外で撮るというちょっと初めてドイツに来たときには写真やさんの前で
笑ってしまうような写真を私たちも撮った。といっても、緑の中、晴天のもとでだったので
案外きれいに撮れていて本人たちは満足。
15時になり、新郎から挨拶をして飲み物と軽食のハイ・ティーが始まった。こちらのパーティーは
とても自由なもので、お城の2階を貸しきったその建物と、そこから続くガーデン、全て私たちのもの
だったので、そこのガーデンでまずはゲストに歓談を楽しんでもらう。そこには立ちテーブルと、
座れるようになってるテーブルとイスがちゃんと用意されていて、好きなようにできるようにしてくれていた。
飲み物はサーブしてくれる人がちゃんと周ってきてくれて、ちゃんとケアしてくれたし、軽食もとても
おいしくみんな遠慮なんてせずに食べてくれた。子供たちも手で食べられるものだったので大喜びで
好き好き食べていた。
その後は各方面の友人たちがこの結婚式のために用意してきてくれたゲームなんかをしたり、
バルーンを飛ばしたり(ボンベまで借りてきてくれた友人夫婦には圧巻)、おしゃべりしたり、
始終リラックスしながらも家族や友人があっちこっちで楽しんでいる様子が見えて、うれしかった。
私の家族はとてもあっけらかんとしているというか、今回来た父も兄も、友人たちと英語での会話で
大盛り上がり。父なんて若い人の中にはいっても平気で、ドイツ人、台湾人の友人たちと楽しそうだった。
兄もそうだが、二人ともそういうのには職業柄慣れているのであろうか、友人たちもそういうのがわかったようで、
彼らの評判は結婚式の後もかなり良く、彼らが次にドイツに来る時に会いたいからセッティングするように
催促されているほどだ。叔母の家族もビデオを撮ったり、叔母なんか彼女の壊れたスーパー英語で、
彼の両親のところに話に行くから強烈だった。英語をほとんど話さない彼の両親と彼女の壊れた英語での
会話はどうされたものなのかまったく未知なのだが、でも盛り上がっているから不思議だ。
そんなんで私たちの心配(はしていなかったけど)をよそに異文化交流は続くのであった。
その後17時を過ぎた頃に、友人の演奏があった。ガーデンでリラックスして聞いたあとには、
子供づれの家族が帰宅。休憩を挟み、19時よりディナーの時間になった。
このディナーが思ったよりも豪華で私たちも大満足の結果となった。ハウスワインも味がよく、
舌の肥えたゲストも後日まで料理とワインについてほめてくれた。2時間のたっぷりとしたディナー
の後にはまた演奏が。この頃には叔母は「うそ。。。?」っと思ったようだが、ドイツの結婚式は夜中
までなのだ。メールで伝えてあったけど、冗談だと思っていたらしい。甘いよ、君。
私の生徒である女医さんと医者の卵でありロッカーである彼とのピアノとギターの共演は、
素人でありながらかなりのものであり、すごくうれしかった。その後、機械学博士である友人の
大変壊れたゲームが始まる。彼は頭のよさが手伝ってトークは最高だが、ぜーーーーったい自分を
壊さないはずなのに、信じられないようなTシャツを着て、テレビのパロディーをはじめた。
彼らしく全てが完璧に用意されていたのと、あまりにもキャラとTシャツ(ブラジルのカーニバルで買ってきたという、
世にも恐ろしい色と柄。しかも彼が若いときのらしく、今となってはパツンパツンになっているのであった)
そして完璧なまでにそのテレビのタレントを真似た彼には場内大爆笑。そのゲームも面白いったら、
完全に当日の勝者となったのであった。
ゲームのあとはダンスタイム。23時ごろから、まず新郎新婦がワルツを踊り、その後ゲストを入れて
ワルツタイムが始まった。新郎新婦は1曲だけ一緒に踊れるけど、その後は相手を変えて踊ることとなる。
私は父がまったくだめだったので、兄と踊ったが、彼との踊りはまったくもって紙相撲の域だった。
そのあと友人夫と、これはうまくいき、なかなか楽しかった。24時になったので、私が1曲弾き、
一応お開きにして年寄りを解散させることに。といっても、パーティーはまだまだ続くこととなる。
その後残った4組のカップルで今度は普通のダンス、クラブミュージックにあわせて踊る、踊る。
しまいには全員壊れ始め、音楽家の友人が持ってきた譜面台を囲んで円になり、それぞれの踊りを
披露するという、かなりなことをした。一人一人が中に入り自己表現をして次にまわすという、
考えられないもの。とても24-41歳の大人がするものではなかった。その後も、博士がやった
ゲームが忘れられず、8人で燃えることとなる。ドイツ人4人対日本・台湾人4人、男女対抗戦になったのだが、
これまたおかしくて、見ていたお城の関係者も噴出すほど笑っていた。結局夜中の3時まで遊び帰途につく。
最後はお城ということを忘れて遊んだが、感動あり、大爆笑ありの一生忘れられない結婚式となった。
来てくれたゲストで、これを読んでいる人はいないけれども、式・パーティーとも親身に盛り上げてくれた
10数人の友人たちにとても感謝している。
そして、入籍式でパフォーマンスしてくれたわかーかも、結婚式は残念ながら来れなかったけれども、
6月に同様に思い出に残るシーンを残してくれてありがとう。あのときの清い涙は忘れないよ。
それからお祝いのメッセージをくれた美香ちゃんもKayoもたえぞうもありがとうね。
近いうちの写真を載せます。上記のイメージどおりだといいけど。