こんにちは。
しばらくブログが途切れていてすいません…。
実家帰省は無事に終わり母の墓参りも出来ました。
それについては後日、また詳しく。
今回はあの後、色んな事がありまして…その中でも悩まされていた病気について。
症状が悪化してあの後も様々な事が起こり一時期は立てなくなるくらいでしたが主治医と相談しながら片っ端から虱潰しに色んな可能性を探してベトナム時代から初期症状が出始めてから5年くらいですかね…やっと見つける事が出来ました。
検査で気になる項目が出てきててなんと大学病院側が掛かり付け医に結果のフィードバックを送ってないと言う事態が発覚しましてね…。
いや…大学病院ってこんなに粗相な事をするんだって思いましたが。
なんとか自分で以前、貰った結果を探し出して主治医に見せることが出来ました。
CRP上昇、白血球増多。
総IgEが4300と言うかなり高い数字。
TRACも1300と言うアトピーで言う重症。
ただ、前にも言った通りアトピーが酷かったときとまるで体感が違うしアトピーだとしたら数字と実感の剥離がかなりある。
これは大学病院にも再三、伝えましたが
あなたは重症のアトピーなんだ。
検査結果からもそうなんだ。
と全く聞き入れて貰えず皮膚の炎症や痒みが全く無いのにアンテベートと言う強いステロイド剤を大量に貰うも全く使わないと言う…。
病を見て人を見ず
の典型例を見せて頂きました。
もう一つ気になったのは好酸球がやたらと高い。
なのでIgEが高いことから膠原病検査をやったがこれは異常無し。
うーん…これはもうサッパリわからんと思ってたがふと思い出しました。
好酸球が高い=寄生虫症状&有機野菜。
あれ?ベトナムでやたらと寄生虫に掛かってたのと更に有機野菜やってたましたね…。
副鼻腔炎が止まらなかったのと喘息みたいなのもたまにあったが大気が悪いからと思ってたが日本に戻っても症状は続く。
だからクラリスロマイシンやアモキシシリンとかアシクロビルとかかなり使ってたり
帯状疱疹もあったと思うが併発してたんだと思います。
しかし、環境要因が原因なら1年くらいで環境が激変してるので普通は変わるはず。
アレルギー自体はかなり数字が高いがアトピーとは体感が全く違って身に覚えがある症例を片っ端から調べてみました。
そしたらある病気がかなり症例が当てはまるものがありまして…。
発熱,体重減少などの全身症状とともに,(1)上気道の症状:膿性鼻漏,鼻出血,鞍鼻,中耳炎,視力低下,咽喉頭潰瘍など,(2)肺症状:血痰,呼吸困難など,(3)急速進行性腎炎,(4)その他:紫斑,多発関節痛,多発神経炎
ベトナムの時の症状の8割位当てはまるのを見つけた。
もしかして…血管のアレルギー?
ハッキリした名前は専門家ではないので控えるがどれも厄介そう…。
アレルギー値が高い=アトピーだと言う見方が一般的だが血管浮腫などの症例に自分は近くてTRACもそれに反応することがあるみたいでして。
アレロックも痒みよりもアレルギー性鼻炎の為に飲んでるし細菌感染でリンパが腫れるにしては頻度が多過ぎる。
TRACがアレルギー性鼻炎や喘息系の重症度の指標として応用できないかという研究医学記事も海外文献まで漁ってかなり苦労しましたが見つけました。
掛かりつけの先生にも相談した所…。
「あー…確かに…環境要件も数字もそう言われたら当てはまるね」
前に専門の方にチラッと言われたファブリー病も前に相談しててそれも血管の病気なので疑いを掛けてる部分も重なるとの事。
と言うわけでプレドニン(ステロイド)を頓服扱いで5日分試してみて何かしら変化があれば黒に近いと言う事。
念の為に飲む前の採血をしてその後も比較してみるとの事でした。
掛かり付け薬剤士も
確かにそれは試してみる価値はある
との意見。
まあ、皆さんは1年近く自分を見てきてますので思い込みではなくかなり自分で色んな事を調べてその中で色んな事を疑って虱潰しに検査をして行き着いた答えだと言うことを理解してもらえてた事が嬉しかったです。
仮に当たりだったら医者さんでもこんなのパッと見て分かるわけ無いくらい症例が少な過ぎる案件だから仕方ないし自分にも分かる訳が無いです。
1週間後…。
血沈の比較でプレドニン服用前と服用後でかなり改善していたみたいで血管炎で間違い無いだろうとの事。
普通は血管炎はまず候補から外すくらい見かけないとの事で1年間、根気強く虱潰しにして要因が分かったのは良かったです。
帯状疱疹後神経痛ではない。
膠原病もリウマチも異常無し。
コロナが流行る前から明確な症状は出てたので後遺症の線もあまり考えにくい。
思い返せばベトナムでは紫斑とか出てたし最後の方は足の裏がズル剥けになってたりしたのや難治性潰瘍みたいなのが繰り返し出来てた。
リベド血管症みたいなのが先に来て寄生虫感染とかデング熱を繰り返すうちに酷くなって全体の血管炎になったのかなと。
抗生物質が一切、効かなかったのも多分、それです。
やっと色んなあやふやだった事が線が繋がった…。
まあ…その後、5年くらい良く持ったと言うか…思えば今、生きてるのが不思議なくらい。
そういう意味では仕事の関係で不摂生をしなかったのも生薬や自然系を扱うMIDORIを立ち上げたのも健康を商売柄として意識せざる得ない仕事を選んだのも無意識に生きる為の本能だったのでしょうね
仮にベトナムの時に分かっていても恐らく後期はステロイドの副作用に耐えられる体ではなかったからどちらにせよあの時が限界だったと言う事なんですよね。
現状はプレドニン5mgを半日ずつで計2回で体感も数字も劇的な改善がされてるから1ヶ月くらいやってそこから徐々に減薬して寛解に持っていこうという事でした。
今、それくらいで効いてるのも1年掛けて体自体を地道にリハビリした結果もあるとは思うのでステロイドパルスとかをしないで済んだのは個人的にもホッとしました。
ステロイド様作用(サイコサポニン)がありステロイド減薬時に良く使われる柴苓湯も様子を見ながら一緒に使っていけば良いかなと思ってます。
今までが全く見通し自体が立たなかったからこれかなと言う要因が見つかり劇的に改善しそうな手立てと見通しが立ちそうな希望が生まれただけでもかなり精神的には楽になっています。
個人的に一番辛かったのは気持ちの問題とか言われたりペインクリニックに行けと匙を投げられたり症例が違うって言ってるのに全く聞き入れてもらえなかった事。
帯状疱疹後神経痛から始まり糖尿病や膠原病も疑いながら1年。
日常生活に関しては以前にも沢山書いてるので省きますが。
私は1番後悔してない事とこれだけは貫き通して良かったと思ってることがありましてね。
コロナ地獄のロックダウン時に躊躇なく常連さん達に今すぐ逃げろ
と言えた事。
あれを商売を気にして言えないみたいな事であんな火葬が追いつかないくらい人がバタバタ死んでいった状況で身近な人達を危険なのは分かってたのに言わなかったら本当に後悔していたと思います。
非常時に人の本質って出ますが前々からの病気の経緯も見て結果としてどう転んでも無理だったと分かる今になってより分かると言うか…。
日本に帰ってきて色んな事に悩みましたが最終的に自分がどんな事をやってきたのかを振り返ると私のベトナムでの経験はこういう所をやってきたからまだなんとかなってるのかなと思えています。
あの時のデルタ株に掛かっていたら今の病気を鑑みても自分も命が危なかったでしょう。
結果として今は日本に居るわけなんですがこれはコロナ前から出ていた症状なので遅かれ早かれ限界は来ていたでしょう。
母が亡くなった直後にあの極限状況の時に1番あの時に人が必要だったことを提供出来て自分の信念を貫いて人を守る行動を取れた事。
それを母の墓参りの時にベトナム生活で1番誇れる事として報告出来ました。
多分、これは指定難病なので一生治らない病気なんでしょうけど今、ここに来るまでに本当に困った時に色んな人に助けてもらえたから時間は掛かりましたがやっと対処法が分かり今がある。
完全には整理はついていませんが今はまだやるべき事も残ってるので年末まで粛々とまた頑張ります。