こんにちは。
依然として神経痛の要因は解明されてないのですが難病指定の疾患も視野に入れての様々な検査が開始されそうです。
皮膚疾患だけでなく膠原病なども視野に入れてと言うことですね。
それはそうと…10月7日から実家帰省にやっと帰省することになりました。
ベトナム時代5年、日本帰国後1年…やっと母の墓参りが出来ます。
いや…ここまで来るのにホントにキツかった…。
言葉では言い表せないですね…。
経緯は以前のブログで色々と書いてるのでご察し下さい。
色々と思うことはありますが亡くなってから2年もお別れすら出来なかったのを只々、別れを告げに行きます。
多分、まだ心の何処かで帰ったら迎えてくれた母の幻影があるんだと思います。
それが無いと実感した時に始めてもう居ないんだと自覚できるし覚悟も踏ん切りも付けられるかな〜と…。
ここらへんの感覚が地元の親族には中々、伝わなくて…。
自分にとっては6年前のベトナムに戻る際の福岡空港で義妹達へのお土産とか買ってくれて
「またね」
と言って最後の別れとなったあの日から止まってるんだよ…いつでも行くことは出来るとかそういうのではなくてその気持ちを割り切るスタートにすら自分は立ててない。
多少、知ってるとは言え地元ではない場所で家族でリスタートをしながら病気への対応や子供の対応…。
日本に普通に生活してる人の当たり前が分からない。
日本人ですら良く分からない複雑な手続き。
動きたくても薬で散らして試しながらコントロール出来る時間を試行錯誤しながらの生活。
以前のブログはその必死の中でのなんとかしないとと言う焦りもあって自分に言い聞かせる意味でもあったんでしょうね。
ただ、どうにもならない事はどうにもならないんですよ。
それでまたベトナムの時みたいに無理して更に悪化したら本末転倒ですからね…。
この点は別に腐ってた訳ではなく、今から仮に個人事業主などをやる際はインボイスや改正電子帳簿保存法等のかなりややこしい事も絡んで来ます。
また後日、書こうかなーと思ってる配偶者ビザについて思う事も色々とあるので絡めて書きます。
健康体のまま本当に勢いのままベトナムの感覚のままでやらなくて良かったなと思います。
ここら辺は怪我の功名と言う言葉を本当に強く実感しました。
それとある久々に会ったベトナム時代のお客さんと会った夏に色々と話してくれた。
その時は自分も様々な事で恨みも募って頑なだったけどその方の親身な話のお陰で膠着状態から一歩踏み出せました。
今回は自分の力ではない方々の助力で実現できました。
だから、尚更くだらない争い事などをしたくない。
その気持ちが一番ですかね。
色んな意味で清算してこようと考えています。
これが出来たら…やっと真の意味で日本生活も前に進めるように。
とにかくこの期間は疲れました…。
多分、心休まるとかは無いと思いますが区切りとして頑張ってきます。