昨日見た、この記事。
私の頃は、どうだった? と考えた。
小学生の時の体育の時間の着替えの話題だ。
記憶が曖昧だが、小学6年生のときにあるクラスの女子だけ隣の倉庫みたいな部屋を女子更衣室として使っているという話が流れてきて、自分たちも使いたいと言って使った記憶がぼんやりとある。
小学5年生まではどうしていたんだろう?
記憶が……。あっ、2クラス一緒に授業があって、男子と女子で教室を移動していた。そうだ!
そんな気がする。それって何年生だったからだろう?
中学は、別棟の更衣室があった。ただ、暗くて湿気があって怖かった(更衣室だから窓ないし。土足だったから)。部活も部室がないから、そこで着替えていたんだよな。
昭和の常識が、令和の今、通用することは少ない。それが息苦しいと感じる人がいたとしても、それが常識だから。
常識は変わっていくものだから。法律も変わるから、罰せられることもある。
先日、これって記憶正しいかな?と思ったのが、中学時代のプール。
私の通っていた中学にはプールがなく(在学中にプールができた記憶。調べたら1980年だった)、当初、学校で着替えて近くの市民プールまで走って行っていた。その距離は、調べてみたら300m。もちろん公道。この記憶正しいのかな? でも、記憶にあるんだよな~
あの頃は、当たり前だったし、自分もあまり深く考えていなかったけれど、中学生の女子と言えば女性の体になっている子もいる。相当嫌だった人もいるはず。それがトラウマになっていないことを望む。祈る。
昭和の常識だったのか? と思う。
令和の常識には、えーー! そこまで。と思うものもある。
新入社員が、ホワイト企業過ぎて会社を辞めるという事例もある。
何事も、too much は、と思うけれど。too muchさえも多様性。
多様性という言葉が便利過ぎて、逃げ言葉になっている。「個人の判断」これも逃げ言葉。
自分で何かを決められる人は、正直少ないと思う。
絶対値と相対値があるけれど、世の中の多くは相対だ。多くの人は、周りと比較して自分の意思を確認し決める。
もしかして、時代は生きづらい報告に向かっているのでは? と思うこともある。
マイノリティを守るために、マジョリティが我慢することもそのひとつ。
私自身がマイノリティになる場では、「いやいやそこまでしていただかなくても」と思うこともある。
しかし、マイノリティもマジョリティも多様性。あぁ、多様性って便利過ぎて難しすぎる。
そんなことを思いながら、今日は区民検診を受けに行く。昨日の夜から何も食べていないので、空腹だ~。
健康であることが根っこにあって、こういうことを考えたり書いたり動いたりできるから。
まずは、健康。6~7月は、毎年、私の健康チェック月間です。
区民検診全部盛り、足りないところは自費で受ける。