もし、歌う声を持っていたなら。中島みゆきさんの「倶に」をつぶやきながら。 | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる



人はないものにフォーカスしてしまう。持っているものは、それが自分にとって当たり前だから。見ることもない。

前世では、声がでない人だったと言われたことがある。声を持たないけれど人を纏めていたと。

それを聞いたとき、今世で声を与えていただいたことに本当に感謝した。

同時に、我儘はよそうと思った。

 

私の我儘は、歌う声を欲しがっていたことだ。もちろん今もほしい。何度もボイトレに行った。

しかし、手に入らない。

 

作詞家という職業に出会ったのに、歌えない。

 

 

10代の頃から、中島みゆきさんの歌が好きだ。彼女がオールナイトニッポンをやっていた頃、欠かさず聞いていた。

社会人になった日(入社式の日)は3月末の月曜日で、彼女のオールナイトニッポンの最終回だった。

予想しなかった配属先に、退職願ってどうやって書くんだろう? と考えながらラジオを聞いていた。

もしかしたら泣いていたかもしれない。20歳だった私。

 

10代の頃、大好きだったのは「時刻表」。今も好き。

“街頭インタビューに答えて、私優しい人がすきよ、と優しくなれない女たちは答える”

便利になった今も、「中島みゆき 時刻表 YouTube」と検索しても本人の声の歌は聴けないけれど。

アルバム『寒水魚』が、私のなかの彼女との出会いだった。

1982年3月21日リリース。中学生から高校生になるタイミングだったんだ。

 

今クールのドラマ『PICU』の主題歌は、彼女の「倶に」。

“手すりのない橋を全力で走る 怖いのは足元の峡谷を見るせいだ”

歌えないからつぶやいた。

手すりがなくても そこが峡谷だと知らなければ、全力走るのはたやすいことだ。

なんて思いながら。

 

「B.G.M.」を探していたら、「夜曲」に出会った。

アレンジが松任谷正隆さんだということに少し驚いた。

そして、昔の歌は前奏が長く、世界へいざなってくれる。

 

今週末は雪が降るようだ。